シュバイツァーとアブラハムの「召命」を通して、あたかも前者が誰にも分かりやすい自然な姿、後者がやや思考実験めいた「循環の環」であるかのごとき対比を行いました。しかし、これとて誤解を生みやすい便宜的な説明に過ぎません。
コンゴ行きを決意した時、すでにシュトラスブルグ大学の神学科教授の地位にあったシュバイツァーは、当然のことながら、アブラハムの置かれた世界 (みずからに宛てられた言葉を聞く世界)の住人であったのです。彼自身、前掲書『わが生活と思想より』で、みずからをアブラハムになぞらえて、次のように語っています。
はじめて私がアフリカに行ったとき、私は三つの犠牲を覚悟していた。すなわち、パイプオルガンの音楽をあきらめ、執着の深かった大学の教職をすて、物理的独立をもうしなって、以後の生計は友人らの庇護に待つ覚悟であった。
この三つの犠牲を払う決心をつけたのであったが、それがどんなにつらい事であったか、親友のみが知っていた。
しかるにいまや、その子を犠牲にせんとしたときのアブラハムの運命が、私にも恵まれたのである。アブラハムのごとくに、私にも犠牲は恕(ゆる)された。(前掲著 231頁)
神学研究者として大学教授の職にあり、そのうえバッハ研究者やパイプオルガン奏者としての名声がとどろいていたシュバイツァーという人物は、30歳という年齢で初めて医学を学び医療の訓練を積むには、客観的に見て適任とは言い難いものでした。コンゴ行きが、いかに気高い行為であるとしてでもです。
「誰も彼もが、私の内心の扉も窓もことごとくこじ開ける権利を振るわんとしたので、この頃、どれほど私は苦しんだろう」と後に述懐するように、親戚や知人は強烈な抵抗を試みます。教授職にある彼を医学部の学生として受け入れるに当たって、大学は規則を変更するなど相当の便宜を図ったようですが、実際に指導に当たる教授としては面食らうばかりだったでしょう。
つまり、我々にも腑に落ちるような動機でもって召命に応えた、ととらえるにはシュバイツァーの場合、いかにも無理のある選択だったのです。
いやむしろ、彼の選択が「腑に落ちるように分かる」と考えること自体が、「他ならぬシュバイツァー宛」の召命を勝手に自分の文脈に置き換えることに他なりません。
シュバイツァーのことは結局、当人にしかわからないのだー
そう考えてゆくと、あたかも無限の循環の中に閉じ込められているかのように見えていた、アブラハムの説話のほうが、われわれに「開かれたもの」として現れるようです。そこには勝手な恣意的な解釈を許さない、厳然たる他者の命令があります。そのような言葉を聞くものとしてのアブラハムがいます。
そう考えてゆくと、あたかも無限の循環の中に閉じ込められているかのように見えていた、アブラハムの説話のほうが、われわれに「開かれたもの」として現れるようです。そこには勝手な恣意的な解釈を許さない、厳然たる他者の命令があります。そのような言葉を聞くものとしてのアブラハムがいます。
突然、他者の出現とともに世界が現れることについて、そこにおいて覚悟を強いられることについて、禅僧の南直哉さんの作品のなかのエピソードを思い出しました。シュバイツァーの場合とはだいぶ毛色が異なりますが、紹介させていただきます。
まだ幼い子供が川辺を歩いていると老人がたたずんでいて、よく見ると老人は捕まえたネズミを殺そうと竹籠ごと川の水に浸けています。子供の気配に気づいた老人は少年に向かってニヤッと笑いました。その瞬間、子供は次に語るように「世界が現れる」ことを経験しました。
まだ幼い子供が川辺を歩いていると老人がたたずんでいて、よく見ると老人は捕まえたネズミを殺そうと竹籠ごと川の水に浸けています。子供の気配に気づいた老人は少年に向かってニヤッと笑いました。その瞬間、子供は次に語るように「世界が現れる」ことを経験しました。
そのとき、私の中で何かが裂けた。それまで、どうということもなかった世界の何かが、突然欠けた。もうネズミもこの老人もどうでもよかった。いや、いなかった。というよりも、そのとき初めて私に『私』が、そして『世界』が現れた。その『世界』には、大人という『他人』がいた。(『老師と少年』新潮文庫 43頁)
卵の殻の中に「安らかに」閉じ込められていた子供は、世界に開かれるという経験をします。そこには大人がいて、私の予期し得ない、理解し得ない行動をとって私を苦しめます。
ここでは、シュバイツァーの場合のように、なにごとかをなせ、という召命がもたらされる訳ではありませんが、世界との関わり方を、ただひとりゼロから決めなければなりません。「召命」についての経験は、なかなか共有しにくいものだと思いますが、こうやって、突然世界が開ける経験は、大なり小なり心当たりがあるのではないかと思います。
そのような「世界」で、人が頼りにするに足る原初の積極性とは、「しょうがないなあ」という感慨に他ならないと南さんは、別のところで語っています。
そのような「世界」で、人が頼りにするに足る原初の積極性とは、「しょうがないなあ」という感慨に他ならないと南さんは、別のところで語っています。
他ならぬ私宛の召命に応える、とは「しょうがない、私がやるしかない」という感慨に近いのかもしれません。