大学で学生たちと雑談していて、「宇野先生が学生時代に読んだ本で一番印象に残っているものは何ですか」と問われたことがある。学生時代は45年以上も前のことだが、それははっきりと覚えていた。「ドイツの社会経済学者マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』だよ」と。学生たちはそのころの小説などを期待していたようだが、「それはどんな本ですか」と意外な返事に形相を変えた。「ゼミで論じ合ったことがきっかけ。でも、社会人になってからもずっと頭から離れなかった」
この本=写真=は、資本主義はどのようにしてヨーロッパで生まれたのかというテーマを精神的土壌からひも解いていくものだった。プロテスタントの教義は、身分は低くとも自分の仕事に誇りを持って専念しなさいと人々を諭した。これがカルヴァンが説いた予定調和説の「あらかじめ神が決めたこと」だ。一方、カトリック社会では階級序列があり、より高い階級へ上昇できる可能性がある。すると、今の仕事はより高い地位に就くための通過地点にすぎないと考える人々は実入りのよい仕事に目を向け、現状の仕事に専念しなくなる。その結果として生産性は低くなる、とウェーバーは分析したと覚えている。
こうした「清貧な労働」はその後に変容していく。カルヴァンと同じく予定調和説に立ち「神の見えざる手」として市場原理主義を考えたアダム・スミスは、『国富論』の中で、労働こそ富の源泉とし、それまで富といえば宝石や農産物という考え方を覆した。労働価値というものがあり、貧しい社会が隆盛で幸福であろうはずはないとして高賃金論を展開していく。1776年に『国富論』が出版された当時、賃金が上昇すると労働者が怠慢になるという風潮があったからだ。この時代あたりから、予定調和説と利益追求が一体となって、現在イメージされる資本主義の原型が出来上がった。
学生たちにここまで話すと、質問が飛んできた。「ITやAIのこの時代に資本主義なんて通用しないのでは」と。確かにそうだ。「東西冷戦」という歴史があり、旧ソビエト連邦が1991年に崩壊し、誰もが資本主義が共産主義に勝ったと信じた時代があった。ところが、2008年にサブプライムローンの破綻によって、アメリカの金融マンや経営者がカジノの胴元のように称され、「カジノ資本主義」や「強欲資本主義」などと資本主義の評価は急落した。おのれの利益追求に暴走し経済が混乱に陥った資本主義の姿だった。
さらに、資本主義と表裏一体で進んだ産業革命では、生産性や物流を促すために、地下の化石燃料を掘り上げて大気中に二酸化炭素として撒き散らした。それが地球温暖化や気候変動という現象としてクローズアップされている。こう述べると、学生たちから質問が。「マックス・ウェーバーが唱えたプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神はとても清らかだったと思いますが、その精神はヨーロッパにはもうないのですか」と。「いや、すでにヨ-ロッパでは資本主義の原点回帰が始まっている」
資本主義を生んだヨーロッパで現在起きていること。アメリカ資本主義を象徴するファストフードのマクドナルドの1号店が1980年代にイタリア・ローマに出来たことが刺激となって、イタリア北部ビエモント州ブラという人口3万人ほどの町で「スローフード運動」の声が上がった。1989年にはパリで国際スローフード協会設立大会が開かれ、スローフード宣言を出している。3つの活動指針がある。「守る:消えてゆく恐れのある伝統的な食材や料理、質のよい食品、ワイン(酒)を守る」「教える:子供たちを含め、消費者に味の教育を進める」「支える:質のよい素材を提供する小生産者を守る」 である。
このスローフード運動は食行動の見直しから生きることの見直しへと波紋を広げて、ヨーロッパに広がっている。スローフード運動はいまやスローライフやスローワークへとカタチを変えている。ITやAI、さらに新型コロナウイルスの感染拡大は、資本主義文明の見直しをさらに加速させるだろう。「文明の紆余曲折は続くよ」
学生たちと30分ほどの雑談だった。そう言えば、今年はマックス・ウェーバーの没後100年に当たる。
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