能登半島の最先端に「禄剛崎(ろっこうざき)灯台」がある。写真は石川県の観光協会のポスターから接写させていただいたものだ。県の観光名所を紹介することでもあり、使用をお許しいただきたい。さて、崖下には「千畳敷(せんじょうじき)」と呼ばれる海食棚が広がる。日本海にぐっと突き出ているので、何か最果ての地に来たように旅情をかきたてる。
先端から見える海の風景
そんな思いをさらに強くさせる看板が灯台の近くにある。「ウラジオストック772キロ」という方向看板だ。モスクワとウラジオストクは約9000キロなので、距離的には能登半島からの方が近所だ。対馬暖流の影響で冬を除いて比較的気候は温暖だが、冬期はシベリアからの北西の季節風が吹き荒れる。
海を眺めていると歴史ロマンにも思いをめぐらせてしまう。古くからこの対馬暖流に乗ってさまざま人たちがやってきた。現在、能登で定住している人たちの中で海の民がいる。輪島の「海士(あま)」の民である。江戸時代の慶安年間(1648~1652年) に九州から北上してきた民十数人が能登半島に上陸する。その後、アワビ漁を得意とするこの民は加賀藩によって保護され、土地まで拝領することになる。地元でいまでもその土地を「天地(てんち)」と呼ぶ。加賀藩は塩漬けのアワビを藩に納めさせ、そのアワビを藩主の手土産として「江戸の外交」に使った。最初十数人で上陸した海士の民は現在1300人になっている。海を生業(なりわい)とし、生命力のある人たちなのである。
海士の人びとが漁業基地としている舳倉(へぐら)島には5世紀と8世紀、9世紀と推定される遺跡「シラスナ遺跡」がある。彼らとて、この対馬暖流に乗ってやってきた海人の中ではニューカマーにすぎない。
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