ソロツーリストの旅ログ

あるいはライダーへのアンチテーゼ

振り返ってみるとオートバイがいちばん好きだった

いつまでも暑いね、なんて云ってると秋に思い知らされる、もうけっこう寒いのさ

2024年10月27日 | SR400 RH16J(2019)シータ


日本の高速道路網は1966年に総延長7600kmと計画してはじまり

1987年の第4次全国総合開発計画において

高規格道路を含め全国に14000kmにまで拡張した

計画では21世紀初頭(2010~2015年)に完成予定であったが

実際それから10年経った現在なお70%程の進捗率にとどまる

それでも実際に地方部や山間部に走りに行くと

つまらないトンネルと高架橋ばかりの果てしない直線路に出くわし

道路インフラとオートバイ趣味は相反するものだと落胆することが増えている

けれどもちろん道路は国家の基盤だ

災害大国の日本において安全で確実な交通の確保は

最優先の課題と云える

川の流れに沿って崖を切り開いてできた旧来の幹線国道は

大雨の度に土砂が流れ路盤を流失させるし

金網で覆われた高い崖の下の道路を息を止めて走りすぎるなんて経験は

先進国のあるべき姿でないことは理解できる

理解できるが「つまらない」のは趣味の問題だ

羽生弓弦がどんなにアスリートとして優れていると認めてはいても

あんな色白の狐目がカッコいいとは思えないのはボクの趣味の問題でしかない

これと同じだ(同じか?)



なかなか来ない秋にしびれを切らしているうちに

10月も半ばを過ぎてしまった

この秋一番の冷え込みの朝

天気予報のおねーさんたちは「寒暖差に気を付けてね」と優しく教えてくれる

しかも今日行こうとしているのは標高2000mに迫る高原なのだ

サブくて死んでしまうよりは暑くて汗かいてる方がマシなので(脱げばいいし)

ユニクロの暖パンを穿いて薄いフリースを中に着た

アウターは化繊のスイングトップで防風を期待

それと念とためウルトラライトダウンのベストをカバンに仕舞った

まさかな、とほくそ笑んでいたのになんとこれが大正解

このベストがなかったら佐久間に行き付く前に帰ってきていたかもしれない

それくらいサブかったね

風も少し強くてそれが余計にサブさを増していたのかな

とにかく走り出した瞬間に

「え、暖パン正解じゃん」と感じた

岡崎東ICから高速に乗った時にはもう全身が凍えていた

けれどアホだからもう少し日が昇れば

ほら、おねーさんたちが気を付けろと云うほどの寒暖差なんでしょ?

暖かくなってくるに違いないと歯を喰いしばった(なぜ?)

結局、そのあと三遠南信道へ入って鳳来峡ICで降りたところで

すぐにダウンを着込んだ

ちぃーっとも暖かくなんてなっていかないのだよ



東栄町まで北上して継ぎ接ぎ高速にまたのって佐久間へ到達(無料区間)

高速がツマラナイだとか味気ないだとか云いながらも

目的地が決まっている時はちょっと高速で「ワープ」したくなる

以前ならここ佐久間に来るには2時間半くらいかかったもんだが

自宅周辺が通勤時間帯だったにもかかわらず1時間半でここまで来られた

この1時間の余裕が目的地でののんびりに回せる

まあ高速道路のメリットは確かにある

最初にも書いたけど

災害にも比較的強いので安全性は確かに高い

つまり復旧や修復にかかる費用や

通行止めの不利益を考慮すれば高速道路の延伸は正統性のある事業なのだ



久しぶりに国道152号線へ出た

まだまだ細く曲がりくねった個所が多く残る

むかしはあんな国道が普通でその上観光バスも大型トラックも当たり前に走っていた

クルマで信州へ向かうためには離合が困難な山間路を延々と行く

試練とも呼べる行程が待ち受けていたのだ

それでもその頃のクルマも小さかったこともあるが

みな遠出するようなドライバーは運転が上手かった

狭路の走り方はみなが共有し案外円滑だったのだ

今みたいに広い山道しか走ったことがなく

クルマも安全性最優先で巨大なものばかりになってしまうと

1.5車線路でさえ離合に手間取る運転者ばかりだ

安全第一と云えば聞こえはいいが

要は不慣れで自信がないだけ

スムーズさも交通には必要な要素だ

対向車が来るたびにブレーキをかけ止まったりしていてはちっとも進んでいかない

なのにブラインドカーブでも逆にスピードを落とさず

簡単にセンターラインを割ってしまうなんてちぐはぐな運転もよく見かける

上手な運転とはスムーズで安全なこと

道路を整備することは良い事なのに

それによって何も考えずに峠を越えてばかりいるうちに

ドライバーの質が低下していくのは止むを得ない事か

山道くらい狭くて曲がりくねってても良いのかもしれない

山の人たちはそもそも運転が上手だし

災害などの安全さえ確保できれば、という事かな



知ってます?

水窪の街には公衆トイレがある

多分ずいぶん前からある

もう1本西側を走る国道151号線にも数か所あるけど

下道でこれがあるのは本当に助かるね

もうここまで来るとコンビニもないし道の駅も少ない

用を足して真っ青な空の下さらに先へ進む



水窪の街を出ると

青崩峠まで細く狭い谷筋を進む

この先の峠を貫くトンネルに目途がついた今、急ピッチで接続道路の工事が進んでいた

残念ながら兵越林道までのこの長閑さはもうすぐ失われてしまうのだろう

「捨てられたルート」として有名な「草木トンネル」の手前

左へ逸れた道路の先に「青崩トンネル」が口を開けていた

先日貫通が報じられていたので供用が開始されるのは時間の問題だろう

草木トンネル開通から30年

出来た当初は125cc以下はそこを走れず兵越林道まで水窪ダムを経由していたな

ボクも歳を取ったもんだ

トンネルを抜けるといよいよ道も細くなり峠へ向けて勾配も強まる

以前に比べて路面の状況が良いように感じたが気のせいか

ここは事実上大型車が入れないので道路を覆う木々が低く立ち込め

独特の雰囲気がある

シカも多いしカモシカにも会う

峠へ近づいて霧(雲の中に入ったようだ)

空気も一層ひんやりとしてきた



お約束の兵越峠で写真を一枚

このあと遠山へ降りるまで霧の中だった



遠山からは三遠南信道が既存ルートの改良で計画されているため

ものすごい山奥にもかかわらず信じられないような道路が続く

もちろん以前は災害による通行止めも多く

まったくあてに出来なかったような状況なので

この改良はうれしいが、実際ちょっとやりすぎにも見える

おかげでペースが上がってしまって景色に目がいかない

ここまで来るともうすでにすれ違うクルマの数もまばら

この先の蛇洞林道が長期通行止めで地蔵峠を越えられないのだ

矢筈トンネルをくぐって飯田に迂回するしかない状況

けれどしらびそ高原までは行けるらしいので

国道の下をくぐって林道へ入り

クネクネと上り詰めていく



ここまで来てもまだ紅葉はあまり進んでいない

カラマツもまだ黄緑色だし

広葉樹の雑木も少しずつ色づきを始めたばかりだ

何度かくるりと進行方向を変えて

谷筋を右から左、左から右と変えながらグイグイ上る

SRの軽い車体をひらひらと寝かし

大きくスロットルを開けて山々にダッダッダッと鼓動を響かせる



しらびそ峠

快晴の空の下、南アルプスの峰々が左右にずらりと整列して見せる

ここのスペースってなんでいつまでも砂利なんでしょうか

あ、どうでもいい?

その先のしらびそ高原で昼にする

シカのフンだらけの広場の端にシートを広げて靴を脱ぐ



小さな雲のかたまりが視界の下を流れていく

そんな南アルプスの山並みを眺めながらおにぎりを食べた

コーヒーを淹れ

ネットで大谷君の試合を見ながら寝転がる



真っ青な空を行き過ぎるジェット

うつらうつらしていると

ふいにディーゼルのうなりとガタンガタンと響くジョイント音

酒井製作所(SKW)のDLが大きな材木をボギー台車で引く

そんな楽しい夢を見たよ



浮気性というより単なる「阿呆」なのでしょう オートバイ複数台所有の謎に迫る

2024年10月15日 | 日記・エッセイ・コラム


自分が浮気性であるとの認識は正直ない

好き嫌いも割とはっきりしているので

意識してはいないが自分の気持ちにブレはない方だと思う

けれどもそれと同時にボクには執着心というものがほぼない

欲しいと云われるとそれが何であれ、とにかくあげたくなるし

逆にひとのモノを羨ましく思うこともない

そうだ、勝ち負けに対する執着心なんて皆無だ

あるとすれば「こうあるべき」という思いが強いくらいか

だから頑固と云われるのだ



だのにこと「オートバイ」に関してだけは

浮気性なのか、免許を取って以来

大小合わせて32台ものオートバイをとっかえひっかえしてきた

社会人になってからは複数台所有が当たり前で

クルマも必要だったので一度に多くのローンを抱えていたこともあった

馬鹿なのか、と自分でもあきれる程なので

周囲の人はきっと気味が悪かっただろう

最初に「サブ(sub)」になったのは

ホンダ CD125だった



短い一文字ハンドルにバーエンドミラーを付け、シングルシートに改造していた

1キャブのツインエンジンはマフラーも両サイドに出ていて

だいぶ違うけど雰囲気はBMWのR50のようなイメージだった

「メイン(main)」はファイヤークラッカーレッドのカワサキZ400GP

いやちがうな

カウルの付いたGPz400が出てすぐに乗り換えていたっけ

とにかく刺激的なマルチと小さい割にトルクのあるツインエンジン

このキャラクターの違いの両方に魅力を感じていた

「どっちも好き」なのだ

これは完全なる浮気性である、ことオートバイに関してはね



ホンダ CB750F(B)とカワサキ GPz900R(A7)

この組み合わせも記憶に強い

水冷4発のニンジャは逆輸入車

逆輸入車って今ではあまり聞かないけど

メーカーが国内販売は750ccを上限と自主規制していたそのころ

リッタークラスのオートバイは一度輸出されたものを

再度輸入して購入することが公然と行われていた

しかもせっかく逆輸入するのだからフルパワー仕様が好まれ

南アフリカ仕様、マレーシア仕様が店頭に並んだ

そうだ

あの当時は店頭在庫として逆輸入車が並んでいたよなー

GPzは国内ではGPz750Rがリリースされたが

排気量が小さくなりパワーも900ccの108psに対して77psと抑えられ

価格は少し安いけど

当時のスペック至上主義のライダーにこれが受け入れられる訳もなく

皆こぞってニンジャと云えば900ccの逆車に乗っていた

結果国内の750市場は消滅

その後、アメリカ合衆国の圧力もあり排気量の自主規制はなくなり

二輪大型免許も取得のハードルが下げられた



ボクはカワサキのオートバイがマイナーで「通好み」と云われていたそのころ

そのへそ曲がりな性格もあって

オートバイならカワサキでしょ、思っていた

カワサキのオートバイは地味で雑誌などでもトップで扱われることはなかったけれど

「MFP“グース”」のZ1000がオーストラリアの荒野を

200km/hで疾走するシーンが頭から離れず

いつかカワサキの1000ccで200km/hを目指す

そんな田舎のガキだった

だからGPZ900Rに跨った時

ボクはもう興奮の頂点だった(当時はね)

名神高速の木曽川橋梁で並走する新幹線をぶち抜てやるぜ、と

本気で考えたりしてたな(新幹線にはかなわんがね)

そんなころ、同時に駆け出しの社会人であったボクは

その当時の記憶が曖昧になってしまうほど

仕事が忙しくまた自らそれに没頭していた

20代後半の記憶が本当に無いと云ってもいい

大袈裟でなく朝から晩まで仕事していた

「24時間戦えますか」のコピーが流行った時代だ

みんな今でいうパワハラの何十倍も厳しいハラスメントに抗い

そいつをぶち破っていく日々だった

そんな自慢話ではなく

だから「当時の稼ぎはすごかった」という自慢だ

基本給とほぼ同額の残業代をもらっていて給料は毎月倍額あった

知らない間に貯金はどんどんたまっていく

キャッシュでクルマ買ったりオートバイ買ったり

勢いで家も建てたりした(さすがにそれは住宅ローン組んだけど)

だからたまたま見に行ったレッドバロンでコマグンの赤いCB750FBを見て

その場で契約してしまうぐらいアホだった

そんなアホなことが出来るくらい稼いだ

そのせいでその後もオートバイの衝動買い癖がついたのか

カネもないのにオートバイ買い換える単なるアホに成り下がったのだけどね



CB750Fはそんな日本の最後の750だったかもしれない

バリバリ伝説の巨摩郡の愛車

大型二輪免許は試験場でしか取れなかったので

まだまだ750(ナナハン)は憧れだった

だから店頭でこのCBに出会ったとき電気が走ったのを覚えている

ボクが買ったのはFBだったのですでに8年落ち

外装のプラ部分の塗装が劣化していたが

エンジンは快調だった

フロントから出ていた振動もフォークオイルとタイヤを交換したらすっかりなくなった

このCB750Fには正直驚かされた

何をかと云うと

カワサキとホンダの技術力、工作精度の差だ

CBのシフトペダルを操作するたびにそれがひしひしと伝わってくるのだ

ホンダのトランスミッションは短いストロークで正確に作動し少しも緩みを感じさせない

カワサキに乗ったことがある人ならわかると思うけど

ニュートラルから1速へ入れるとなぜあんなに「ガコンッ!」と騒がしいのだろう

シフトアップもどんなにタイミングをとっても頼りなくニュルっと入り

走っていてもシフトダウンがし辛い

当時はそれを技術力、工作精度の差と感じていた

750ccとは思えないような滑らかな吹き上がり

クランクに感じるトルクはあくまでもシルキー

もちろんGPzのザラザラしたパワー感はどう猛さを含み刺激的だが

ホンダのエンジンには次元の違いを感じるのだ

だからこのGPz900RとCB750Fの2台持ちは

ガサツだけど世界のアタマを狙うモノと

すでに世界に認められたトップ企業が作り出したモノというコントラストが

乗るたびにそれぞれの良さが感じられてとても面白かった

「オトコ」カワサキもいいけど、よくできたホンダも魅力的だった



TZR250とエリミネーター400

ZX12RとTL125バイアルス

R1150RTとR100RSツインショック

いろんな組み合わせの2台持ちがあったな

3台なんて時もあった



そして今はR100とSR400

この組み合わせも相当おもしろい

SR400はついこの前まで販売が継続していたから最新機種でもあるわけだけど

どっちも設計が古い点では共通している

BMWの工作精度はホンダと種類は異なるが同じく非常に高い

材質の良さも相まって実用車的な外観ながらハイブランドの説得力が強い

ヤマハにはコスト的なハンデがあるが

モノづくりへの取り組みは職人気質を感じさせ

「ハンドリングのヤマハ」と古くから云われるとおり

人間の感性に寄り添ったオートバイが魅力だ

BMWのフラットツインもヤマハのシングルも

本当に熟成されていて

70年代にすでにここへ到達していたことに改めて驚かされる

国内外のメーカーは口にはしないが

公道を走るオートバイに必要なものは過剰なパワーでなく

扱いやすいトルクフルなエンジンと

軽量で反応がわかりやすい車体

そして操ることの面白さ

これらの方が重要だと気付いていたように思うのだ

なぜならSR400はリリースに当たって「ヤマハスポーツ新時代」と打ち出し

日常域でのスポーツ性を提案していたし

BMWモノサスフラットツインたちは排気量800ccを基本し

1000ccのエンジンも最大パワーを捨ててトルクの出方を低速寄りへと変えた

それはパワー競争のメインストリームが水冷直4のKバイクへ移ったことで

フラットツインは本来のツーリングバイクとしての実用性に重きを置いたからだ



この日常域、実用域でのスポーツ性と云うのは

現在日本で進むライダーの高齢化にもマッチしていると感じる

大型オートバイの走りは非常に官能的ではある

あのパワー感は大型オートバイにしかないものなのだ

しかし公道での過剰なパワーは非常に危険である

その危険をわかったうえで大型オートバイを扱うわけだが

年齢が上がると、経験があるが故に、自分の衰えに気付いてしまうものだ

だから多くの人がダウンサイジングを考える

カブに乗ってトコトコ走ろうか

スクーターに乗り換えようか

危ないなと思ってはいても決して降りたい訳ではないのだ

ボクも一時期そう考えてカブとかエストレヤなんかに乗ったりしてたけど

排気量落としてパワー落として

軽くして足付き良くして

みたいな事すると絶対に単につまらなくなるだけだ

諦めだからね、それは

そうじゃなくてオートバイを感じる選択をしなくちゃいけない

ボクの場合はそれは「操る楽しみ」だった

だからしっかりとした車体と最低限のトルク感

そして感性に合うハンドリングが必要だった

それは実はSR400に乗って気付いたことだった

アタマではなくカラダの方が良く分かっていた

SR400は官能的なのだ

そしてもう一方のR100

このフラットツインのトルクに包まれてワインディングを流す時

SRとは質は異なるが実に官能的だ

R100はコンチネンタルツーリングで評価されたモデルなので

長い距離を一定のスピードで駆け抜ける性能に特化している

だから日本の狭くて勾配のキツイ屈曲路はあまり得意ではない

けれどペースを守り無理に攻めたりしなければ淡々と走り抜ける

これはこれでなかなかどうして魅力的なハンドリングなのだ

縦置きのクランクはヨー方向の動きが機敏で

バンキングへの移行がまるで無重力

コーナリングは(いわゆる)アンダー傾向なので

増し切りやリーンインが必要な時もあるが

決してコーナーを攻めてはいけない

R100のペースを守ることが何より大切なのだ

そういう意味でR100はとても面白いオートバイなのだ

もちろん長距離ではこれ以上頼りになる相棒はいない

全く性格の異なる2台だが

ひとつのスタイルを完成させた奥行きと深みを味合わせてくれる

どっちもいいんだよなー

浮気性というより単なる「阿呆」という方がしっくりきそうな気もする