自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆音楽文化を守るブラックジョーク

2018年05月22日 | ⇒ランダム書評
    良い意味でも、悪い意味でも我々日本人は真面目過ぎる、と思うことがままある。その「悪い意味」の典型的な事例が、物事を徹底してやるということではないだろうか。先日(今月18日)東京で開催された「JASRACの音楽教室問題と最新の著作権事情」と題する勉強会(主催・株式会社ニューメディア)に参加した。音楽教室から使用料を徴収する背景とは一体何だろうかと疑問に感じていたからだ。

   講師は城所岩生(きどころ・いわお)氏。もともとNTTの社員だったが、ニューヨーク駐在になり、アメリカでは通信法専門の弁護士がいるのを知り、一念発起して働きながらロー・スクールで学位を取得、米国弁護士となった。城所氏の近著が『JASRACと著作権、これでいいのか ~強硬路線に100万人が異議~』(発行:ポエムピース、2018年3月)。刺激的なタイトルだが、「Q&A」で構成する実に読みやすい内容だ。

     一部を紹介する。「Q:なぜ音楽教室からも使用料を徴収しようとしている?」に対して、「A:フィットネスクラブやカルチャーセンターなど、他の施設からも徴収してきたから!」が返答。「Point」として解説がつく。その中で、JASRACが音楽教室への徴収に踏み切る背景として、CDなどの売上が減少する中で、過去5年間の使用料等徴収額が維持できたのは、フィットネスクラブ(2011年)、カルチャーセンター(2012年)、社交ダンス以外のダンス教授所(2015年)、カラオケ教室・ボーカルレッスンを含む歌謡教室と順に使用料徴収を始めたからだと指摘している。つまり、JASRACは時代の逆風の中、徴収先を開拓し、なんとか使用料等徴収額を維持してきた。結果的に廻りを固めて、最後に残ったのが子どもたちの音楽教室というわけだ。

     講演の中で城所氏は、「今までの使用料徴収施設の主な顧客は大人だった。しかし、音楽教室には多くの子どもたちが通う。音楽教室は学校ではないが、いわば公教育を補完している。レッスン料を上げることは、音楽文化のさまたげになるのではないか。なんでも一律で徴収するというのは疑問だ」と問題提起をした。

     さらに話はパロディに及んだ。日本はパロディという言葉はよく使われるが、要は、元作品を題材として新たな作品をつくる二次的著作物のこと。著作権上では合法化されていない。合法にならない理由として、1980年に最高裁が非合法の判決を下した、パロディモンタージュ事件がある。雪の斜面をシュプールを描いて滑降する6名のスキーヤーを俯瞰するプロ写真家の作品。滑降跡がタイヤ痕跡と似ていることから、元の作品の山頂部にタイヤを置いて合成したもの。パロディを合法化するには最高裁が新たな判断をしない限り難しい。著作権法の改正ではなくても、著作権の解釈・運用の変更ということもあるが、その場合も著作権者の「お目こぼし」が前提となる。

     著作権法を「岩盤規制」として使用料徴収に邁進していくのか、インターネットの創作環境の中で新たなイノベーションの切り札として活用していくのか。それにしても、JASRACが音楽文化を守るために使用料等徴収額を維持しようと頑張り、子どもたちが通う音楽教室が最後に残って、他の業界と扱いを不公平したくないと徴収を迫るのであれば、これは大いなるブラックジョークではないだろうか。

⇒22日(火)午前・金沢の天気   はれ

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