自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★続々々々々・イタリア行

2006年02月09日 | ⇒トピック往来

  イタリア人はけばけばしく見えるものを高級そうに見せる天才かもしれない。ミラノの中心にあるドゥオモは、イタリアの代表的なゴシック建築でバチカンのサン・ピエトロ大聖堂に次ぐ教会建築として知られる。このドゥオモの前の広場とスカラ座の間を結ぶアーケードのある商店街ガレリア(長さ200㍍、高さ32㍍)=写真・上=には世界のブランドが集まる。ミラノ市が管理している。つまり、この威容を誇るテナントの大家さんが行政というわけだ。そして、その行政の指導の下、しっかりした「まちづくり」が垣間見える。

   その一端がご覧の写真である。マクドナルドといえば、ハンバーガーの「マック」の愛称で知られ、日本でも世界でも同じあのロゴマークでおなじみである。ガレリアのマックのロゴはブラックとゴールドのツートンカラーである。向かい側のメルデスベンツも同じ配色である。実はこのガレリアではどんな世界的な企業であれ、ロゴは同じ色が条件となっているのだ。

  それぞれが独自の色を強調すれば、ミラノの中心商店街ガレリアはけばけばしい色に染め上げられてしまい、まちづくりのコンセプトそのものが失われてしまう。そこで、ロゴをかたちと色で大切にしたい企業側とそれを許さない市側の丁々発止があったことは想像に難くない。逆にそこで行政が折れるようでは、ミラノ市全体の「まちづくり」が頓挫、あるいは歯抜けになるに違いない。

  世界の有名ブランドであっても、ミラノ独自の色に合わせて従ってもらうという、「まちづくり」に対する行政サイドの強いメッセージをここガレリアで感じた。そして、こんな感じのマックが世界にひとつくらいあってもいい、と思った。

 ⇒9日(木)夜・金沢の天気  くもり

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☆続々々々・イタリア行

2006年02月08日 | ⇒トピック往来

  イタリア人のデザインはわれわれ日本人には真似ができないほどに洗練されている。もともとイタリア人の素質なのかもしれない。ミケランジェロやレオナルド・ダ・ビンチ、ラファエロといった名だたる天才芸術家を生む土地柄である。フィレンツェ周辺で生まれている。

  ルネサンスという時代が彼らを生んだのか、彼らがルネサンスという時代をつくったのか、という議論にもなる。フレスコ画という壁画技法がイタリアで、ジョット(1266-1337年)によって確立され、たまたま、その技法が生乾きの漆喰の上に塗るという一人一仕事の作業だった。したがって、それまで復数人の工房でなされた仕事が個人の仕事となり、才能ある個人の名が売れる時代と重なる。個人の発想や力量を競う時代になった。それがルネサンスを開花させたバックグラウンドだとの説もある。

  現代のイタリア人にとって幸いなのはそうした先人たちの技法やセンスを毎日のように観察できることであろう。ローマやフィレンツェ、ミラノそのものが美術館である。そして先達のモチーフは街にはあふれる。上の写真はミケランジェロの「アダムの創造」である。このデザインがローマにはレンタルバイクの広告になり、そしてミラノではサッカ-チームのポスター にもなる。その時代と発想と感性でイタリアのデザンが磨かれているのだと思う。もちろん意地悪な見方をすれば、名画のモチーフに乗っかった「あやかりデザイン」と言えなくもない。 

⇒8日(水)朝・金沢の天気   くもり

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★IPマルチキャスト放送の凄み

2006年02月06日 | ⇒メディア時評

  政府の知的財産戦略本部が、光回線やADSLのブロードバンドを使ってインターネットで地上デジタル放送のテレビ番組を提供する、いわゆるIPマルチキャスト放送について、著作権法上の「有線放送」と位置付けるとの方向性を打ち出した(2月3日付の新聞各紙)。

  このニュースの理解のポイントはマルチキャストの言葉の意味だ。ブロードキャストだと受信が誰でも可能となる。ユニキャストだと特定個人が対象だ。マルチキャストはその中間、つまり契約した多数に同時に送信するものだ。

   いまなぜこのIPマルチキャスト放送の著作権問題が出ているのかというと、地上デジタル放送はことし中に各ローカル局が対応するので全国でデジタル放送網が出来上がる。しかし、電波の届きにくい山間地などへはブロードバンドのインターネットを使って放送を流す計画(総務省案)だ。この際にネックとなるのが、インターネットを使った放送の著作権上での扱い。従来、文化庁はこのネット経由の放送を「自動公衆送信」と呼んで現在の有線放送(CATV)と区別してきた。

   今回の改正の方向性は、この自動公衆送信を有線放送と同じ位置付けとするもの。これによって、IPマルチキャスト放送の業者は、番組で使う音楽のレコード製作者ら著作権者に対し事後報告で済み手続きが簡素化される。現在は事前の許諾が必要で、これが手続きの煩雑さを生み番組のネット配信を阻む大きな原因とされる。改正法案は来年07年の通常国会で提出となる見通しだが、なにしろ、5.1サラウンドの臨場感ある音の演出が可能なデジタル放送であり、簡単に著作権団体がOKというか余談は許さない。

   今後この改正法案の成立を見込んで、IPマルチキャスト放送の事業者が続々と名乗りを上げるはずだ。なにしろ従来の放送の県域がインターネットによって外れる。県域内の難視聴世帯に対するマルチキャストは無料とするが、県域外への放送を有線放送並みに有料にすれば、これは大いなるビジネスチャンスにもなる。契約さえすれば、沖縄や海外にいても北海道の民放をリアルタイムで視聴できるようになるからだ。この意味では既存のCATV業者との確執も生まれよう。すでにKDDIなど4社が総務省にIPマルチキャスト放送の事業登録を済ませている。

   ともあれ、07年の参院選ではインターネットの選挙利用も解禁となる予定だ。続いて、IPマルチキャスト放送の利用も広がる。ネットが選挙と放送に本格的に組み込まれる時代。ネットの凄みである。

 ⇒7日(火)朝・金沢の天気  くもり  

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☆ちょっと気になった言葉3題

2006年02月06日 | ⇒トピック往来

  言葉にその時代の感性が含まれていると、なぜかしらその言葉が記憶に残るものである。最近、耳にしたり読んだ人々の言葉で脳裏に残っているものをいくつか。

   「金沢の街並みの景観をぶち壊しているのは屋根の上のあの無粋なアンテナなんです。あれを変えようと思ってここ10年努力してきました」。地上波デジタル放送用の平面小型アンテア=写真=を次々と開発している創大アンテナ(金沢市)の高島宏社長がある研究発表会(2月3日・加賀市)の冒頭に語った言葉だ。美術学校を出た高島氏にとって屋根の上のまるでイバラのようなテレビアンテナが気に障っていた。そこで一念発起して平面アンテナの開発に取り組み、アンテナをいまでは切手サイズほどにした。

  「日本の外交で先端を走って一生懸命になっているのは、外務省というより経済産業省だと思う。各国とのWTO(国際貿易機関)協定では本当に汗を流していると思うね」。馳浩代議士(文部科学副大臣)が金沢大学の林勇二郎学長との対談(2月4日・金沢市)で語った言葉。大学のあり方をめぐる話がいつの間にか政治、外交にまで広がって「時事放談」に。詳しい対談の内容は3月下旬に発行される金沢大学社会貢献情報誌「地域とともに」で。

  「私は今、ベートーベンの交響曲全曲演奏会に取り組んでいます。ベートーベンの前衛精神に挑戦する気持ちで、死ぬまで続けるつもりです」。朝日賞を受賞した指揮者の岩城宏之さんのスピーチから(1月28日付・朝日新聞)。昨年の大晦日、東京芸術劇場でのベートーベン演奏を9時間半に渡ってインターネットで配信する事業に私も携わり、演奏終了後に岩城さんとひと言ふた言。その際も上記の言葉の趣旨をはっきりと語っておられた。「死ぬまで…」との言葉は受け止め方によっては悲壮感が漂うが、5番「運命」にひっかけた岩城さん流の「しゃれ」だと私は解釈している。

⇒6日(月)朝・金沢の天気  ゆき 

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★続々々・イタリア行

2006年02月03日 | ⇒トピック往来

  イタリアではハンカチをプレゼントされることを忌み嫌う。他国の人がその習慣を知らずに贈った場合、数十セントで「買う」。そうすれば、贈られたことにはならない。なぜそこまでするのか。「ハンカチは涙(悲しみ)を運んでくるもの」との思いがイタリア人には強いからだ。ミラノで読んだ邦人新聞「月刊・COMEVA」の記事を引用した。 

   ミラノはローマやフィレンツェと違い、真新しいビルも建ち並び随分と活気があるとの印象だ。黒尽くめのファッションをまとったモデルのような女性たちが街中をかっ歩している。女性が生き生きとしている街だとも思った。ただ、気になることが一つあった。木を燃やしたようなにおいがどこからとなく漂ってくるのである。ずっと気になっていたが、ついに発見した。レオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」で有名なサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の間近で。

  ご覧いただきたい(写真・上)。屋上の煙突から煙がもくもくと立ち上っている。この他にもいくつか煙突を発見した。石炭などの化石燃料ではなく、木質なのでにおいがやさしい。これでピザを焼いているのか、とも思ったりした。

   それにしてもミラノの街は美しい。裏路地に入っても、ご覧のように整然として美的な空間が醸し出されている(写真・下)。木々の緑があれば、また異なった空間になるのだろう。しかし、葉を落とした街も青空が広がり映える。

⇒4日(土)午前・金沢の天気  くもり

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☆続々・イタリア行

2006年02月02日 | ⇒トピック往来

  ローマから目的地のフィレンツェへと高速新線「ユーロスター」に乗り込んだ。日本から持ち込んだ国際ローミング機能付きの携帯電話をパソコンにつなぐと車内でもメールを開くことができた。少し前まで、ヨーロッパは通信事情が悪いと聞いていたが、随分とインフラが進んでいる。

   ところでローマからフィレンツェを回って気がついたことがある。上の写真はバチカン宮殿の「ラファエロの間」にある「アテネの学堂」である。37歳で逝ったラファエロはこの絵で自画像も描いたが、彼の先輩であるミケランジェロも描いた。それが下の悩んだ様子の人物である。ミケランジェロは陽気でもてたラファエロとは違って気難しい性格だったといわれる。そして下の写真はフィレンツェのサンタ・クローチェ教会にあるミケランジェロの墓である。真ん中の女神の彫刻も悩んでいる様子を描いている。

   おそらく当時の人々にとっては、 この悩みの姿こそがミケンランジェロの象徴的な姿だったのだろう。若い頃にけんかで顔を殴られ、鼻が曲がってしまい、 このためもあって容姿に劣等感を持ち、気難しい性格になっとの言い伝えもあるが、定かではない。しかし、その気難しさが芸術の深みや、創作への意欲をかきたてたのではないか。

  私に芸術論を述べる資格はない。見た目の瑣(さ)末な話を取り上げたにすぎない。

⇒2日(木)朝・金沢の天気  くもり

コメント (2)
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