ソロツーリストの旅ログ

あるいはライダーへのアンチテーゼ

振り返ってみるとオートバイがいちばん好きだった

R100TRADの「RS」化プロジェクト スタート

2021年02月28日 | R100Trad (1990) クロ介
あれこれ思い悩んでいるうちに

すっかり「RS」化の準備はすすんでいた


R100RSのカウルレス化やRT化は聞いたことあるけど

カウルレスのR100をRS化するなんて聞いたことない


果たして可能なのか、やってみないとわからないが

せっかくパーツは揃ってきたので

トライしてみることにした

しばらく改造作業ログになります

ただしあくまで普通のおっさんが自分のやり方で進めていくので

あまり参考にはならないかな

特に電装はあやしいかも


がんばります




出た!御大!



イメージを見たくてカウルを仮付けした

うーん……ハチみたいだ……


カウルを落とす  落札ね

2021年02月17日 | R100Trad (1990) クロ介
「RS再び」

と題してこのブログを再開したわけだが

ご存じのとおり予想外の出会いと展開で

瞬く間に「黄色いやつ」はボクのところにやってきた


実を云えばまだ「RS」への思いは強い

しかもツインショックのRSだ

結論が出ていて今これを書いているのではなく

書きながら自分の気持ちがまとまるかも、という思いで書いている


「再び」ではなく三度(みたび)が正しいか

最初に手に入れた「RS」は1991年製のモノサス



レッドメタリックという珍しいカラーの個体を

誰かがクラシックブラックに塗りなおしていた(剥げた個所から赤が見えていた)

車検証にメーター交換の記述はなかったから約60000㎞のオドメーター表示は実走行距離だろう

オイル漏れは定番個所が2か所

その時はすでに1150RTに乗っていたのでフラットツインを知っているつもりだったけど

この「RS」ははっきり云ってボクにはちょっと手ごわくて

というかタイトなワインディングをどう乗りこなしていいのか見当もつかないっていう感じだった

ただあんなに前傾を強いられるのに長距離で意外に楽で

淡々と距離をこなす時のフィーリングの良さは強く記憶に残った

乗っていたのは1年ほどしかなかったから

正直モノサスがツインショックに比べて、劣るとかつまらないとか、本当はわかっていないのだと思う

このモノサスは予想外の転職で止むを得ず手放してしまったが

その転職から2年後、次の「RS」は不意にやってきた


1981年製のツインショック「RS」



乗り出してすぐに気付くエンジンの軽さとパワー感

「なにこれ!ツインショックすごい!モノサスだめじゃん」

多分いまだにツインショックを志向するのは、この一瞬の印象だけからではないのかとも思っている

実はこの81年製は1977年から始まった/7(スラッシュセブン)シリーズをリファインしたもの

この時、R80とR100の2系統にそれぞれノンカウル、スポーツ(RS)、ツーリング(RT)にモデルは整理された

Kバイクがデビューするのは1983年

すでにフラットツインでは市場で戦えないと判断したBMWはこの時Rシリーズを整理したのだ

けれどそのことでこのR100シリーズはKバイクデビュー後のモノサス勢まで生み出し

今でもその多くがまだ世界中で走っている

話を戻す

ボクのところに来たリファイン後の「RS」はそれ以前のType247勢から

「雑」といわれるエンジンフィールの持ち主らしい(バランサーがなくなった)

だからあえてこの81年製ツインショックに拘るのも、ボクにはなんだかおこがましいという気持ちがある

でもボクはこのストラトスシルバーのツインショックRSで走り回った

大きなカウルに引かれた手書きのラインは見るたびにうっとりしたものだ

メーター交換していたのでオドメーターは3000㎞だったが

車検証によると60000㎞くらいの個体だった

リアサスのヘタりがひどくて両足べったり

路面のうねりでよく弾き飛ばされそうになった

サスをリプレイス(ikon)してから足つきは悪くなったけど

絶妙の乗り味が戻り、よく「鷹揚」と表現される穏やかな走りを見せた

BMWモトのトップカテゴリーとして

突き詰められた性能はまさに完成形だった

忘れられない感覚だ


オートバイ屋の店頭で14年間も店番をしていたR100TRAD

ただし真っ黄ー黄ーに塗られてちょっと、

ちょっとねー



ただし1990年製で走行12000㎞

そしてここが最大の売りだけど、ワンオーナーなのだ

シリンダーヘッドがツインプラグ化され

FCRキャブ、ストレートマフラー

ロケットカウルとモトコシングルシート

クリップオンハンドルにバックステップ

所謂「カフェレーサー」そして全身黄色(多分マンダリンイエロー)

今、書いてて、これ良く買ったなって思った


今まで何人のひとの手を経て、どこをどうしてきたのかわかっているって

30年前のオートバイを買うときに重要なポイントじゃあないですか?

だから買った

吸排気系は戻してもらって

あとポジションもRSと同じにしてもらった

(実はRSのポジションは独特、でもこれがいちばん癖になるポイント)


「RS」のデカいカウルをかっこ悪いと言ってカウルレス化する人は大勢いるけど

ノンカウルのR100を「RS」化するなんて聞いたことがないのだ

でも最初はあのデカいカウルを手に入れて「RS」化するつもり満々だった

ヤフオクやメルカリをみると手に入れるのは簡単そうだった

ほんとうに取り付けできるのかは、やってみないとわからないし

カラーリングを揃えるために全塗装は必要になってくるだろう



パニヤケースを付けたり細かいところを触っているうちに

やっぱりこいつの魅力は「黄色」にあるような気がしてきていた

良くも悪くもすごく目立ってしかも個性的だ

ただしあのデカいカウル(スポーツインテグラルフェアリング)を黄色に塗るのは絶対ダメだろう

まーR1100Sなんかみると悪くはないかもしれないけど


実は(今日、この「実は」多いね)迷いがある中

あまりに程度の良いアッパーカウルとアンダーカウルをヤフオクで見つけてしまい

「うんぎゃぁー」と意味不明な叫びとともに入札

なんと落札してしまった(ウインカー、ポジションライト、スクリーン、時計、電圧計までパーフェクト)

(余談ですけど届いたカウルに電圧計と時計がついてなくて出品者に聞いたら、忘れてました送ります、

ただし時計は動きませんし取り付けネジもありません、だと、それは事前に書くべきですよねとたしなめると

動くとも書いてないだろ、とほざいた、結局ヤフオクってある程度の不誠実も容認しないとダメなんだな、

ほとんどの人は気持ちよくて、ヤフオク有意義なのでうまく利用していこう)

届いたカウルをじっと見る今日この頃だ



やばい、結論出ない



ゲタ代わりにも使えるやつだけど

ワインディングマシンではない

長距離を淡々と走り切る時のRSは唯一無二の存在だ

そう考えるとやっぱりカウルは欲しい

カウルだけクロってありかな?

大切なのはいま、それはわかってる

2021年02月10日 | R100Trad (1990) クロ介


浜名湖である

今年は季節の動きが早くて2月の頭というのに

高気圧と低気圧が交互に日本の上を通過していく

春は早そうだ


まだ乗り手の慣らし中だ

以前は一日800kmくらい平気だったのに

走るモチベーションを長く維持できない

すぐ帰りたくなる

でも帰ればまたすぐに走りに出たくなるんだけどね


止むを得ない転職のためモノサスRSを手放してからちょうど1年

ゴールデンウィークのさなかBMWモトラッドディーラーから電話

「ツインショックだけど、いる?」

そうきたかー、の一言ですでに心は決まり

間もなくストラトスシルバーのツインショックRSはやってきた


ツインショックでも後期型なので

持ち味としてはやや薄いものだけど

考え抜かれたバランスを感じさせる完成度は独特で

「銀ジィ」と呼んで大切にしていた


中古車って「出会い」なんだとわかっている

ただこんなにもすべてを忘れられない機械なんて他にあるだろうか



この「黄色いやつ」との出会いも特別だった気がする

最初はノーマルに戻して、可能ならRSのカウルつけたいなと思っていた

ひととおりの整備や調整を終えて走らせると

やっぱりこのエンジンがまだ若くて

30年を経てきた個体にはない調子よさを感じる

これは本当に貴重で他の個体では得難いものだと思う

なのにRS、しかもツインショックへの思いが断ち切れない


緊急事態宣言下でひと気のまばらな日曜のSAで

季節外れのポカポカな太陽に照らされて

ちょっと複雑な(しあわせすぎる)男のまなざしを受ける

黄ィーろいヤツ

ルートこそが目的地

2021年02月03日 | R100Trad (1990) クロ介
以前にも書いたことあるけど

内田百閒先生

「何にも用事はないけど、汽車に乗って大阪に行ってこようと思う」

今でいうところの「乗り鉄」の先生だ

目的地まで行っても観光など目もくれず

昼間から旅館にしけこんで酒を飲む

ただし、先生の車窓の描写はとびきりで道中は存分に楽しんでいたのは間違いない

汽車に乗って出かけていくことが目的なのだ



ボクの「旅」も目的地など二の次だ

最果てという意味で、先端部(主に半島の先端)が目的地だったり

あとは作家や絵描きが好きなので

彼らの旅路を辿ったりすることもある


とにかく走ることが目的だ

「場所」でなく「道」

どの道を走るかが、最も重要だ


ナビは全く役に立たない

効率と効果をプライオリティとする電子頭脳には人の脳の真似は出来まい

そしてオートバイで走りながら

その土地にしかない風土を感じ、またそれに思いを馳せる

この地方に、この国に、この星に

いま生きている喜びすら感じる


ちょっと大げさだね

というか、この歳になると、命が無性に愛おしく感じるのだ

オートバイで知らない町や道を辿る時

ボクはその瞬間に命を感じる


「年長けて また越ゆべしと思いきや 命なるかな 小夜の中山」

西行法師最後の陸奥行の途中

今の掛川にある中山の峠で読んだ一句

「命なるかな」の響きは強い


ルート選びは重要だ

人からルート選択という自由を奪うナビ野郎になんかに、君の「オール」をまかせるな



自分の人生の主人公になろう

自分の行く道を自分の意志で選ぶ人になろう

自由に、積極的に、人生を美しいものにしよう

既存のルートや常識に縛られない人になろう

自分の行く道は自分で決めたほうが楽しいに決まっている

人生のドライバーになろう (Be a driver)


これ、マツダのブランドCMの文句なんだけど

クルマにもオートバイにもちょっとしっくり感じなくなってた時

このメッセージがテレビから流れてきた

RX-7やアクセラスポーツ、そしてロードスター

もちろんマツダは気にしてたけど

ボク等の世代は「赤いファミリア」のイメージが強すぎて

正直、ディーラーへ行ったこともなかった

でも、バブルのころのユーノス各車だけでなく

先代のデミオやベリーサなんかのデザインはとても魅力的だった

で、このメッセージだ

そして、世界シェア2%が目標という主張を聞いて「やられた」

ボクは2%だったのだ



自分の行く道は自分で決めよう

そう思う