同じ石川県でも能登と金沢では随分と考え方、言葉、習慣が異なる。能登で生まれた私は15歳から金沢で下宿をして高校に通った。下宿先は金沢市寺町の民家だった。賄いつきだったので、その家族と接することになり、それが金沢の人との生活上の出会いとなった。
子猫がじゃれるような…
下宿先のおばさんは「・・・ながや」「・・・しまっし」と話す。語尾にアクセントをつけ、念を押すような典型的な金沢言葉を話す人だった。当初慣れない間は、しかられているような錯覚に陥ったものだ。というのも、逆に能登の言葉は語尾を消すように、フェイドアウトさせるので、優しい言葉に聞こえる。
後に学んだことだが、この違いは歴史に由来する。金沢の場合は、前田利家が家臣団を引き連れて築いた、百万石という強大な「財政」をハンドリングする武家社会だ。この社会では上意下達、命令をしっかり伝えるために語尾をはっきりさせる。こためにアクセントをつける、あるいは言葉にアンカーを打つような言い回しになる。ところが、能登はフラットな農漁村である。争いを避けるため、言葉の角を取るように話す。むしろ能登の言葉は、福井や富山の隣県で話されている言葉に近い。たとえば、「疲れた」という言葉は能登ではチキナイ、富山でもチキナイ、福井ではテキナイと話す。金沢はシンドイである。歴史的に言えば、北陸は新潟を含めた同じ「越の国」なのだが、金沢だけが異文化社会だった。
宗教観でも異なる。北陸は「百姓の持ちたる国」の浄土真宗だ。ところが武家社会だった金沢は曹洞宗、つまり禅宗の家が多い。この2つの宗教観の違いは葬儀に参列すれば理解できる。能登だと、「亡くなられたこの家の主は若いときに両親を亡くされ、とても苦労されたが、その分、極楽浄土に行かれて・・・」などと弔辞を読む。ところが、金沢の曹洞宗のお坊さんは「この世も修行、あの世も修行」と言って、死者にエイッと大声で喝を入れる。曹洞宗が武家社会に受け入れられた理由はこの「修行」がキーワードなのだろうと解釈している。
この異なる宗教観がどのように日常に表れるかというと、たとえば、「能登の人は我慢強い」とよく言われるように、逆境に耐え黙々と働くような強さがある。金沢の人にはストイックな強さがある。このストイックさは、たとえば、礼儀作法が厳しい茶道など習い事の師弟関係の世界で生きているとの印象を持っている。
ところで、能登の言葉は優しいと述べた。実は、この言葉ではディスカッションで論理的に追及する、あるいは理論を構築していくという作業ができない。論理だけではなく、たとえば大きな組織の運営、あるいは緻密さを要求される共同作業といったリレーションは難しい。なぜなら語尾にフェイドアウトの「逃げ」があり、コミュニケーションで誤解が生じ易い言葉だからである。逆に、「もてなし」や「癒し」という雰囲気を醸し出すには耳触りのよい言葉である。
能登、とくに奥能登は「ニャニャ言葉」とも称される。語尾をノキャーと軽く薄く引っ張りながら消す。土地の人の会話を聞いていると、まるで子猫がじゃれあっているようにも聞こえる。
※写真は、伝統的な能登の「かやぶき民家」
⇒31日(金)夜・金沢の天気 くもり