自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆床の間の小宇宙

2020年09月29日 | ⇒ドキュメント回廊

           「猫寺」で知られる御誕生寺(福井県越前市)の住職、板橋興宗氏がことし7月5日に93歳で亡くなられた。金沢の大乗寺の住職をされていたころ、新聞記者として何度か取材に訪れたことがある。新米の記者だったが、いつも笑顔で丁寧に対応いただいた姿が印象に残っている。その後、大本山總持寺(横浜市)の貫首や曹洞宗管長を務められた。

   昨年3月に板橋禅師との思わぬ「再会」があった。知人から、茶室に掛ける円相(えんそう)の掛け軸を紹介してもらった。作者は「大乗七十世 興宗」とあったので、板橋禅師とのご縁を感じて買い求めた。円相は禅の書画の一つで、円形を一筆で描いたもの。その横に「人間万事 一場 夢(じんかんばんじ いちじょうのゆめ)」とある。世の中に起きる良し悪しのすべては、はかない夢であり、動じることはない、と自身なりに解釈してはいる。

   満月のようにも見える円相は絵なのか、それとも文字なのか分かりにくいが、禅宗の教えの一つとされる。円は欠けることのない無限を表現する、つまり宇宙を表現している、と解釈されている。茶の道も同じで、物事にとらわれずに精進すること。茶を点てるだけでなく、支度や片付け、掃除にいたるまでが一つの円のようにつながっている。

   千利休の口伝書とされる『南方録』には「水を運び、薪をとり、湯をわかし、茶を点てて仏に供え、人に施し、吾ものみ、花をたて香をたく、皆々仏祖の行いのあとを学ぶなり」とある。雑念を払い、ひたすら無限の境地で、自らの心を円相とせよ、それが茶の道の心得であると教えている。茶道で言う円相は、互いに心の交わりを楽しむ「小宇宙」の空間ではないだろうか。板橋禅師が存命中にこの掛け軸を持参して猫寺を訪ね、円相の意味を尋ねるべきだったと今さら悔やんでもいる。

   先日、富山県高岡市にある鋳物メーカー「能作」を見学に訪れた。展示されていた円形の花器が目にとまった。真鍮(しんちゅう)の製品で、眺めていると宇宙の惑星をイメージした。ひょっとして円相の掛け軸と円形の花器は相性がよいかもしれないとひらめいて、買い求めた。家族からは「それは衝動買いでは」と笑われたが。

   自宅でさっそく器に花を活けてみた。庭にあったムクゲ、アキジクミズヒキ、キンミズヒキを入れてみる=写真=。ムクゲはピンク色の「底紅」と真っ白な「祇園守り」が咲いていたが、祇園守りを使った。板橋禅師への供養の意味も添えたかったからだ。

   禅師が描いた円相の掛け軸、そして、花器を眺めていると、別世界に誘われる。自らの93年の人生は「人間万事 一場 夢」、心をひたすら円相とせよと語りかけてくる。「床の間の小宇宙」にしばし浸った。

⇒29日(火)朝・金沢の天気     はれ


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