世間を騒がせている森友学園への国有地売却や決裁文書改ざんをめぐる問題で、大阪地検特捜部はきのう(31日)、虚偽公文書作成などの疑いで告発された佐川前国税庁長官ら関係者全員を不起訴とした。きょう1日付の朝刊を読むと、各紙の論調は「まだ幕引きは許されぬ」(朝日新聞)といった感じで、私自身も何だか釈然としない=写真=。しかし、どこかでケジメをつけないといつまでも「モリカケ問題」が国会の論戦になっているのはいかがなものか、とも。
そんな思いで紙面に目を通していると、アメリカのニュースなどでよく出てくる「司法取引」がきょうから日本でも始まるとの記事に目が止まった。読むと、アメリカの司法取引とは意味合いがかなり異なるようだ。日本の場合、司法取引でタ-ゲットとする犯罪は、組織犯罪や企業犯罪、汚職事件など。より具体的には、振り込め詐欺など組織犯罪、また贈収賄・詐欺・横領などの事件、さらに独占禁止法・金融商品取引法などの経済犯罪、薬物銃器犯罪などとしている。一方で殺人や性犯罪などは対象外。つまり、特定の犯罪に限定しているのだ。
アメリカの場合は、自分の罪を正直に供述して刑の減免を受ける、いわゆる「有罪答弁型」だ。日本の場合は、たとえば容疑者・被告が共犯者など他人の犯罪の捜査に協力すれば検察が見返りとして起訴を見送ったり求刑を軽くしたりする法制度。組織犯罪や経済犯罪で逮捕された部下が指示した上司(ボス)のことを供述したり、証拠を提出するなど検察側に協力をすれば、不起訴や軽い罪での起訴、軽い求刑など有利になる。いわば「捜査協力型」、言葉は悪いが、「小物に餌を与え、大物を釣る」のたとえだ。
ただ、単に捜査に協力するのではない。司法取引に関して、検察側と容疑者・被告の間で合意をするには、その過程で弁護人の立ち合いが義務化されている。確かに、司法取引として検察側が末端の者の犯罪に刑の減免を約束して、組織の上層部の犯罪について供述を求めることで、事件解明のスピードが早まることになるだろう。ただ、素朴な懸念も生じる。自らの処分を有利にするために虚偽の供述をする、あるいは伝聞の話を供述して、無関係の人物まで事件に巻き込むといったことにはなりはしないだろうか。いわば冤罪だ。
もう一つ。他人のことを供述して、自らの責任を減免することは国民感情としていかがなものだろうか。もちろん、司法取引には、個人の責任よりも巨悪を懲らしめるという社会的責任が優るという大義があるだろう。検察側でその思いが逸(はや)ると、大阪地検特捜部の主任検事が郵便不正で押収したフロッピーディスクのデータを改ざんした事件(2010年9月)にもなりかねない。
今回のブログは大阪地検特捜部に始まり、大阪地検特捜部で終える。もちろん、冒頭の不起訴処分で検察側と財務側で「司法取引」はなかったと信じたい。
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