中村哲さんは、その著書『医者、用水路を拓く』(石風社)のなかで、アメリカの空爆、タリバン政権崩壊後の「復興ブーム」を痛烈に批判しています。中村さんが亡くなった数日後に、アメリカ政府高官らが、軍事作戦や復興支援の失敗を認識しながら、国民に隠蔽していたとする内部文書がワシントン・ポスト紙によって公表されたのも皮肉な事実です。
中村さんは前掲書のなかで、現地技師の言葉を引いています。
カーブル以外は何も変わりはしないさ。外国団体が来たって、外人職員の給与で半分減り、テカダール(請負師)がしこたま儲けて支援金がなくなり、政府の有力者がピンはねする。涙金しか貧乏人には回って来ねえ。金持ちの外国移住と豪邸が増えるのが落ちさ。(88頁)
中村さんは、復興の欺瞞を指摘するのではなく、自分たちが「復興の範」を行動でもって示すことを「武器なき戦」と呼んで実行に移します。2003年3月19日、米軍のイラク攻撃の前日に、地方政府の要人、シェイワ郡長老会メンバー、PMS(ペシャワール会医療サービス)代表を集め、用水路建設の着工式を開きます。そこで中村さんは毎秒6トンの水を干ばつ地帯に注ぐと宣言するのでした。
そのときの様子を中村さんは次のように述べています。
我々の事業は、戦争という暴力に対する「徹底抗戦」の意味を帯びた。しかし、宣言にふさわしい力量があったとは言えない。この時、用水路関係のワーカーに指定した日本語の必読文献は『後世への最大遺物』(内村鑑三)と『日本の米』(富山和子)で、要するに挑戦の気概だけがあった。(前掲書 92頁)
中村さんは、近代的な機械力や技術に過度に頼らず、地元農民の手で作業ができ、維持や改修が可能な灌漑設備を目指して、故郷に近い筑後地方の水利施設を研究し、これをアフガニスタンの地に大胆に取り入れていきます。そして「挑戦の気概」だけからスタートした事業を、この日の宣言どおりに実現させるのです。
内村鑑三は『後世への最大遺物』のなかで、若い聴衆に向けて次のように語りかけています。君たちが後世に残すべくものとして「富」があろう。「事業」があろう。それらは自らを高め人を助ける立派な遺物である。しかし、これらは誰もが努力次第では遺すことの出来るものかもしれない。最も困難であって人を励ますことのできる最大遺物とは「勇ましい高尚なる生涯」ではないだろうか、と。
内村鑑三は、この勇ましい高尚な人生を歩んだ人の一例として、マウント・ホリヨーク女学校の創設者、メリー・ライオンの生涯を挙げ、彼女の女学生たちに向けた言葉を紹介しています。
他の人の行くことを嫌うところに行け。
他の人の嫌がることをなせ。
中村さんは、イラク空爆の前日に灌漑事業の着手を宣言し、これを現実のものにしました。内村鑑三の紹介したメリー・ライオンの言葉は、中村哲さんの生き方をそのままに言い表しています。
勇ましい高尚なる生涯でした。