ソロツーリストの旅ログ

あるいはライダーへのアンチテーゼ

振り返ってみるとオートバイがいちばん好きだった

来年のことを云うと鬼が笑うそうですよ ならばやはりここは今年の恥をしっかり胸に刻みましょう

2024年12月27日 | 日記・エッセイ・コラム


今年の冬は厳しそうな気配だ

いやいや天候、気候なんてものは気まぐれもいいところ

だからじきに調子っぱずれのような具合になるのかもしれないが

まあそれにしても年末に向けての今日この頃は

しっかりと寒い寒い日々が続いている



SR400が車検から帰ってきたと思ったら

クロ介(R100RS擬き)が壊れた

クリスマスに向けて冬型が強まり

次々と強い寒気が南下してくるようなので

風もなくよく晴れたその朝

クロ介を引っ張り出して今年最後の「巡回」に出掛けるつもりだった

毎年寒くなってくるとやや始動に危うさを感じるが

それでも少し長めにセルモーターを回すくらいで

「困難」と云うほどのものではなかった

この日は冷え込んで9時を過ぎてもまだ3℃程の気温だった

昨日一日充電器に繋いでおいたのでセルはグルングルン回った

なのにクロ介が始動する気配が無い

バッテリーを休ませながら5回繰り返すがダメ

マフラーから生ガスの匂いが強くなったので

チョークを閉じてスロットルを開けてみるがやはり無反応

流石にバッテリーは枯れてきてセルも怪しい

どうしたんだい?ヘヘイ、ベイビー

バッテリーはビンビン(だったのに)

こんな朝にお前に乗れないのかよ

と、余裕噛ましても掛からないものは動かない



仕方なくクロ介はガレージに戻して再び充電器に縛り付ける

今日はもうフラットツインの股ぐらになっちまってるもんで

ビッグシングルをキックしてもノリが悪い

頭の中でグルグルするのはクロ介のことばかり

だったんだけどそこは現金なもので

いつものコーナーですっとSRのスリムな車体をリーンさせると

途端に唇の端が歪む

よしよし今年最後はお前で締めくくるよ



寒さもそうだが今年は記録的にこの時期の降雨が少なくという

少なくというか、全く雨が降っていない

空気もバリンバリンに乾燥しているせいか

ちょっと前に比べて路面の湿りが少ないみたいだ

山からの水は凍るがその出方もかなり少ない

朝方の冷え込みの強さに比べて霜の付き方もなんだか薄いのだ

もちろんその分凍結の心配は少ないのだが

路面温度はさらに下がっているので

一旦停止からの左折なんかでリアがグリュっと来ることもある

調子に乗って夏みたいにバンクしてスロットルをぐりーなんてのは進められない



1週間前に来た時より確実に季節は進んで

色付いた葉が残っていた木々もすっかり丸裸になった

乾燥した初冬の空ははるか成層圏まで澄み渡り

その青さを一段深くした

さすがに椅子を広げてのんびりなんて気にはならない

涼風(の里)の軒先に出されたままの椅子をちょいと拝借

ゆるいけど吹き付ける冷たい冷たい北の風を避けて

ありがたくも差し込む冬の低い太陽に目を細め

日向ボッコとしゃれこむ



もういつから嵌めているか分からないJRPの冬用グローブ

ツヤなんて当に無くなってるだけでなく

革が毛羽立って表面はガサガサだ

エンジンに触って表面を火傷させたりした大きなキズもある

嵌め心地と操作性がボクの手にフィットしているせいか

他のメーカーのグローブも新調しているのに

こいつがなかなか手放せない

若いころはグリップヒーターだ、電熱ベストだ、とやってきたが

逆に歳を重ねて真冬の指の冷たさに冬を感じる喜びを知った

指先の冷たさには人一倍弱いはずの自分だけど

この凍える指先に冬のライディングのプレジャーがあるのだ

気温一桁の空気の中を走ると

30分くらいで指先は凍えてくる

でもここからさらに指先が痺れるまで行くにはかなり時間がかかるものだ

何をそんなに我慢してまで、とニヤニヤしながら走るのだ

そして自販機の缶コーヒーを握り締める

だからいつもボクのコーヒーはぬるい



翌日、クロ介に清掃済みの使い古しプラグを付け

慎重にセルを回してみた

結果はまあ予想どおり全くダメ

JAFを呼んでピックアップしてもらう

そのままテックMCに入院になった

イグナイターが死んだらしくて

テックにたまたまあったイグナイターを付けたら始動したらしい

純正の在庫が国内になく、しかも高額なので

ヤフオクでよく見るユーロモトエレクトリックスのイグニッションコントロールを入手

取り付けたらあっさりエンジンは始動した

やっぱりエンジンの電装系はパーツのストックが必要だな

見極めが難しいのでパーツ交換が一番わかりやすい

プラグのような部品とは違ってみな案外高額なのがネック

中古品も含め検討課題だ



それにしても今年はよく走った

2台持ちになったこともあるけど

久しぶりに走行距離が年間1万kmを越えた

出来れば来年も北海道へ渡りたいと考えているがどうだろうか

行けるかな



今年もより多くのPVをいただき本当に感謝しています

今どき、ブログなんていう文字ばかりの媒体を読んでいただける皆様に感謝しかない

いくら読者に主ねないで書いていこうと思っていても

やはりそこはちょっと気にしてはいます

だから気分だけで更新があったりなかったりってことだけは止めようと

月2回の更新を自分自身に課している訳で

これがボクの最低限かもしれないが皆さまに対しての誠意みたいなつもりでいます

そうしながら来年も無駄にながーいタイトルで

云わなくてもいい事ばかり書いていきたいと思います

いやほんと、申し訳ございません

皆様におかれましては何卒良い年をお迎えくださいますよう

遠き空の下よりお祈りしております

そして、いつかどこかの路上で・・・



今年も冬は訪れて、また春を待つ日々が始まるのだ

2024年12月14日 | 日記・エッセイ・コラム


ボクが住んでいるのは県内にあっては寒い方だけれど

所詮、太平洋側なので真冬でもまあそれほどでもない

雪も降るけど、積もっても夕方にはほとんど消えてしまうことが多い

いつもオートバイで散歩しに行くのはここよりもっと山の方で

15分も走れば標高も500mを越えてしまうので

冬には常に路面凍結の不安がある

12月はまだギリギリなんだけど

一日中陽の差さない山影や渓流沿いの道路

あとやっぱり橋の上はどこも危ない



いつもは作手(つくで)まで行って

そこから日によってさらに北の段戸山へ向かったり

三河湖の北側を山越えしたりするんだけど

もうそろそろ作手から先はかなり(路面状況が)怪しくなってきた

千万町(ぜまんぢょう)の先の峠道は一日中ずーっとウエットだし

峠付近の路面は乾いてるような体(てい)だが黒々と鈍く光ってかなり怪しげ

こんな状況で気温が氷点下に落ちれば間違いなく凍結するだろう

その先、国道301号線に合流してすぐの切通はもう警戒レベル

山から染み出したお漏らしのような水溜まりが凍っていた

もちろん凍結イコール転倒とはならないんだけど

操作によっては事故につながる状況であることに間違いない



この日は風がほぼ無くて

日向はホッとする暖かさではあった

いつもの「涼風(の里)」に乗り入れて自前カフェを開く

通常のOD缶やアルコール燃料はすでにちょっと効率が落ちている

プロイソブタンのOD缶が冬にはいいけど

急いでいるわけでもないので

のんびりとヤカンから湯気が上がるのを待つ



今年も例年のごとく意味もなく何度もここへ来た

オートバイ乗りも年季が進むと走るルートが決まってくるものだ

若いころは、それをツマらなくて退屈だと思ったりする

刺激は確かに少ないかもしれない

でもライディングの楽しみが詰まった良いルートがあるなら

何度走っても全く飽きないものだ

それに幸いにも日本には四季があって

同じ景色でも日々少しずつ変化していく季節を楽しむことも出来る

馴染みのサクラや馴染みの紅葉があり

山や田畑、鳥や空や雲や

川の流れに風の息吹に

四季それぞれの表情がある

飽きもせずに同じ散歩道を走られるのは偏(ひとえ)に彼らのおかげだ



先日車検を終えたばかりのクロ介くん(R100RS擬き)はといえば

オカメ(エンジンのフロントカバーのこと)の下からのオイル漏れを経過観察にしていたが

ガレージの中に染みを作るようになったのでやはり修理することにした




ボクサーツインのオカメからのオイル漏れは

ほとんどがジェネレーターのシャフトのシールの劣化だ

その他にその下にある茶筒(イグニッションパルスセンサー)のOリングの劣化

あとエアクリーナーのブリードから出るオイルが垂れることもあるそうだ

今回はシャフトのシールが劣化してオイル漏れしていたのだが

ついでなので茶筒のOリングもあわせて交換した

何度も云うことだけどこのクロ介

ボクが手に入れるまで15年くらい店頭で店番していた

走行距離は12000kmとまだ少なく

外観上はどこからもオイル漏れは見られなかったが

全く動かさずに15年

ゴムやプラスチックの劣化具合は正直よく分からない

分からないけど劣化しているには違いないので

納車の時にざっとリニューアルしたけど

走りながら、馴染ませながら出てくる不具合をひとつずつ潰してきた

フロントフォークのシールやリアショックのシール

シフトシャフトのシールやニュートラルスイッチ、オイルプレッシャースイッチ

プッシュロッドのシール

そして今回のジェネレーターシャフトシール

納車時にちょうどセルモーターが死んだのでそれも交換してくれている

つまりOHVボクサーの定番の劣化個所は一通り終わった感じだ

金属系の劣化は走行距離に左右されることが多いので

30000kmにようやく到達したクロ介にはまだ先の話かな

車検の時にスロットルワイヤーの同調を頼んでおいたんだけど

これ、やっぱりすごく重要で

アイドリングからの回転上昇がパーフェクト

この辺りが古いオートバイの真骨頂かと思う



アイドリングはいま750rpmくらいで安定する

そこからスロットルを開けると身震いすることなくスーッと回転を上げる

こういうのって自分でできるといいなと思うけど

やっぱりプロのメカニックにはかなわない

ネジの緩め方締め方だってレベルが違うと感じるし

音や手触りだけでそこからボクの何倍も何かを感じることが出来る

本当にすごいよね

とにかくエンジン絶好調で走るのが楽しい

ゴムパーツの劣化はほぼ潰せたので

あとは激しいオイル消費だけかな

来年はクロ介で北海道へ行こう

北海道のペースは正直SRではしんどい

いやまだわからんけど




12月の半ばなのに今年は木々の落葉が遅いね

むしろ紅葉真っ盛りといった感じで

まだまだお山は華やかに色づいて見せる




けれどここに来て寒気の流れ込みは本格化してきたのか

北海道や東北の日本海側はすっぽりと雪に覆われたみたいだ

そのうち南岸を低気圧がかすめればこの地方でも雪がちらつくだろう

もう山を入るのはここまでかな

こんなに山は綺麗だけど

路面温度が低くてワインディングを楽しめない



今年も冬がやってきた

いつものように馴染みの景色たちにしばしの別れを告げて

春を待つ日々がまた始まる



浮気性というより単なる「阿呆」なのでしょう オートバイ複数台所有の謎に迫る

2024年10月15日 | 日記・エッセイ・コラム


自分が浮気性であるとの認識は正直ない

好き嫌いも割とはっきりしているので

意識してはいないが自分の気持ちにブレはない方だと思う

けれどもそれと同時にボクには執着心というものがほぼない

欲しいと云われるとそれが何であれ、とにかくあげたくなるし

逆にひとのモノを羨ましく思うこともない

そうだ、勝ち負けに対する執着心なんて皆無だ

あるとすれば「こうあるべき」という思いが強いくらいか

だから頑固と云われるのだ



だのにこと「オートバイ」に関してだけは

浮気性なのか、免許を取って以来

大小合わせて32台ものオートバイをとっかえひっかえしてきた

社会人になってからは複数台所有が当たり前で

クルマも必要だったので一度に多くのローンを抱えていたこともあった

馬鹿なのか、と自分でもあきれる程なので

周囲の人はきっと気味が悪かっただろう

最初に「サブ(sub)」になったのは

ホンダ CD125だった



短い一文字ハンドルにバーエンドミラーを付け、シングルシートに改造していた

1キャブのツインエンジンはマフラーも両サイドに出ていて

だいぶ違うけど雰囲気はBMWのR50のようなイメージだった

「メイン(main)」はファイヤークラッカーレッドのカワサキZ400GP

いやちがうな

カウルの付いたGPz400が出てすぐに乗り換えていたっけ

とにかく刺激的なマルチと小さい割にトルクのあるツインエンジン

このキャラクターの違いの両方に魅力を感じていた

「どっちも好き」なのだ

これは完全なる浮気性である、ことオートバイに関してはね



ホンダ CB750F(B)とカワサキ GPz900R(A7)

この組み合わせも記憶に強い

水冷4発のニンジャは逆輸入車

逆輸入車って今ではあまり聞かないけど

メーカーが国内販売は750ccを上限と自主規制していたそのころ

リッタークラスのオートバイは一度輸出されたものを

再度輸入して購入することが公然と行われていた

しかもせっかく逆輸入するのだからフルパワー仕様が好まれ

南アフリカ仕様、マレーシア仕様が店頭に並んだ

そうだ

あの当時は店頭在庫として逆輸入車が並んでいたよなー

GPzは国内ではGPz750Rがリリースされたが

排気量が小さくなりパワーも900ccの108psに対して77psと抑えられ

価格は少し安いけど

当時のスペック至上主義のライダーにこれが受け入れられる訳もなく

皆こぞってニンジャと云えば900ccの逆車に乗っていた

結果国内の750市場は消滅

その後、アメリカ合衆国の圧力もあり排気量の自主規制はなくなり

二輪大型免許も取得のハードルが下げられた



ボクはカワサキのオートバイがマイナーで「通好み」と云われていたそのころ

そのへそ曲がりな性格もあって

オートバイならカワサキでしょ、思っていた

カワサキのオートバイは地味で雑誌などでもトップで扱われることはなかったけれど

「MFP“グース”」のZ1000がオーストラリアの荒野を

200km/hで疾走するシーンが頭から離れず

いつかカワサキの1000ccで200km/hを目指す

そんな田舎のガキだった

だからGPZ900Rに跨った時

ボクはもう興奮の頂点だった(当時はね)

名神高速の木曽川橋梁で並走する新幹線をぶち抜てやるぜ、と

本気で考えたりしてたな(新幹線にはかなわんがね)

そんなころ、同時に駆け出しの社会人であったボクは

その当時の記憶が曖昧になってしまうほど

仕事が忙しくまた自らそれに没頭していた

20代後半の記憶が本当に無いと云ってもいい

大袈裟でなく朝から晩まで仕事していた

「24時間戦えますか」のコピーが流行った時代だ

みんな今でいうパワハラの何十倍も厳しいハラスメントに抗い

そいつをぶち破っていく日々だった

そんな自慢話ではなく

だから「当時の稼ぎはすごかった」という自慢だ

基本給とほぼ同額の残業代をもらっていて給料は毎月倍額あった

知らない間に貯金はどんどんたまっていく

キャッシュでクルマ買ったりオートバイ買ったり

勢いで家も建てたりした(さすがにそれは住宅ローン組んだけど)

だからたまたま見に行ったレッドバロンでコマグンの赤いCB750FBを見て

その場で契約してしまうぐらいアホだった

そんなアホなことが出来るくらい稼いだ

そのせいでその後もオートバイの衝動買い癖がついたのか

カネもないのにオートバイ買い換える単なるアホに成り下がったのだけどね



CB750Fはそんな日本の最後の750だったかもしれない

バリバリ伝説の巨摩郡の愛車

大型二輪免許は試験場でしか取れなかったので

まだまだ750(ナナハン)は憧れだった

だから店頭でこのCBに出会ったとき電気が走ったのを覚えている

ボクが買ったのはFBだったのですでに8年落ち

外装のプラ部分の塗装が劣化していたが

エンジンは快調だった

フロントから出ていた振動もフォークオイルとタイヤを交換したらすっかりなくなった

このCB750Fには正直驚かされた

何をかと云うと

カワサキとホンダの技術力、工作精度の差だ

CBのシフトペダルを操作するたびにそれがひしひしと伝わってくるのだ

ホンダのトランスミッションは短いストロークで正確に作動し少しも緩みを感じさせない

カワサキに乗ったことがある人ならわかると思うけど

ニュートラルから1速へ入れるとなぜあんなに「ガコンッ!」と騒がしいのだろう

シフトアップもどんなにタイミングをとっても頼りなくニュルっと入り

走っていてもシフトダウンがし辛い

当時はそれを技術力、工作精度の差と感じていた

750ccとは思えないような滑らかな吹き上がり

クランクに感じるトルクはあくまでもシルキー

もちろんGPzのザラザラしたパワー感はどう猛さを含み刺激的だが

ホンダのエンジンには次元の違いを感じるのだ

だからこのGPz900RとCB750Fの2台持ちは

ガサツだけど世界のアタマを狙うモノと

すでに世界に認められたトップ企業が作り出したモノというコントラストが

乗るたびにそれぞれの良さが感じられてとても面白かった

「オトコ」カワサキもいいけど、よくできたホンダも魅力的だった



TZR250とエリミネーター400

ZX12RとTL125バイアルス

R1150RTとR100RSツインショック

いろんな組み合わせの2台持ちがあったな

3台なんて時もあった



そして今はR100とSR400

この組み合わせも相当おもしろい

SR400はついこの前まで販売が継続していたから最新機種でもあるわけだけど

どっちも設計が古い点では共通している

BMWの工作精度はホンダと種類は異なるが同じく非常に高い

材質の良さも相まって実用車的な外観ながらハイブランドの説得力が強い

ヤマハにはコスト的なハンデがあるが

モノづくりへの取り組みは職人気質を感じさせ

「ハンドリングのヤマハ」と古くから云われるとおり

人間の感性に寄り添ったオートバイが魅力だ

BMWのフラットツインもヤマハのシングルも

本当に熟成されていて

70年代にすでにここへ到達していたことに改めて驚かされる

国内外のメーカーは口にはしないが

公道を走るオートバイに必要なものは過剰なパワーでなく

扱いやすいトルクフルなエンジンと

軽量で反応がわかりやすい車体

そして操ることの面白さ

これらの方が重要だと気付いていたように思うのだ

なぜならSR400はリリースに当たって「ヤマハスポーツ新時代」と打ち出し

日常域でのスポーツ性を提案していたし

BMWモノサスフラットツインたちは排気量800ccを基本し

1000ccのエンジンも最大パワーを捨ててトルクの出方を低速寄りへと変えた

それはパワー競争のメインストリームが水冷直4のKバイクへ移ったことで

フラットツインは本来のツーリングバイクとしての実用性に重きを置いたからだ



この日常域、実用域でのスポーツ性と云うのは

現在日本で進むライダーの高齢化にもマッチしていると感じる

大型オートバイの走りは非常に官能的ではある

あのパワー感は大型オートバイにしかないものなのだ

しかし公道での過剰なパワーは非常に危険である

その危険をわかったうえで大型オートバイを扱うわけだが

年齢が上がると、経験があるが故に、自分の衰えに気付いてしまうものだ

だから多くの人がダウンサイジングを考える

カブに乗ってトコトコ走ろうか

スクーターに乗り換えようか

危ないなと思ってはいても決して降りたい訳ではないのだ

ボクも一時期そう考えてカブとかエストレヤなんかに乗ったりしてたけど

排気量落としてパワー落として

軽くして足付き良くして

みたいな事すると絶対に単につまらなくなるだけだ

諦めだからね、それは

そうじゃなくてオートバイを感じる選択をしなくちゃいけない

ボクの場合はそれは「操る楽しみ」だった

だからしっかりとした車体と最低限のトルク感

そして感性に合うハンドリングが必要だった

それは実はSR400に乗って気付いたことだった

アタマではなくカラダの方が良く分かっていた

SR400は官能的なのだ

そしてもう一方のR100

このフラットツインのトルクに包まれてワインディングを流す時

SRとは質は異なるが実に官能的だ

R100はコンチネンタルツーリングで評価されたモデルなので

長い距離を一定のスピードで駆け抜ける性能に特化している

だから日本の狭くて勾配のキツイ屈曲路はあまり得意ではない

けれどペースを守り無理に攻めたりしなければ淡々と走り抜ける

これはこれでなかなかどうして魅力的なハンドリングなのだ

縦置きのクランクはヨー方向の動きが機敏で

バンキングへの移行がまるで無重力

コーナリングは(いわゆる)アンダー傾向なので

増し切りやリーンインが必要な時もあるが

決してコーナーを攻めてはいけない

R100のペースを守ることが何より大切なのだ

そういう意味でR100はとても面白いオートバイなのだ

もちろん長距離ではこれ以上頼りになる相棒はいない

全く性格の異なる2台だが

ひとつのスタイルを完成させた奥行きと深みを味合わせてくれる

どっちもいいんだよなー

浮気性というより単なる「阿呆」という方がしっくりきそうな気もする


ガソリン臭くて音がいっぱいでるオートバイはもう作れません、だけれども

2024年09月13日 | 日記・エッセイ・コラム


日本自動車工業会がまとめた2023年二輪車市場動向調査によると

新車購入者の実に89.5パーセントが40代以上だった

50代から上に絞ってもなんと73.2パーセントをも占め

オートバイはもはや老人の趣味と云ってもよいと思われる状況だ

実際に乗っている人はどうなんだろう

たぶん同じような傾向なんだろう

ヘルメット脱ぐと禿アタマなんてのによく出くわすし

事故の記事でもライダーが50代というのをよく目にする

オートバイはむかしは若者の乗り物なんて云われていたし

速くてスポーティーなモデルの人気があった

馬力がいくつだとか

気筒数がとかDOHCエンジンだとか

0-400なんて気にする人も多かった

ずばりスペックがそのまま性能を表していた時代だった



それから何十年も経った今

工業製品の進化は行きつくところまで行ってしまって

スペックだけでは他社との差別化が出来なくなっている

どの製品が優れているのか分からないとも云えるし

どれも優れているから各自の嗜好によって選択できるようにもなったわけだ

しかしその結果

単に売れるということが性能になってしまったようにも見える

モーターサイクルショーに行くと各ブースの混み具合で人気がわかるが

近頃のホンダブースの人気はすさまじくて

天邪鬼なジジイは「そんなにいいか?」と近寄りもせずに帰ってくるくらいだ

ライダーのニーズはホンダにあるのだろう

けどね

オートバイは趣味の乗り物ですよ

マジョリティって必要なんですかね

それはメーカーは営利企業なので売れることはトッププライオリティでしょう

だからといってホンダのオートバイが良いとはならないのが趣味の世界のはず



モーターサイクルショー

いろんなモデルに跨ってみたけどポジションも楽なものが多かったように感じる

その辺りは流行りもあるのだろうが

購入者の年齢的なことも理由にあるのだろう

でも外見だけは派手な方が好まれるようで(というかカネが獲れる)

押し出しの強いデザインが主流だ

タイヤも太すぎる

カッコいいけどね

あと、ケツがシャチホコみたいになってるとか

逆にケツをごっそり取っ払ったボバースタイルとか

デザインバランス崩れる程長いスイングアームとか

妙なものが流行る

でもね

いちばん気味が悪いのは「ヘリテージモデル」かな

購入者の大多数を老人に占められてる以上当然の帰結なのだろう

「売れそう」なのだ



ハーレーダビッドソンには古くからヘリテイジと名付けられたモデルがあったが

復刻というより継続に近い本来の意味を持っていた

ヤマハのSRなんかに近い

時代が変わっても絶対に変わらない魅力はある

まあ最近は老い先短いユーザーにおもねていると

売り上げが先細りするのは必至なので(なんせ売り上げ至上主義だから)

ハーレーダビットソンなんかはユーザーの若返りに必死だ

はっきりいって伝統ってだけではもう生き残れないと思っているのだろう

ヘリテイジの潮流はハーレーダビットソンから生まれて

BMWモトラッドのRnineTで完全に1ジャンルとなった

ピアッジオのグループではモトグッチが

インドではロイヤルエンフィールドが

そしてイギリスの栄光はトライアンフが

それぞれ昔の名前で出ています、まるで場末のクラブホステスのように

ヘリテイジとかネオレトロとかで括られるモデルの何たる不気味さ

それもこれも購入者のニーズの反映だということらしい

ニーズは性能か



資本主義経済とは大河の流れに似ている

低い方へより低い方へ

穿ちやすく浸食しやすい方へ

より多くの水源を集め巨大な流れを作る

その姿が果たして本当に求めていた姿なのか

当の本人にも分からないしそんなことはどうでも良いらしい

存続だけが目的なんだろう

ニーズの反映は資本主義では当たり前だが

それだけでは確実に魂を失くしていくように見える

アグスタの最新3気筒エンジンを載せたスーパーヴェローチェに目を奪われても

XSR900「GP」には失笑しか出ない

プライスタグはまあ半額以下なんだけどね



ボクのオートバイたちを面倒見てもらっているテックMCは不思議な空間で

店の前にスズキのGT750があったりピカピカのZ1300がいたりする

クラウザーのR100とかちょっと古いモトグッツィのカリフォルニア

愛知県の限定解除ジジィには馴染みのスズキGSX750Eもいる

こんな奴らが当たり前のように並んでいる

オートバイの本質と魅力は「機能」にあるべきとボクは思うが

スペック至上主義のこの時代のオートバイたちも

実は相当に個性的な魅力を持っていたことに改めて気づかされる



自分のSR400で走っているとよく感じるが

いろいろな場面でSRが話しかけてくるのだ

もちろん言葉を発するわけじゃなく

ボクの五感をとおしてSRが伝わってくる

キツイ勾配でクランクに負荷がかかった時

ハイスピードでコーナリングする時

低い回転からスパッとスロットルを開いた時

様々な場面で様々な反応を返してくる

スロットルからシートからステップから

そんなオートバイが発する声に耳を澄まして

一体となって自在に操ることに没頭できるよろこび

オートバイは単なる移動の道具ではない

モビリティ?まさか

「キリン」

ポイントオブノーリターンのキリンがなぜ「カタナ」で空冷ポルシェに挑んだのか

それは恐怖と自信のアンビバレントの平衡に自身を置きたかったからだ

90年代の空冷デスモたちがクリッピングポイントへ切れ込みながらライダーを試す

それで操っているつもりなのか、と



XSR900は面白そうだけど

XSR900GPを見た時ほんとうに笑ってしまった

「そこまでして売り上げが欲しいのか」

感想はそれだけだ

エンジンが、とか操安が、とか何をどう云われても後付けにしか聞こえない

そしてそうやって稼ぎ出した利益は何を生み出すのだろうか

タイやインドのストリームを日本へ持ち込むストーリー作りにメーカーは一生懸命だ

所得水準がまだまだ低い国で安く作ったものしか日本で売れないのだ

日本人はあんなにカネを持っていながら給料が足らないとうそぶく

贅沢で自堕落な生活をしながら上ばかり見上げて足元を見ない

セレブたちのカネに寄生しているだけのプロダクトが羨ましくて仕方がない

幸せになれないのはカネがないからだと本気で思っているみたいだ

はっきりいってこんな連中が作り出すニーズなんてクソだ

燃料計、要らないね

ギアポジションインジケーター(長!)、カッコ悪い

ライディングモニター、クソが

インカムで楽しくおしゃべり、反吐が出る

スマホホルダー

ドライブレコーダー

USB端子

おえっ(吐きました)

楽しむなと云いたいのではない、むしろその逆で

オートバイはもっと楽しいんだよと伝えたい

豊田章男もかつて云っていた

「僕はね、ガソリン臭くてね、燃費が悪くてね、音がいっぱいでる、

野性味あふれるクルマが好きなんです」

クルマもオートバイも原点はそこに在るべきだと思う

メーカーはレガシィーとかヘリテイジとかアイコンとか持ち出す前に

オートバイを主張するべきではないのか

それでは売れる前に会社が潰れてしまう?

趣味の世界のファンタジーを提供する会社の云う事じゃない

原付が飛ぶように売れた頃と比べても仕方ないが

主婦層までターゲットにするクルマとは違うのだ

自転車を積みたい、みたいなニーズはないのだよ

それでもマツダにはできたのだからきっと不可能ではない筈だ

着せ替えしてまで利益を獲りに行きたいなんてすでに終わっている



そもそもカネで買えるモノの価値なんて買った瞬間にゼロだ

なぜならそれは消費することですべてが完結するからだ

マスプロダクトのプレミアムって何?

今はまったくつまらないカワサキなんだけど

これまでのカワサキの市場戦略はいつも新鮮だった

ゼファー、ニンジャ250

やりすぎたと思っている時にそんな風を吹かせてきた

そしてそれはいつも「原点回帰」の提案で

オートバイの場合、そんなモノづくりの方が支持されるべきだと思う

懐古趣味ではなく原点

ただボクたちむかしライダーにも少し責任はある

ネットを見ると用語すら出鱈目になりつつある

エンジン始動することを「エンジンをつける」と云ってみたり

単なるアイドリングを「暖気」と云ってみたり

ユーチューブには素人のしかもキャリアも浅い乗り手による

インプレッションや比較動画があふれ

「やっぱりホンダを買うのが無難」という論調が目につく(カネもらってるのか)

そんなクソメディアの影響力は強い

メーカーとがっちり手を組んでいるのか

オートバイが売れないと困るというような表現が多い

そもそもオートバイそのものでなく

移動していった後の楽しみを訴えてばかりだ

そしてその背後には間違いなく利益をむさぼろうとする輩が潜む

つまりボクら年寄りが正しくオートバイを伝えられてこられなかったのだろう

メーカーも減少し続ける販売台数に苦しみ

安易にマーケティングに頼りすぎ

売れるモノが良いモノいう方程式になっていないか

ハンターカブもレブル250も(ついでに女子も)見かけないテックMCの店頭

(いやもちろん店の大将はそこにこだわってるわけじゃないとは思うけどね)

なんだかボクには居心地がいいと感じる

ガラガラと引き戸を開けて店に入ると

ガソリン臭が鼻をくすぐり

「こんちわ」と人懐こい笑顔で大将が迎えてくれる

これを時代遅れの懐古趣味と一蹴するのは簡単だろうが

工業製品が進化し続けるなどという

もはや神話のような考え方もどうかと思う

あのころも実はスペックが性能ではなかったのだ

オートバイの持つ魅力を正しく残していってもらいたと

老いぼれは禿げたアタマを掻いているのだ



真夏にエアコンの効いた部屋に閉じこもってライディングを科学するロートルライダー

2024年07月28日 | 日記・エッセイ・コラム


猛暑日という言葉もそろそろ定義を変える時期に来ている気がする

35℃なんて当たり前なんだからただの夏日でいいんじゃない

もうこれからは37℃以上で猛暑日だね

やっぱり体温越えてるかどうかは明確に違う

体温越えの気温ではヒトのホメオスタシスは機能しない感じがしている

オートバイは真夏はオフシーズン

エアコン効かせた部屋の中で妄想は膨らむばかりだ



サンディエゴ・パドレスのピッチャー ダルビッシュ有と

元WBC日本チーム監督の栗山英樹との対談記事をネットで読んだ

印象的だったのは多くは野球経験者であるコーチではなく

データ収集や分析が役割のアナリストをスペシャリストと云っていたこと

自分の感覚と科学的分析を照らし合わせ

そこから課題を見つけ改善点を探っていくやり方は

今のメジャーリーグでは普通のことだと教えてくれる

経験も大切だがその裏付けに科学的なものを持っている必要があると

ダルビッシュは云い切っていた



オートバイのコーナリングは奥が深い

それはヒトの感覚と物理法則という相容れ難い要素を持つからか

またはライダーとマシンそれぞれの重心と運動系を持つからか

ライディングがスポーツであるなら

やはり科学的な分析や裏付けは必要ではないかと思う

恥ずかしいからあまり大きな声では云わないけど

オートバイのことがなんでそこまで好きなのかと云えば

操ることの面白さなんだと思っている

上手くいったり下手クソだったり

どこかで何かをカジってきてはそれを試しながら走る

そんなことをもう40年近くやっているような気がする

辻司、根本健、和歌山利宏

ボクの理論の柱はこの人たちの「言葉」だ

どうにもしっくりこないのは

佐川健太郎(ケニーとか自分で云ってる痛いオッサン)、柏秀樹

あとはほとんどの元レーサーたち

そもそもレーサーなんて科学以前に自分の感覚だけで走れている人が多い気がする

あの人たちにひとを教えることなど所詮無理なのだと思う

そもそも感覚を表現する「言葉」(理論)を持ち合わせていない

ライダーは進入で「Dive into the corner」して

「Get the inside」で旋回する、なんて文章に寒気がする

云っていることは感覚としてはわかる

でもこれが「ライディングの科学」の一節とは到底信じがたい話だ

そもそもヒトの感覚はめいめい大なり小なり異なっているものだ

だからライディングにも科学的な根拠が必要な時期にそろそろ来ている

コーナリングとはオートバイの運動なのか

それともヒト(ライダー)の動作なのか



ヤマハのモトボットの研究は

コーナリング論争に大きな楔を打った

オートバイが直進の安定状態から

どうやってリーンを開始し旋回に移ろうとするかを「科学的」に解明した

それどころかライダーの体重移動が実は不要だとも結論付けていた

旋回へ移行したオートバイが自分で曲がっていく(セルフステア)ことも

ステアリング軸とフロントフォークのオフセットや

キャスターアングルなどの操舵系の構造や

キャンバースラストやスリップアングル

オーバーターニングモーメントなどのタイヤが生む様々な作用で説明可能

グリップの強度もセルフアライニングトルクの増減でライダーは知ることが出来る

しかし本当にジオメトリーだけでオートバイが走るなら

ライディングのミスはなぜ起こるのだろうか

オートバイの動きだけにフォーカスされすぎて

体重移動なしに可能というだけで

ライダーがそこに関わるファクターを蔑ろにしていないだろうか

たとえは唐突だけれど

愛のない結婚は可能だとしても

そのことが男女間の結びつきに愛が不要だとは云えない

この位レベルの低い論理に聞こえるのはどうしてなのかな

読めば読むほど突っ込みどころがまだまだ満載な結論に感じるのだ



とりあえずこのステアリングのトルクステア制御に関しては

以前から倒し込みの方法として云われてきたもので

逆操舵とかカウンターステア、フェイントステアなんていう

クルマのドラテクでは別の意味に使われている言葉で表現されていた

辻司の「ベストライディングの探求」(1985年刊)

ボクのライディング探求はここから始まっているけど

その中にすでに「あて舵」と紹介されている

モトボットを引き合いに出して

オートバイのコーナリングは体重移動ではなく

このあて舵とセルフステアのバランスをとってコーナリングするのだ

と云い張る人は一定数いるが本当にそんなことが可能だろうか

もしくは速度域が人の認知能力をはるかに下回る極低速での話をしているのだろうか

公道のほとんどのコーナーがブラインド(出口まで見渡せない)の状況で

一瞬たりとも状況判断を遅らせられずもちろん見誤ることもなく

コーナーに合わせてステアリングトルクをコントロールするなど

コンピューターとセンサーなくして不可能だ

たとえ50km/hでも1秒間に14mも進んでしまうんだよ

鈴鹿の130Rに180km/hで進入してみたらいい

ちがうかな、どうだろう

ベストライディングの探求の辻さんのすごいところは

ただステアリングを押すのではなく

体重移動のための身体の移動と同時にグリップを押せと書いているところ

これは感覚と一致した動作に思える

だけどね

その辻さんもライダーが筋肉を動かしてすることと

そのフィードバックを感じることを混同してしまっている

これ、よくある「ライディングテクニック表現の誤謬」

運動神経を使ってすることとその結果、感覚(知覚)神経が感じるフィードバックを

同一視、もしくは混同している

しかも辻さんは(ボクは辻さんリスペクトしていますけど)

コーナリングのきっかけはイン側ステップへの荷重だ、と断言している

ご丁寧に、荷重と踏んずけるは違うから気を付けてとまで書いている

意図するところは間違ってないのだろう

でも、踏んずけずに荷重するは正直わかりにくい

なぜか

それはイン側ステップへの荷重は体重移動の結果であって

イン側の足からの感覚神経のリアクションに過ぎないからだ

言葉が定義されてもおらず使い方も曖昧

それよりももっとダメなのは

イン側ステップに荷重はしないでしょ?

イン側の足って基本ぶらぶらだよね、だってライダーは基本シートに乗っかてるから

極低速での車体コントロール以外でイン側ステップに乗る事ってないと思うけど

ちがう?

身体がロールしていく動きをイン側ステップへの荷重と感じて(考えて)しまっているだけで

内尻(ほんとは股関節)か外側の膝とか脚とかに荷重されてないかな

(オートバイに触れているのはそこだけだから)



佐川何某のライディングメソッドにダメだしするというブログ記事をたまたま見つけた

(佐川健太郎氏「バイクテク」にダメだし☆はじかれる反論)

おそらく骨格とか筋肉なんかの運動学を学んだ人だと思うんだけど

(ご本人は動作研究者、パフォーマーと名乗られておられる)

この記事に出会ってボクは興奮した

それはコーナリングの科学とはヒトの動作の科学だとうっすら感じていたからだろうか

コーナーへ向けてライダーが重心を移す動作は

彼が書いていたとおり「背骨を弓なりにする」ことが必要だろう

左へ重心を移動するのなら(左コーナーへ向けて)左の脇腹を開くような格好になる

(ここが重要なんだけど)特に意識は必要ない

意識するなら左肩関節(左上腕)が内旋し肩甲骨がずり上がることと

その結果として上半身のスパイラルライン(筋膜の連鎖)によって

骨盤の右側が肩に近付こうとする(引き上げられる)こと

つまり骨盤は左足の股関節を軸にして左へ回旋する



わかりにくいね

左カーブへ進入する時

背骨を弓なりにして左脇腹を付きだす(左に凸)ってこと

その時、左の肩と骨盤の右側が互いに引き合うような動きになっているかがポイント

違うかもしれない

でもこうするだけですべての辻褄が合う

イン側の肩を内旋する動きはあて舵になるし

イン側の肩がずり上がりアウト側は下がる

イン側の股関節に荷重を感じ

タンクがあればアウト側の膝や脚全体を介してそこに荷重が乗る

ただし下半身は実は何もしなくてもいい

骨盤は上半身の動きに合わせて動くはずだからだ

しっかり重心移動の動きが出来ていると

オートバイは経験したことがないほどスムースにコーナリングしていく

これは右利きの人が右にコーナリングする時顕著に分かる

どこにも力みのない、だから恐怖心や疑念もない

無重力のような気持のよい世界にいられる

力みが無いので対向車や路面の変化にも落ち着いて対処が出来るし

そもそもコーナリングスピードがあきらかに上がっているのを感じる

深く突っ込んで一気に向きを変えて旋回を楽しめるのだ

手足の使い方や頭の位置

ブレーキングだったりトラクションだったり

各論的なものも知識としてはあった方がいいと思うけど

そこではそんなすべてが完成されたパズルのようにピタリと嵌まっていることに気付くだろう

コーナリングを科学的に解析するとはいえ

コーナリングをあまり複雑に考えるのはやはり違う

鈴鹿8耐を久しぶりに最初から最後まで見たけど

ライダーたちの動きはみんなシンプルでナチュラルだった

コーナリングに必要な科学的根拠

それは結果的に気持ち良いコーナリングになっているはずだ



ただもちろんこれは結論ではない

なぜかといえば

やはりオートバイがそれ自身で曲がろうとするメカニズムは確かにあるからだ

そしてそこへライダーが動きを合わせているだけなのだという感覚もある

けれど直進状態の安定からコーナリング状態への安定へ移行するためには

絶対にヒト(ライダー)の意志とアクションが必要だ

オートバイが曲がるのか

ライダーがオートバイを曲げるのか

と云えばやはりライダーがコーナリングさせているのではないのだろうか



ながながと独りよがりな机上の空論をお読みいただきありがとうございます

興味がある方は一度お試しあれ

交差点の左折で左の脇腹を付きだすだけで

(無意識なのに)ステアリングが大きく右に振り出され

次の刹那には何事もなく左へステアしていくのを体感した時

確実な重心移動の大切さを目の当たりにしてしまって興奮したって訳です


たとえリスクを上回る楽しさがあるとしても、君を想う人がいることを決して忘れるな

2024年05月13日 | 日記・エッセイ・コラム


毎週週末が近づくと

また誰かが死ぬのかなと漠然と思う

そして実際に週末のオートバイ事故のニュースを目にして

その度に暗澹たる気分になるのだ



自分では注意しても防ぎきれない事故はある

けれどカーブを曲がり切れずとか

自分で防げる事故もとても多い気がする

白バイ隊員が右直事故にあったニュースを見て

右直事故の難しさを痛感したが

右直事故(側道、駐車場からの進入を含む)こそ

ボクたちライダーが最も気を付けるべきもので

経験と意識と技術がとても大切になってくる

しかし、かく云う自分だって

今日右直事故にあわないという自信はない

自信はないがこれは防げる事故だと思っている



オートバイに乗り始めた頃

走るたびにドキリとしたりヒヤリとしたりしていた

けれどまずはこの体験がものを云う

急に横からクルマが出てきたことにドキッとするとは

全くそのクルマの存在がノーマークだったということだ

けれどその時、ドキッとしたクルマの存在に本当に気付けない状況だったのか

自問することが重要だ

警察のネズミ捕りにあって

「汚いやり方だ」と抗議したら

レーダーの見える場所まで連れていかれて

「隠してないでしょ」と云われた

警官が云うとおりレーダーは100m手前から確認できたし

それが小さな子供だったり進入しようとするクルマだったら

見逃しているということと一緒なのだとも云われて何も返せなかった

追尾してくる白バイだってそうだ

良く周囲を確認していれば白バイはミラーで確認できる

こういった体験からの気付きが「経験」になっていくのであって

最悪なのはシビアケースに会っているのにそれに気付いてもいないこと

ヒヤリとしてもそれから学ばないこと

それではいつになっても事故のリスクを減らしていけない



そして実際に交差点や路面に店が並ぶ幹線道路を走る時

ボクはいつも「右直右直」と声に出して意識するようにしている

そういう場所ではなるべく自分と他の交通との位置関係を変えずに

(身軽なことを逆手に取ったすり抜けや急な進路変更は最も危険だ)

出来れば回避できる場所を常に意識する

F1パイロットの中嶋悟がレース中は常に自分の位置を

上空から俯瞰するように捉えていると云っていたが

まさにそれが理想だ



その上で急制動の技術を上げておく

リアの意識的なロックや

ABS搭載車なら確実にABSを効かせられるレバー入力



経験と意識と技術



それに比べて単独の自爆事故は原因がはっきりしている

脇見か技術不足だ

運転中に前方を注視するのは大原則だ

周囲の状況を(俯瞰する如く)確認しながら

前方に常に意識を向けていれば事故はかなり防げる

とにかく自分が事故の第一当事者になってはいけない



そして自爆事故

もちろんコーナリング中が多い

路外に逸脱するだけでなく

反対車線の交通を巻き込んだりもする最悪の事故だ

そこで問いたい

「あなたはオートバイをどうやって曲げていますか?」

どんな方法でもいい

自分なりのコーナリングメソッドははっきりさせておくべきだ

カーブが苦手なんて臆面もなく云ってるやつはどうかしてる

曲がり方が曖昧なのによくも公道で走ってるな

スピードのコントロールもコーナリングの内だ

リアブレーキ使えてますか

ブラインドの先に自転車いたらどうしますか

濡れたマンホールがライン上にあったらどう回避しますか

こんなことも出来ずに今まで公道をおしゃべりしながら走ってたなら

それはただただ運が良かっただけだ

そしてその運はいつ不運に変わるのかもわからない



もちろん最初にも云ったが

事故は防げないケースも多い

だからどんなに経験しても意識しても

どんな技術を身に付けても

事故にあう可能性はゼロにはならないだろう

ボクだってこんなに偉そうに事故を語っていても

今日オートバイで事故にあうかもしれないのだ

けれど防げる事故も必ずあると信じる

毎週毎週オートバイの事故のニュースなんて見たくないのだ



ロングツーリングに出掛ける前日だけでなく

明日オートバイに乗ろうかなというと

なぜだか漠然とした不安感が少し心の隅にあるのをボクは感じる

心配性だなんて恥ずかしいなと思ったこともあるけど

これが事故に対する不安からのものならば

この感じはとても大切なことだと今は思っている

オートバイに乗ることはとても楽しい

リスクを上回る楽しさが確実にある

けれどキミを心配してくれている人のことを絶対に忘れるな

キミはたとえ事故で死んでも後悔すらできないけど

キミの死が残された者のその後の人生をも左右することもあるのだから



さて

いよいよ来週は久しぶりの長旅に出ます

事故に気を付けていってきまーす

とりとめもなく桜の下で悪態をつくイヤなひと

2024年04月13日 | 日記・エッセイ・コラム


開かないのかと思ったら一斉に咲きだして

咲き始めたと思ったら

春の嵐に一気に散ってしまった

今年のサクラは本当にあっという間に通り過ぎて行った

山を見渡せばすでに木々は萌黄色の芽を吹き

一年でいちばん気持ちの良い時期に入った



北海道へ行く準備をぼつぼつ始めようかと思うが

フェリーの予約をしてしまうと

もう他にあまりやることはない

大まかなルートは決めてみたけど

一日に300kmか400kmと考えると

なかなかにしっかりとした行程は組めないものだね

前にも書いたけど

野付半島の道道950号線と

神威岬には行きたい

あとタウシュベツの橋梁がもう崩れそうなので見ておきたい

そうだな、前に食い損ねた豚丼は帯広辺りで泊まれば食いに行くか

雨のことは考えても仕方ないけど(カッパを着るだけ)

時期的にまだ寒いんじゃないかという心配はある

まあ都市部にはイオンSCとかあるのでどうにもならなければ現地調達だ



SR400はというと

タイヤが少しあやうい

特にフロントにはヒビが見られる

間に合えばタイヤとチューブは交換しておこう

暇を見ては各部の締め付けをチェックしているけど

工具は持って行った方がいいな

チェーンオイルも持参だ

本当に荷物は最小限と思っているけど

やっぱり1週間、2000kmとなると

そうはいかない部分も出てくる

任意保険のロードサービスは100km無料

さらに修理後の搬送も全額無料

なんと帰宅旅費までもらえる

これはありがたいし頼りになる

もちろん本当にお世話にはなりたくないけど



国道でなく出来るだけ道道を走りたい

帯広から釧路そして別海、標津へ続くルートを見つけた

あと能取湖からサロマ湖、留辺蘂へ抜けて上士幌なんてのもある

どこを走っても北海道は平均速度50kmで予定が組めるから

見つけたルートをその日の感覚でつなげて走れる

その日毎の目的地(宿泊地)を決めれば

あとは10時間くらいで走れるルートを作る

途中2回くらいのんびりしても400㎞くらいは走れるかな

天気が悪いと逆に距離だけ伸びるけどね

そういう日は移動日と割り切って走ることにする



それにしてもフェリーで足掛け3日というのは何とも遠い

ちょっとした異国感覚だ

アイヌ語もじりの地名も雰囲気を盛り上げる

事故にだけは気を付けて

久しぶりのロングツーリングを楽しみたい



あんまり話題が無いので唐突だけどこのごろ気になる2題

とは云え批判的な悪態だけど



名古屋モーターサイクルショーに行ってきた

去年久しぶりに行って

もう次はないな、と思ったのにね

新車の展示会なので当然だけど

あまりオートバイの本質には出会えない所だ、あいかわらず

利益と妥協の狭間で生み出されるオートバイは

どんどんつまらない乗り物になっている

商品が顧客のニーズの反映であるならば

今のライダーはとってもつまらない楽しみ方をしているように見える

誰かが、どこかのメーカーが

「王様は裸だー!」と叫ばなくてはいけない所まで来ている

ボクにはそう見える

年寄りのボヤキではない

オーディオ、写真、と趣味を奪われた経験から云っている

物が売れるかどうかが頼りの資本主義経済の弊害

資本主義は間違いなく多様な人間性という部分でその本質を軽視する

多様性とは程遠い経済至上主義




キャブレターの外見に似せたインジェクター

エンジンフィンを持つ水冷エンジン

カウルの中のコストカットエンジン

ギアポジションインジケーターなんて素人臭い装備

燃料計?信じたことないね

そんなものいるか?

そしてその方がクールだ

人間の感性と適応力を活かした方が趣味にふさわしい

SR400のキックインジケーターなんて

仕組みがわかればもう見ない

因みにSR400のキックスタートに必要なのは

踏み抜くことではなくキックスピードだよ

まさにキックだ







ライテクの話

ライテクと云うとみんなちょっと身構える

おそらくどこまで行っても確信が持てないからだろうな

それがスポーツ性であり趣味性につながっている訳で

ボク自身はオートバイに乗る意味はここにしかないと思っている



最近ヤマハの元エンジニアとか元GPライダーとかが

プッシングステア(ステアトルク制御)とか非セルフステアとかいって

「逆操舵」を喧伝しているのをよく見るけど

あれ、やばいね

云ってることはもちろん間違っていないけど

ライテクを語る時にそれらしい造語を出すと誤解を与えることが多いと感じる

40年くらい前にオートバイ誌で盛んに云われた外足荷重とか

抜重、荷重もそうだね

逆操舵って雰囲気ではわかりづらい

でも、下りの小さなコーナーが続くワインディングでは

おそらく誰もがやっていることだ

多分あれのことだと思う

シケインの切り返しなんかで

GPライダーが素早く切り返すためにハンドルを抉ることはあるけど

あれとはちょっと違う(原理は同じか)

下りコーナーで意識すればわかるけど

逆操舵というよりIN側の保舵に近い

肩と肘を畳んでIN側のグリップをホールドする

逆操舵のタイミングでフロントの接地点がIN側へ移動すると

キャンバースラストが生じてオートバイがリーンするというけど

リーンしただけではオートバイは曲がらない

車体がリーンしたことで遠心力が発生するが

それとタイヤのグリップによる反力がバランスする

このリアの内向きのタイヤのグリップ力とキャンバースラストに

フロントがセルフステアすることで曲がっていくのだ

舵が切れないと曲がらない

極端な例を挙げれば極低速なら左にリーンしながら右へ曲がることが出来る

これは舵が切れているからだ

リーンはコーナリングで発生する遠心力に効率よくバランスするためで

遠心力を受けた車体がタイヤのグリップという反力を受けて曲がっていく

キャンバースラストよりこちらがメインだろう

そして車体の行き先はフロントの舵が決める(スリップアングルが付くけど)

とはいうもののコーナリングはそんなに単純ではない

スピードやコーナーの曲率

重心位置や車体の姿勢などすべてが常に異なっている

IN側への体重移動の準備をしながらブレーキングし

IN側のグリップを保舵すると

ジャイロモーメントによるバランス状態が一瞬破綻して

車体がリーンを始める

(これを逆操舵と云っているようだ)

リーンと同時に車体には遠心力がかかるので

それと同時にOUT側の踏ん張りを解いて

IN側へ圧し掛かるように体重移動するとグッと旋回を強める

スロットルとリアブレーキで加速力を調整しながらトラクションを高め

さらに内向力を高めるため頭を低くして加勢してもいい

エンジニアの人もリーンを終えたらセルフステアに移行すると云われている

けれどそのあとリーンアングルをさらにプッシングステアで調整するとも説明されているけど

それって単に話を複雑にしていないですか

結果的にはそうであっても意識をそこへ持って行くのは

実際のコーナリング状態では危険だと思う

やってみればわかるがプッシングに気を取られすぎると

スピードコントロールが後手後手になる

スロットルでトラクションと遠心力を探りながら旋回していけば

無意識下でもステアリングの保舵力は調整されている

この「無意識」こそが真の意味でのライテクであって

身体の動きや操作をすべて分解して名前を付けるのがライテクではないと思うが

どうですかい



けれど「逆操舵」とか「プッシングステア」の言葉はどうかと思うけど

プッシングステアは皆が大抵やっていることだ

だから理論的には絶対に正解で間違えではない

ただ単に逆操舵だけを意識的にするのは結構危険だと思う

逆操舵は結果であって反対側にハンドル切るっていうニュアンスとはかなり違う

オートバイはあくまでリアタイヤを主に考えるべきで

フロントを何とかして、はやはり危うい

同じ2輪の乗り物「自転車」みんな乗れると思うけど

初めて補助輪を外した日に

何かすごい理論を理解した訳じゃあない

「バランスをとるとは」を身体が理解したのだ

今それを乗れない人に説明しろと云われてもできない

「右に倒れそうになったら左へ逆操舵するんだよ」

これでは絶対に理解できない

名前を付けて理論ぽくしたいのはわかるけど

(カッコいいからね)

頭で考えるより身体で感じる方が大切

Don’t think.Feel.(by ブルースリー)

余談だけど

縦置きクランクのフラットツインは

スロットルの抜き差しでこのジャイロモーメントの抜き差しが出来るよ



はー、熱くなりすぎたよ


聖地巡礼、さよならドライブ

2022年04月27日 | 日記・エッセイ・コラム
仕事辞めればいくらでも好きな時にオートバイに乗られると思ってたけど

実際はそうでもない

全然乗れてない

この間、「涼風」行ったときはまだ桜のつぼみも固くて

まだ10日くらい先かな、なんてぼんやり考えてたら

あれからもう20日くらい経っちまった





桜はすでに葉桜で、山肌は萌黄色に染まっていた



この前日に行ってきた「聖地巡礼」で買ってきた「みのぶ饅頭」

塩味が絶妙な素朴な味

地べたに座り込んで山の新緑を眺める


「聖地巡礼」は実はMAZDA3とのラストドライブでもあった

ごたごたの日々でほとんど乗ってやれず

仕事を辞めてからはほとんど走らせていなかった

かわいそうだな

と思ってから売却までに時間はかからなかった

最後にちょっと遠出したわけだ















さて、ここはどこでしょう?

個人的には恵那ちゃんのバイト先のデイリーストアがテンションMAX


MAZDA3は黄色いナンバーのアクションカーに化けて帰ってきた

キーーーーーン!

ってやつね



スウェーデン製のモノ、持ってます?

2022年04月20日 | 日記・エッセイ・コラム
日本人は日本製になぜかひどく自信があるようだけれど

特に工業製品は日本製がいちばんだと思っている節がある

中国製のものを粗悪品だと端から疑わないが

1950年代の日本製品は粗悪品の代表格だった

時代は繰り返す

中国製が粗悪品だという前に

安物ばかり捜しまわっている自分に気付け


で、今日の話は「スウェーデン製」

スウェーデン製といって思い浮かべる物って

たぶん、ボルボしかないと思う

でも、ボルボは乗ったことないけど

トランギアはかなり愛用している

最近ではメスティンでよく見るけど

僕にとってはトランギアといえばアルコールバーナー(一般的にはアルコールストーブ)

風にものすごく弱かったり、燃焼の調節がむずかしいので

ほとんど使ってなかったけど

固形燃料的な使い方をするYoutubeを最近よく見るようになって

また、引っ張りだしてきた

そして思い切って「ストームクッカー」を買ってしまった



トランギアの製品はイワタニプリムスが輸入しているからか

製品パッケージや包装が日本人好み

スウェーデン製ってよくわからんけど

パッケージの中にアウトドア心をくすぐる冊子なんかが入っていて

とっても感じいい。

バリがどうとか、キズがどうとか、小うるさいこと言うやついるけど

あんなマイナーな製品をあの価格で流通させるコストを考えてみなよ。

だから、「ストームクッカー」めちゃ高い

普通のカセットコンロなら3台買える

おしゃれ高級カセットコンロでも余裕でおつり来る


でもね、アルコールバーナーのためにあそこまでやるトランギア

好きだね

あの「ストームクッカー」の徹底ぶりにやられる

1925年に製品化したアルストを販売し続け

その性能を最高に引き出すストームクッカーも開発しているしつこさ

アルストは現在ではそれほど軽量でもないし

アルコール燃料の優位性もそれほどない

しかもストームクッカーに至ってはもう「かまど」級のデカさ

山登りにもっていけと言われたら、おそらく僕でも断る大きさ

でもね、

見てよ、これ。



あのかまどに丸っこいコールマンのパッカウェイケトルのせる

もう、とりこだね。

トランギアの粘着気質。

最高だ。

メメントモリ

2020年10月15日 | 日記・エッセイ・コラム
さわやかな秋の一日

ある人の葬式に行ってきた


勤め先の同僚だけど

山登りの人だった


この歳まで生きてると

不慮の事故で亡くなる人の葬儀に行くこともあるけど

Sさんが大好きな穂高で滑落して命を落とすなんて

微塵も考えなかった


台風が南岸遥をかすめって行った日

日本列島に横たわった前線の雨は激しかった

気温もかなり下がって

3000メートル級の穂高はどれほどのシビアケースだったか


彼とてこれが最後の山行だなんて夢にも思わず

されど山の危険さは誰よりも理解していただろうし

腋下に流れる冷たい汗の意味を覚悟をもって受け入れていたはずだ


「死んでもいい」なんてことは絶対にない

「死ぬかもしれない」は意識されずにザックの片隅にしまい込む


山は素晴らしい経験なのだろう

オートバイライディングの素晴らしさにも似て

言葉にできない戦慄とカタルシス

危険と引き換えに、ではない

危険を手のうちに入れて


オートバイに長く乗っていると

一度くらいはやばい事故にあうこともある

オートバイはとても危険だ

一瞬で命を落とす

死と直結する行為であることを忘れるな


養老先生は「死には1人称、2人称、3人称の3種類がある」と書いていた

1人称は自分の死、3人称はどこかの誰かの死

そして、最も重いのが2人称の死、すなわち身近な人の死だ

自分の死が身近な人の2人称の死になることを想像してみてほしい

メメントモリ

そのことは忘れてはいけないのだと、さわやかな秋の空を眺めていた