自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆「快楽的持続可能性」

2017年12月12日 | ⇒ランダム書評
   最近よく目にし耳にする言葉に「持続可能性(Sustainability)」がある。私自身よく使う。講義などで「自然と共生するという言葉は持続可能な社会づくりのポイントだ」「国連の持続可能な開発目標(SDGs)は発展途上国のみならず、先進国自身が取り組む普遍的なもの」などなど。しかし、自ら語りながら、その言葉を使うことに若干のわだかまりがないわけでもなかった。

   たとえば、持続可能性を高めるにあたって、国連から「日本は電気、ガソリンを使いすぎる。これでは持続可能な国際社会は創れない。日本人はエネルギー使用量を3分の1に削減すべきだ」といった要求が突きつけられたら、果たして耐えうるだろうか。冬だったら暖房の温度を下げて時間制にする。車も距離制にして乗らない日を設けてひたすらストイックな生活をして持続可能な国際社会に貢献する、といったイメージだ。

    そうなったら日本中で大混乱が起きるだろう。高齢化社会で寒さに耐えることは可能か、車社会の中で通勤はどうなるのか、高度成長前の質素な社会に戻るのか、なぜこそまでして国連に従うのか、と議論は沸騰するだろう。『人類の未来』(吉成真由美編、NHK出版新書)を読んでいて、考えるヒントもらった。「第4章都市とライフスタイルのゆくえ」にある、建築家ビャルケ・インゲルス氏の考察と実践だ。

   彼はインタビューで述べている。「持続可能性というチャレンジを、政治的なジレンマではなくデザイン上のチャレンジとして受け止めとようということです。実際に都市や建物を作るにあたって、持続可能性を実現するために、例えば冷たいシャワーを使わなければならないというような、様々な場面での生活の質を落とした妥協の産物にするのではなく、もっと積極的なアイディアを出して、持続可能な都市はそうでないものよりずっと快適だというふうに発想転換したものです」

   著書では、コペンハーゲン・ハーバー・バス(港を海水浴できる場所に変えるプロジェクト)を事例に、生活の質と環境の質を同時に引き上げることは可能だと説いている。インゲルス氏はそれを「快楽的持続可能性(Hedonistic Sustainability)と表現している。人は課題を突きつけられると、つい比較論で考えてしまう。「日本人は確かに他の国よりエネルギー消費は多いので、少し減らそうか」と。しかし、いったん生活の切り詰めに妥協してしまうと際限がなくなるのが世の常だ。そこを突破するキーワードが快楽的持続可能性ではないだろうか。

   「人類は生活を向上させることこそが進歩だ、日本には省エネで効率のよい生活を送る技術と知恵がある」と言い切って、その技術と知恵を世界に提供すればよいのではないだろうか。快楽的持続可能性、この言葉がわだかまりを解いた。

⇒12日(火)午後・金沢の天気  みぞれ
   

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