5歳の女の子が虐待を受け死亡した東京・目黒区での事件=写真=。女の子が書き残した文章を読むと実に痛ましい。この子は必死で親に気持ちを伝えようとした。しかし、親は無視はしたのだろう、伝わらなかった。この子には文章による訴える力がある。5歳児とは思えないくらいだ。以下、朝日新聞Webニュースより。
もうパパとママにいわれなくてもしっかりとじぶんからきょうよりもっともっとあしたはできるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします
ほんとうにもうおなじことはしません ゆるして きのうぜんぜんできてなかったこと これまでまいにちやってきたことをなおします
これまでどれだけあほみたいにあそんでいたか あそぶってあほみたいなことやめるので もうぜったいぜったいやらないからね ぜったいぜったいやくそくします
涙を誘うフレーズは「じぶんからきょうよりもっともっとあしたはできるようにするから」だ。今日よりもっと明日は出来るようにする。もう1フレーズ。「きのうぜんぜんできてなかったこと これまでまいにちやってきたことをなおします」。昨日できなかったこと、これまで毎日やってきたことを直します。時間軸に身を置いて、明日はもっとよくする、という5歳の強い意思表示だと読み取れる。この子のどこに罪があるというのか、あるはずがない。
昨日、子どもの虐待について知人らと話していると、アメリカで子育てをした経験のある研究者が「アメリカでは子供といっしょに風呂に入るだけでも虐待とみなされる」と。このひと言に驚き、「なぜ」と問うと、「狭い空間で裸でいると性的虐待が疑われるということなんだ」と。研究者も知人から聞いて調べたという。アメリカの在ナッシュビル日本総領事館のホームページに事例がいくつか出ていると教えてくれた。同総領事館HPの「安全情報」の中の「米国での生活上の注意事項」に掲載されている。
入浴に関する事例は、HPを引用する。「某日、幼稚園に通う少女が、父親と一緒にお風呂に入るのがいやだと幼稚園の作文に書いた」、すると「幼稚園の先生が、児童虐待(性的暴力)容疑者として父親を州政府の児童保護局に通報し、調査活動が行われた」。また、「某日、乳児をお風呂に入れている写真を近所のドラッグストアで現像に出した」、すると「ドラッグストアが児童に対する虐待容疑で児童保護局に通報し、児童虐待(性的虐待)容疑で調査活動が行われた」。いずれの事例も実際に邦人がアメリカで体験したケースのようだ。
日本とアメリカの文化による認識の違いで、日本では許容されることでも、アメリカでは「犯罪」として扱われる事例だろう。入浴のほかにも、言うことを聞かない子どもの頭を人前でたたいたり、買い物をするときに、乳幼児を車に置いて離れたりすることなども、虐待の容疑で親の身柄が拘束されることもあるようだ。
総領事館のHPで掲載されている事例を読んで思うのは、文化による認識の違いや誤解があるにせよ、アメリカでは「善意の通報」が行き届いていることだ。ところが、日本では目の前で親から子へのあからさまな暴力があったとしても、「関知せず」であえて見過ごすケースがあるのではないだろうか。アメリカでは人権侵害としての児童虐待の観念が徹底しているので第三者が通報する。日本では虐待なのか「しつけ」「教育」なのかグレーゾーンととらえられ、看過されるケースが起きるのではないだろうか。
冒頭の5歳の女の子に多数の「善意の通報」があれば救われていたに違いない。
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