ソロツーリストの旅ログ

あるいはライダーへのアンチテーゼ

振り返ってみるとオートバイがいちばん好きだった

このまま、くねくねとくねくねと、どこまでもどこまでも

2023年06月28日 | R100Trad (1990) クロ介


高速道路の入口で一旦オートバイを止めて

かけていたサングラスを外しゴーグルを下す

毛ムクジャラの口元は相変わらず露出したままなので

湿った風が顔の皮膚にジットリとまとわりついてくるのがわかる

梅雨の晴れ間だとて湿度はかなり高い



いくつかトンネルを越えるとほどなく静岡に入り

電光掲示の制限標識が120km/hを示す

30年前のオートバイと云えどもドイツ生まれのクロ介

水を得た魚のごとき走りを見せる

5速 4000rpm

クランクに伝わる固い振動が全体を包む

「まだいけるよ」とクロ介は唆すが

顔に喰い込むゴーグルの感触がそれを阻む

ボクがジェットヘルとゴーグルを愛用する理由はまさにこれで

高速走行で落ち着かないゴーグルがクロ介の誘惑から気を逸らしてくれる



浜松浜北で下へ降りて天竜の街を過ぎ、国道362号線へ進む

春野辺りまで気持ちの良いワインディングが続き

中央線も破線でストレスがない

火伏の神、秋葉神社の下社を過ぎると

おおらかな流れの気田川とたびたびクロスするようになる

久しぶりに来たからやっぱり天狗を見に寄る



何度か見てるけど天狗ドンの目ん玉に照明が仕込んであるのを発見

初めて気づいたよ

夜中に光るのか?(コエーよ)

にしてもいっつもツルツルのテカテカの天狗ドン

このすぐ先の宮川橋の欄干には子天狗も隠れてる



三尺坊という坊さんが天狗になって火伏の修業を秋葉山でしたことから

このあたりに天狗伝説があるのだそうだ

ここ遠州の西隣の三河にボクは住んでるけど

ボクの集落にも「あきやさん」の小さな祠があるし

秋葉講もまだ存在しているくらい身近な存在だ

「秋葉みち」とよばれる街道が広範囲に今も残っている



このまま気田川の美しい流れをたどるため国道を離れ

谷筋を北へ延びる県道に入る

県道389号線はその取っ付きが狭いが

分岐点には立派な柱が立ち

「森とロマンの道 水窪森線」としっかり記されている

途中の勝坂という集落に古くから神楽が伝わっていて

その神楽が開かれる秋には人が集まるようだ

柱の上には神楽で舞う獅子のかしらが乗っている

集落の果て「門桁」まで19km

しかしこの19kmが大げさでなく果てしなく遠い



県道に入るとすぐに有名な「小石間トンネル」

昭和初期の気田森林鉄道の遺構で狭くて長く離合困難だ

先日の豪雨で北端のトンネルポータルの上部が崩れたようで

通行は可能だったがセンサーで監視を続けている

異常を知らせる回転灯に従うよう指示されていた

入口には「幅員3.2m、全高3.8m」の規制標識

オートバイなのでそれほど緊張しないけど実際かなり狭い

トンネル内部は断面に沿ってカマボコ状に並んだリフレクターが

何箇所かあってちょっとアトラクション気分だ



トンネルを出るとまだ川幅広い気田川

山間の開けた場所に野尻と豊岡の集落がつづく

それが途切れるあたりに小さなダム

そして支流の石切川との合流部に大きなトラス橋と豊岡発電所とつづく

発電所が背にする急峻な斜面を一気に下る水圧鉄管の迫力がすごい

ていうか、この水どこから来てるのか不思議だ



この先に勝坂の集落がある

大きな赤い吊り橋とその向こうに神楽の出発点になる勝坂小学校

吊り橋のワイヤーの台座に2頭の獅子

遠州の北部は戦国時代に武田、今川、徳川が入り乱れ

覇権を奪い合った地域なので人の行き来も盛んだったのだろう

小さな砦跡もいくつか残されている

県道389号線は眺望も悪く、整備状況も決して良くはないし

(勿論あれだけの豪雨でもルートが確保されているのは相当の努力がある)

気の利いた食堂どころか店と呼べるものすらほぼない街道だ

けれど、日本古来の山村風土がまだ感じられる好いルートだ

神社や砦跡など見どころも多いので歴史好きにはおすすめできる





勝坂を越えるといよいよ道は心細くなる

横目に見え隠れする美しい渓流とは裏腹に路面状況はさらにシビアさを増す

流れ出した土砂やコブシ大の落石

落ち葉や枯れ枝が散乱し、濡れた苔がびっしりと路面を覆う

おまけに幅員は激狭(ゲキセマ)だから

気を付けていないとラインを失う

すぐ西側の尾根筋を北上する天竜スーパー林道が「陽」のルートなら

その東側の谷筋を北上するこの県道389号線は「陰」のルートか



初めは美しい流れに目を奪われ俄かに気分が高揚するが

次第に、走ることそのものに没頭している自分に気づく

くねくねとくねくねと本当にくねくねと

シビアな路面に神経を研ぎ澄まして(神経を削られて)2時間

ただひたすらこの街道をたどり続けた

そして

そうやって走りながら

自分がいったい何処に向かって走っているのかが曖昧になり

やがて分からなくなっていくのだった

―もう何処へもたどり着かなくてもいいんだろ?

このまま、くねくねとくねくねと、どこまでもどこまでも





門桁の集落を抜け、小さな堰の上を渡ると

県道はいよいよ気田川を諦めて峠へと上り始める

急峻な東向きの斜面を600mくらい一気に駆け上がるため

ルートは一度南に向けて大きくトラバースする

しかも複雑に入り組んだ尾根と谷を丹念になぞって行くので

さっき以上にくねくね、いやグネングネンだ

まあ上りなのでライディングは楽だけどね



ひと気のない山住峠に到着

ここに始めて来たのはいつ頃だったか

このシカ君、そん時からずっといるよ

この先、水窪の手前で時間通行止めがあるので

時間調整も兼ねてここで休憩した



駐車スペースの端っこに木陰

イヌザクラか?ウワミズザクラか?

花を盛んにパラパラ散らしていた

いつもどおりのスタイルで休憩



しかーし!

今日はちがう



「完全めしーーーーー!」

何を隠そう今頃になってドハマリして

今週、2個目だゼェ~!

あの頃は良かったとは云わないけど、あの頃で良かったとは思っている

2023年06月12日 | R100Trad (1990) クロ介


ひどい雨が降ったあと

山の中をくねくねと進む頼りない道は

どこも山からの水でビシャバシャで

土砂や砂利の流出

木々の倒壊や折れた枝の散乱

人が作るモノをまるで無かったことにするかのような暴れぶりだ



ネットでざっと眺めただけでも通行止め箇所は多く

探検気分で出かけていくのも面白そうだけど

一生懸命復旧している人たちのことを考えると申し訳なくもあり

出かけて行ってどこかにたどり着けるという保証もない感じだった



梅雨空の中

山から流れ出た水で川になる道路を突っ切っていく

クロ介はすでにびしょ濡れで

ボクの両足の脛にはびったりとチノパンツが張り付いて気持ち悪い

「帰ったらしっかり洗ってやるから」と

クロ介をなだめながら迂回路を彷徨う

でも、これはこれですごく楽しい走りだ

雨上がりは山のにおいが強く湧き出し

すべてがしっとりと濡れそぼり

湿った重い空気が皮膚に纏わり付いてくる

おまけに足元に伸びる両方のシリンダーからは

この頃かなりの熱気で

信号待ちはすでに忍び寄る夏を強く思わせる



海沿いに発生した線状降水帯の影響は山へ向かい北へ行くほど薄れる

いつもの涼風の里は案外平静で挟んで流れる二本の川もすでに落ち着いていた

この先の三河湖へ通じる県道で通行止めが出ているけど

避けて走ることは容易だ



アルコールストーブにヤカンをかけて

湯が沸くのを待つ間も

最近頭の中をグルグルして離れない思いがまたすぐに浮かんでくる



先日、久しぶりに近所の写真屋に行った

といっても全国展開するキタムラだ

本当に久しぶりだったので、店内の様子がすっかり変わってしまっていた

今日の目的は、カメラの液晶モニターに貼る保護フィルムなのだが

そんなに広くはない店内を2周しても一向に見つからない

仕方なく店員に尋ねると

「今はコーティングが主流になったので保護フィルムは処分品しかない」

と答えた

最近のカメラ事情には疎いとは云え、あまり聞いたことがなかったので説明を求めると

30分ほどの店内作業で保護フィルムより硬いコーティングが可能ということだった

コストは3,000~5,000円

店内にわずかに残る保護フィルムのデットストックはどれも1,000円程度だったので

とりあえず店員をヘラヘラしながらかわし保護フィルムを買うことにした

それから、せっかく来たからということで

ずらりと並んだ最新のカメラを眺めることにした

ソニー、とかパナソニックとか家電屋が幅を利かせている

かつてニコンは35ミリ一眼レフカメラのトップブランドであったが

オートフォーカス化とその後のデジタル化の波に乗り遅れ

相当苦戦していた

しかし、その根本原因であったFマウントというレガシーを

捨てる決心をしてからニコンのミラーレス一眼レフはようやく

トップクラスへと返り咲くことができた

最新の中級機Z8は、ボディのみで60万円

正直云ってこんな価格帯のフルサイズミラーレスを買う選択は

現実的じゃぁない気がする

どうせほとんどモニター上でしか画像を見ないのだから

APS-Cフォーマットが価格的には現実的だ

そこにニコンのZfcが展示されていたので手に取ってみた

「!」

あまりもの軽さに展示用のダミーかと思った

ケーブルが繋がっているので実機だろうとスイッチを入れてみると

果たしてカメラは作動した

「ナンダコレハ?」

軽量ボディというよりチーププロダクトではないかい

だからといってZ8買おうとはならないし

あなた方が「望むスペック」をまじめに組み込めば

60万円かかりますよ

でも簡単気軽に写真が撮りたいならこんなのどうですか?

お安くしときますよ、みたいな感じ



ボクが初めて買ったのはもちろんフィルムカメラで

オリンパスの初級機OM10だった

ボディは4万でf1.8の標準レンズ付きで6万を切っていた

ボクは見栄を張ってf1.4のレンズ付きで買ったので

定価では66,500円だったけど

新宿東口のヨドバシカメラで5万円くらいだったと思う

本当はミノルタの両優先機XDが欲しかったけど

その時プータローだったボクにはこの辺が身の丈だった

当時、35ミリ一眼レフのトップブランドはニコンF2フォトミックA

f1.4標準レンズ付きで138,000円だった

最高級機なのにOM10の約倍の価格しかしない

もちろんデジタルカメラとフィルムカメラを単純に比べられない

ネガカラーなら1本撮るのにランニングコストが1,000円はかかり続ける

リバーサルカラーならその倍以上かかる

200本撮れば50万円以上かかることになる

いやいや、ランニングコストかからないからといって

イニシャルコストが高くて良いってことじゃないでしょ



近頃よく云われることだけど

日本の給与水準は世界で見れば低いレベルで

日本人は総じて貧しくなっているらしい

にもかかわらず目にするのは贅沢な暮らしぶりばかりだ

身の丈に合っているのか合っていないのかは人によるだろうが

つまり「貧しさ」はあえて目に付かない場所へ置かれている気がする

60万円もするカメラ

1,200円もするモンブラン

2,000円もするカキ氷

200万円もする軽自動車

そして、44万円もする125ccのオートバイ

どれも価格とモノのバランスがしっくりこない

「プレミアム」という言い回しを最近よく聞くが

そもそもマスプロダクトにプレミアムなモノなど本当に存在するものなのだろうか

プレミアムと名付けるビジネスモデルは正直あざとい



高コストであっても高付加価値のモノでなければ売れないのか

過剰に自動化が進めたためにコストが上がったのか



1秒間に8コマの巻き上げは機械でないとできないが

1コマの巻き上げはレバーで十分だ

カメラに向かって時速200km/hで走ってくるクルマに合焦させるのは難しいけど

ほとんど動かない被写体なら自分でピントを合わせればいい

誰にも簡単に完全な写真が撮れる気にさせるカメラは

とっつきにくいマニュアルカメラと何ら本質は変わっていない

写真が撮れる仕組みに変わりがないのだから

ハードでどれだけ自動化、予測化を進めても

写すことは可能でも表現まではやってくれない

歌は唄えても歌を表現できないのと変わらない

60万円のカメラとスマホのカメラの違いを理解できないのに

本当に必要か?

お金もあるし、買いたいんだからいいじゃん

もちろん、どうぞどうぞ、だね

でも多分買わなくてもいいと思う

なのに買いたいのはなぜなのか

本当は誰も気づいているんだと思う

消費者が変わらなくては製造者はこれをやめない

価値のある企業が廃業に追い込まれ

資本力を笠にブランドと技術力を飲み込んでいく

金を積んでも人と違うと云われたくて必死な消費者に

誠実の仮面の下で舌を出しながらモノを売りつける

いつしか市場には同じようなモノがあふれ

いいように利益をむしり取っていく

街の商店街はなくなり

街の工場はなくなり

勝ち組という言葉で市場を牛耳る輩がのさばる

これまでどれほど自分たちに本当に必要な大切なものをなくしてきたことか

貧しくても温かい社会を取り戻してほしい

時短とかタイパとかくだらないこと云うなよ



写真屋で会計を済ませたあと、店員に

(写真フィルムが見当たらなかったので)「ここはフィルムは置いてないんですか?」

と尋ねてみたら、メーカーが生産を中止している、と答えが返ってきた

6月には入荷予定があるから予約は受け付けると云う

店を出てオートバイに跨りながらなぜだかモヤモヤとした

どうやら長く生き過ぎたようだ

人生はやはり50年くらいがちょうど良い

10年ひと昔と云うが(今も云いますよね?)

50年となれば、ひと時代なのだろう

あの頃「は」よかった、なんて云わないけど

あの頃「で」よかった、とつくづく思う