お茶の師匠のはからいで、稽古時間を1時間ごとに区切り、各時間2名「一客一亭」の入替え態勢で稽古が再開されました。全員マスクを着用し、八畳間を広く使っての稽古です。ふすまも窓も開け放たれており、爽やかな風が稽古場を通り抜けて行きます。「行雲流水」の掛軸、床柱には備前焼の「旅枕」花入から卯の花(ウツギ)が可憐に顔をのぞかせています。
卯の花を かざしに関の 晴着かな
芭蕉の弟子の曾良が、白川の関で詠んだ句です。真っ白な卯の花に、白い茨の花が寄り添っていて、まるで雪の中(関所)を越える心地がすると、そのときの様子を「おくのほそ道」が伝えています。昔の人が冠を正し、衣装を改めて関所を通ったように、卯の花を髪飾りにして装いを改めれば、関所を越える先人たちの晴れ着のようだと曾良は詠んでいます。いにしえの旅の空へ、想いをいざなう秀句です。
茶室のしつらえは、芭蕉と曾良二人道中の、長い長い旅を想像させる演出でした。思えば多くの「関」が人の往来を阻んでいるなか、こうやって二人一組ながら稽古に集うこともできました。真っ白な卯の花をかざすのではなく、白いマスクを付けてはいますが。
「行雲流水」の禅語は、空を行く雲や流れる水のように、何かに執着することなく淡々と生きる様子を表しています。ここから修行僧が「雲水」と呼ばれたりする所以です。不自由な生活を強いられる今こそ、失ったものの数を数えるのではなく、新しい生活として素直に受け入れる心構えが必要なのでしょう。
坂口安吾の作品『風と光と二十の私と』には、「行雲流水」の語が頻出します。小学校の代用教員時代の安吾は「行雲流水」を旨として生きており、太陽の光を浴びながら風に吹かれて、麦畑のなかを歩くのを無上の喜びとするような青年でした。しかし、安吾はそれを目指すべき到達点や、失われてしまった純粋さとは描いていません。それは空虚な無欲さであり、これから鍛えられるべき可塑体のようなものです。安吾が麦畑や森のなかを歩いているうち、自分と自然との境目が無くなるような気がして、もうひとりの自分が、木の茂みや土肌になって、安吾に向かって話しかけるのです。
彼等は常に静かであった。言葉も冷静で、やわらかかった。彼等はいつも私にこう話しかける。君、不幸にならなければいけないぜ。うんと不幸に、ね。そして、苦しむのだ。不幸と苦しみが人間の魂のふるさとなのだから、と。
コロナ禍のもと、少しばかり不自由に慣れたからといって「行雲流水」の境地にたどり着いたと思うのは、おこがましい限りなのかもしれません。むしろ、ここから私たちは自らを鍛え、変わっていかなければならないという、静かな決意が必要なのではないでしょうか。災厄がひとまず過ぎ去ったとき、ほんとうに元のままの生活を望んでいるのかという問いも、そこには欠かせないのだと思います。
白川の関を越えること、それはほんの旅の始まりに過ぎません。これから長い長い旅が始まり、更なる困難がわたしたちを鍛え、それが、ほんとうの意味での「新しい生活」をもたらすのではないかと思います。