犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

歳月不待人

2018-12-28 23:13:57 | 日記

初釜のお点前を務めるよう師匠から仰せつかって、稽古場の掛軸の「歳月不待人」に急かされるように感じます。全ての手順を頭に叩き込むためには、もう少し時間がほしい。しかし時は嘲笑うように過ぎ去ります。

陶淵明は「及時當勉勵 歳月不待人」(時に及んで当に勉励すべし 歳月人を待たず)と詠んでいるので、掛軸の言葉も「時の流れに負けないように刻苦勉励しなさい」という警句のように解されがちです。しかし、その四句前まで遡るとまったく違う色合いになります。

得歡當作樂 (歓を得ては当に楽しみを作すべし)
斗酒聚比鄰 (斗酒 比隣(ひりん)を聚(あつ)む)
盛年不重來 (盛年 重ねて来たらず)
一日難再晨 (一日 再び晨(あした)なり難し)
及時當勉勵 (時に及んで当に勉励すべし)
歳月不待人 (歳月 人を待たず)

嬉しい時は大いに楽しみ騒ごう。
酒をたっぷり用意して、近所の仲間と飲みまくるのだ。
血気盛んな時期は、二度とは戻ってこない。
一日に二度目の朝はないのだ。
楽しめる時はおおいに楽しもう。
歳月は人を待ってはくれないのだから。

酒を好む隠遁詩人の面目躍如たる詩です。しかし、この詩が享楽的な飲酒の礼讃だけではないことは、最初の四句を見れば明らかです。

人生無根蒂 (人生は根蒂無く)
飄如陌上塵 (飄として陌上の塵の如し)
分散逐風轉 (分散し風を追って転じ)
此已非常身 (此れ已に常の身に非ず)

人生には木の根や果実のヘタのような、しっかりした拠り所が無い。
まるで、あてもなく舞い上がる路上の塵のようなものだ。
風のまにまに吹き散らされて、
もとの身を保つこともおぼつかない。

陶淵明が生きた4世紀ごろ、老荘思想を主題にする「玄言詩」というものが盛んでした。具体的な事象よりも抽象的な哲理を主題とする詩です。陶淵明はこれに代わる詩の風格を生み出します。無常の現実の姿を写し、そこに哀しみを反転するような爆発的な歓びを表すのです。
この詩には「飲酒の楽しみ」であるとか「時の経つことの速さ」とか、そのような一般的なことがらが語られるのではなく、無常の日々を魂を削るように生きる、陶淵明の姿が浮かび上がります。
焦る気持ちも不安もすべてを引っ括めて、今をいとおしむ気持ちが「歳月不待人」の一語に込められています。


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