自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆鼻毛大名のヒストリー

2017年05月28日 | ⇒ランダム書評

   前回(5月11日)のブログ「★気になる沖縄での動き」を書いてから、アメリカで起きたトランプ大統領をめぐる動きが気になっている。それはトランプ氏とロシア側との不適切なかかわり「ロシアゲート」疑惑の始まりではないかとメディアで騒がれている、FBIのジェイムズ・コミー長官解任事件(5月9日)だ。トランプ氏の「やましい」ところを内外に晒す格好になった。さらに、司法省は去年のアメリカ大統領選挙にロシアが介入したという疑惑を捜査するため、ロバート・モラー元FBI長官を特別検察官に任命(5月17日)。一気にロシアゲート疑惑に真実味が帯びてきた。25日にはアメリカのメディアが、FBIが、トランプ氏の義理の息子で上級顧問を務めるジャレッド・クシュナー氏の事情聴取を検討していると伝えた。

   こうした一連の動きにで気になっていることは、追い込まれたトランプ氏は何をしでかすか分からない。ひょっとして、メディアや世論の目をそらすため、北朝鮮への「斬首作戦」を実行するのではないかと。その実行の日は「★気になる沖縄での動き」で述べたように、真っ暗闇となる5月の新月、つまり今月26日だったが、注目していた動きはなかった。ただ、日本のメディアが26日にアメリカ太平洋艦隊の発表として伝えたように、アメリカ西海岸ワシントン州の海軍基地に空母ニミッツを太平洋の北西部に派遣すると発表した。朝鮮半島の近海には すでに空母カール・ビンソンとロナルド・レーガンが展開している。それにニミッツが加わることで、核実験や弾道ミサイル発射などの挑発行為を続ける北朝鮮に圧力をかけるのが狙いだろう。そして次の新月は6月24日だ。

   話はがらりと変わる。先日、知人らを誘い合って東京国立博物館に特別展「茶の湯」を見学に行った。その帰り、茶道と加賀藩の歴的な関わりなどについて造詣が深い知人からエピソードなど教わった。京都の茶道・藪内家の茶室「燕庵(えんあん)」には「利家、居眠りの柱」とういエピソードがある。京の薮内家を訪れた加賀藩祖の前田利家が燕庵に通された時、疲れがたまっていたのか、豪快な気風がそうさせたのか、柱にもたれかかって眠リこけてしまったという。こうした逸話が残る燕庵を後に利家の子孫、11代の治脩(はるなが)が1774年に燕庵を模して兼六園内に夕顔亭を造った。3代の利常には大名茶人として知られた小堀遠州の娘婿・小堀新十郎を召抱え、加賀藩の茶道の基盤をつくった。

   話はここから深みに入る。「ところで3代の利常は加賀藩が幕府から警戒されないように、鼻毛をわざと伸ばしていたんですよね」と金沢では知られた話を知人に投げると、「いや、話はまったく逆で幕府を刺激するために伸ばしていた説がある」と磯田道史著『殿様の通信簿』(新潮文庫)を薦めてくれた。さっそく買って読むと、これまでの利常のイメージとはまったく異なり、目から鱗が落ちるとはまさにこのことか思った。

   金沢に育った多くの人の間では、先の「利常の鼻毛」は百万石という大藩を守るため、あえて愚鈍さを演出することで幕府の警戒感を和らげたとというのが相場である。本著は見事にそうした相場感を覆してくれる。もともと藩祖・利家は「槍の又左」と言われた剛腕で、息子の2代利長は父から豊臣秀頼公をお守りするよう厳命を受ける。ただ、時代の趨勢は徳川に傾いていて、母親まつを江戸に人質として差し出すことをバランスを取った。3代の異母兄弟であった利常は父親似で長身で体格もよかった。家康は慶長10年(1603)に引退する利長と3代として家督を継ぐ利常と面談した。利常13歳である。作者によると「利常を子どものころから徳川の色にそめていきたいと、目論んでいただのだろう」と推論し、家康は秀忠の娘・球姫を3歳にして9歳の利常に輿入れさせた史実を上げている。利常は13歳で義理の祖父・家康と初めて対面したのである。そして「松平筑前守」を名乗るように利常に名前を授けた。名実ともに「家康は前田を完全に徳川に取り込もうとしていた」。さらに、家康は側近の本多正純の弟・本多政重を家老として加賀藩に送り込む。

   秀吉側だった利家、父より厳命を受けていた利長はバランスを取ることに苦心した、そして利常は徳川家の娘婿として、22歳で大阪冬の陣に4万、夏の陣に2万5千の軍勢を整えて豊臣攻めに参戦することになる。本著で初めて知ったのだが、その後、利常は家康から国替えの話を持ちかけられた。四国一円(阿波、讃岐、伊予、土佐)である。それを利常は「加賀が本国でござりまするゆえ」と断わっている。家康は加賀が京と近く、京に上る可能性のある大名として警戒感を解かなかったのではないかと推測している。これは著者の記述だが、「前田家が北国の雪にとざされておらず、四国に巨大藩として存在していたら・・(中略)・・明治維新は加賀藩の手でなしとげられていたかもしれない」。

   こうして成長した利常は若年の家光を「いじめた」。利常は戦国時代の申し子であり、豪快に笑い、大声で怒鳴った人物、そして長身で大阪冬の陣、夏の陣でも活躍した。その大名が鼻毛の長さを気にするタイプでなかった。まさに著者が述べている。「近世という時代をひらいたこの精神は信長の生をもってはじまり、利常の死をもって終わった」。戦国動乱から天下太平の世を生き抜いた大名のヒストリーを著書から感じた。

⇒28日(日)午前・金沢の天気  はれ


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