犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

川のほとりの大きな木

2018-10-30 20:55:34 | 日記

西アフリカに位置するリベリア共和国は、内戦が続く世界最貧国のひとつです。アメリカ合衆国で解放されて自由を得た88人の黒人奴隷たちが、西アフリカに入植し独立したのが1847年。リベリアの国名はliberty(自由)に由来します。

建国の父たちはキリスト教とアメリカ文化の影響を受けており、国民の3%にすぎないその子孫(アメリコ・ライベリアン)は、もともと地元に住んでいた部族を差別的に支配していくことになります。
1960年代に、アメリカ政府による途上国の教育や医療の支援のために組織された「平和部隊」に教師として参加したのが、クレイトン・ベスさんです。彼はそこで「差別」をめぐる話を聞かされます。この国を常に覆っている文化や宗教による差別ではなく、疫病をめぐる、昔本当に起こった差別の話です。

天然痘に冒された赤ん坊を抱えた家族が、村を追われて川のほとりの家にたどり着きました。子どもたちと家にいた母親(ハウ)は不審に思いながら、一晩だけ泊めてほしいと懇願する家族を家の中に導き入れます。翌朝目覚めてみると、赤ん坊だけを置き去りにして、その家族は逃げ出していました。
ハウは赤ん坊が天然痘に冒されていることを知り驚きましたが、赤ん坊を見捨てないと決意します。母親に命じられて川向こうの叔母の家に避難した息子と幼い娘は、天然痘を恐れる村人によって追い返されてしまいます。こうして、川をはさんで村から隔離された家族の生活が始まります。

『川のほとりの大きな木』(クレイトン・ベス著 童話館出版 原題 “Story for a black night”)は、ハウとその家族の、悲しくも感動的な物語です。
ハウは教会学校に通うことを両親に許された女性でした。つまりはリベリアの支配層のモラルに忠実であろうとした人間です。しかし、彼女を突き動かしたのは教会学校の教育ではなく、どうしても赤ん坊を捨てることできないという、それだけの気持ちでした。
一方、川を隔てた村の人々はハウの無思慮を責め、牧師夫人は、ハウの天然痘が悪化するのは、ひどい罪をおかしているからだと言い放ちます。

体じゅうの皮膚がただれ、奇跡的に一命をとりとめたハウが、村のマーケットを訪れたときのことです。彼女に近づいて、顔のあばたを慈しむように撫で、涙を流した女性がいました。アメリコ・ライベリアンに差別される地元部族の女性です。
彼女はハウに向かってこう言います。
「ああ、あんたの心のひとかけらをもらっていくよ」

『川のほとりの大きな木』は、成人したハウの息子がその娘たちの枕元で聞かせてあげるお話、という体裁をとっているので、子どもにも読みやすい本です。しかし、差別のあり方も、善と悪のとらえ方も、重層化し絡み合っていて、決して理解しやすい物語ではないかもしれません。それだけに、「この赤ん坊を捨てるわけにはいかない」というハウの決断の重さと潔さが、私たちの心に響くのです。
とりわけわかりやすさを好む、いまの時代だからこそ読まれるべき本だと思います。


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スロー・グッバイの始発駅

2018-10-08 10:15:57 | 日記

父の介護の日々を終えて、今感じるのは「あのとき、ああしていればよかった」という後悔の念ばかりです。
もっと頻繁に孫達との食事の機会をつくるべきだった。食事制限が取れ、車椅子で入れる回転寿司をようやく見つけ皆で食事をしたときの、孫達に皿を取ってあげる表情の輝かしかったこと。最晩年の闘病生活で見せた数少ない笑顔の印象でした。使命感に駆られるばかりではなく、介護の日々を素直に受け入れることで、もっと自然なコミュニケーションもあったはずだと、今にして思います。

内藤定一さんの歌集『スロー・グッバイ』(青磁社)は、著者の妻が抱えるアルツハイマーと向き合った、19年の記録です。長い介護の間には、戸惑いや絶望の瞬間もあるはずですが、自分たちの置かれた状況に少しでも前向きに対処しようという姿勢に心を打たれます。

痴呆後の空の広さをわれ知らず異なる思いに妻と歩めり

妻の見ている空は自分の見ている空よりも広く澄んでいるに違いない、著者は願いを込めてそう思います。しかし、妻と共有できない澄んだ空の広がりは、はがゆいことに著者から遠く退いていくようです。

悪意にも知恵にも無縁の妻と来て干潟に下りし鳥を見ている

徘徊癖のある妻を「それゆけハイカイ号」と名付けた自転車で連れ出し、干潟のうえから鳥を並んで見ている様子です。妻の空の広さを共有できないとしても、餌をついばむ鳥の姿を自分たちに重ねて眺めることはできます。ひっそりとこの世の片隅に生の営みを続けるつがいの鳥に自分たちを重ね合わせることで、著者は妻と同じ世界を共有することができたと感じることができたのかもしれません。あるいは、無垢な少女を連れた冒険好きな少年になった心踊る瞬間だったのかもしれない。

失語癖はげしき妻の目を見つむ かすかに意志をみせる目の色

著者が心の底から求めたものは妻との対話でした。言葉を交わすことが難しいのなら、せめて目の表情を読もうとします。これに応えるように妻の目の色に意志の光を見出します。著者の一途な気持ちが報われた瞬間の希望の歌です。

ほんもののやさしさだけしか通じない妻の痴呆に励まされつつ

幼い頃の精神に帰ってしまった妻から頼られている。著者は「ほんもののやさしさ」を持つものとして認められていることを、みずからの励みとして介護の日々を送る覚悟を詠いました。

徘徊はスロー・グッバイの始発駅どこへ行くのか誰も知らない

介護の「覚悟」と言っても、ここには著者の気負いは見られません。
介護の日々を詠んだ「介護詠」が、すぐれて私たちの希望でありうるのは、絶望的な断絶を乗り越えようと取り組む姿が、ひとのコミュニケーションの「原型」として、私たちに感じられるからではないでしょうか。贈り物をおくること、贈り物を受け取ることとしてのコミュニケーションです。


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