前回のブログに引き続き、今年の2つ目のプライベートなチャレンジについて。金沢大学では共通教育科目として「マスメディアと現代を読み解く」「ジャーナリズム論」「能登の世界農業遺産を学ぶスタディ・ツアー」を担当している。最近学生と接していて感じていることなのだが、思慮深い若者が増えている。話していても、アンケートで答えてもらっても、「なるほど。そこまで考えているのか」と思うことがよくある。ただし、それをリポートでまとめる、あるいはディスカッションとなると、この若者の特性が出てこないのだ。「恥ずかしいから」「目立ちたくないから」なのかよく理解できない若者現象がある。
学生たちに読んでほしい、考えを実装するブログ論
今月12月に新書『実装的ブログ論―日常的価値観を言語化する』(幻冬舎ルネッサンス新書)を出版した。実は、この本を出版した動機の一つとして、若者たちにブログを書いてほしいという思いがあったからだ。
著書のタイトルにもある「日常的価値観の言語化」はごく簡単に言えば、自ら日頃考えていること、思うことを言葉として伝えること。ブログを使って文章化して、読み手に自分の考えを伝えることだ。文書の構成は起承転結でなくてもよい。結論を先に持ってくる逆ピラミッド型もありだ。問題は読み手に伝える技術である。言葉に皮膚感覚や、明確な事実関係の構成がなければ伝わらない。実際に見聞きしたこと、肌で感じたこと、地域での暮らしの感覚、日頃自ら学んだことというのは揺るがないものだ。それらは日常で得た自らの価値観なのである。その価値観を持って、思うこと、考えることを自分の言葉で組み立てることが「実装」なのだ。
ブログを書く作業は、フェイスブックやツイッター、インスタグラムなどのSNSと違って実に孤独だ。ただ、誰にも気兼ねせず、邪魔されずに自分の価値観を言語として実装するには最高の場でもあると実感している。では、ブログ自体の価値はどこにあるのだろうか。ブログ、つまりウェブログ(ウェブ上の記録)は書き溜めである。日々使うことができるブログに一体何を書き溜めるのか。
私の場合は時事、つまりニュースと関わっていきたいとの思いから「自在コラム」というタイトルで、自らの多様な目線で時評を試みている。新聞やテレビのニュースは読者や視聴者の「最大公約数」を見越して報道される。このメディアの発想はつまるところ東京目線であったり、視聴率至上主義であったりして、私たちの日常的価値観とは相当ブレている。そこをブログで突っ込みたいのだ。
メディア論の講義では、「ニュースは記事を読むだけではない。ニュースの流れを読めばさらに面白い」と学生たちに説いている。学生たちがこれから社会と関わっていく中で、日々のニュースと接し、自らの価値観や考えをブログに熱く書き込んで、自らのオピニオンとして世に問うてほしいと願っている。ブログは人間成長のツールでもある。(※写真上はジャーナリズム論の講義風景)
⇒29日(金)夜・金沢の天気 あめのちみぞれ
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