自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★メディアのツボ-35-

2007年01月08日 | ⇒メディア時評

 一部の事務職を法定労働時間規制から外し、残業代をゼロとする「日本版ホワイトカラーエグゼンプション」制を導入するための労働基準法改正案は、今月25日召集予定の通常国会への提出が微妙になってきる。これには、与党内に「賃金の抑制や長時間労働を正当化する危険性をはらんでいる」(丹羽自民総務会)といった慎重意見があるためだろう。

    残業「青天井」のワナ

 法案を出す出さないは内閣が今夏の参院選挙をにらんだり、各種の経済指標と照らし合わせてを決定することで論評する気はない。ただ、私自身、この残業問題というのは、この言葉を聞いただけでも正直うんざりするくらい憂鬱な気分になる。この問題で2年間苦しんだことがある。

  民放テレビ局の部長だったころ。もう6年前のことだ。その頃、民放業界では高収入にもかかわずら20代や30代の社員が自己破産するという現象が相次いでいた。その構図は実に単純だった。報道記者や制作ディレクターは残業が上限なしの「青天井」だった。すると月80時間ぐらい残業をすると数十万円になる。これを「第二本給」と称していた。第一と第二の本給を合算すると非組合員である部長クラスの給料を軽く超えるくらいになる。恒常的に続くとこれが当たり前になり、高級車や一等地のマンションをローンを買う。ところが、社内異動となり総務や編成といった事務部門に回されると途端に残業が少なくなり、組んだローンが返せなくなり、デフォルト(債務超過)に陥るというパターンなのだ。当時「独身貴族」と称された層に多かった。

  これは当時、東京のキー局の事例で聞いた話だ。報道部門から営業部門に異動となり、ある20代の男性社員が「残業のワナ」にはまってしまったことに気がついた。その社員は残業代を何としても稼ぎたいので、しなくてもよい残業をするようになった。そうなると机にかじりつくようにして離れない。用件もないのに残業をしているので上司が「そんな残業は認められない」というと、「訴えてやる」と社員はくってかかるようになった。残業代を稼ぐために「理由なき残業」をする。完全な労働のモラルハザートに陥ってしまった。

  自分自身の話に戻る。そのころ報道記者職にも裁量労働制が法的に認められていた。一定の時間分を固定的に残業代として支給し、さらに記者に不利益が出ないようにフレックス制(出退社時間を自分で調整)とセットで導入した。その導入までの2年間は職場討論を繰り返し、その導入までのプログラムとスケジュールの作成、要は何を基準にして固定時間数(見なし残業)を算出するか苦痛の連続だった。そのころテレビ業界でも数社が裁量労働制の導入を組合に提案し、ことごとく潰されていた。かろうじて1社が導入したが、組合との軋轢を生む要因になっていた。

  一人ひとりの出勤簿に記載された残業時間とその理由の分析は深夜に及ぶ孤独な作業だった。それを1年間続けた。「これで誰も損はしないはず」と導入に踏み切った後も、あからさまに不満を口にする者もいた。他人の給料に手をつけることの怖さである。

  いまでは報道職場の残業が青天井というテレビ局は少ないだろう。CM収入が落ち込む中、特にローカル局はデジタル化投資の返済で自社番組の制作予算そのものを抑制している。ニュース番組の枠も縮小傾向にある。独身記者のデフォルト問題はもう過去の話かもしれない。

 ⇒8日(祝)午後・金沢の天気  くもり

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