犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

利休の朝顔

2024-06-29 23:44:44 | 日記

利休の庭に見事な朝顔が咲いている、という噂を聞きつけた秀吉は、それでは見に行こうと、朝から利休の屋敷へ向かいます。どんなに丹精こめた朝顔が見られるだろうと楽しみにしていた秀吉でしたが、どこにも花は見当たりません。訝しんだ秀吉が茶室に入ると、床にたった一輪の朝顔が生けてありました。
たった一輪の花が醸し出す侘びの世界を演出するために、利休は庭の朝顔の花をすべて摘み取っていたのです。
これが有名な利休の「朝顔の茶会」です。

この朝顔が、今で言うアサガオではなく、ムクゲだったという説があります。アサガオは中国から渡来した新参者で、朝顔と言えば長い間ムクゲだったからです。朝顔という語はもともと「朝に咲く花」というほどの意味で、時代によって指し示す花の種類が違います。少し話が脱線しますが、わが国の「アサガオ」の歴史を概観してみます。

万葉集に詠われる朝顔は、明らかに「桔梗」を指しています。
  朝顔は朝露負ひて咲くといへど夕影にこそ咲きまさりけれ
    (作者不詳『万葉集』)

夕方にこそ美しさが際立つので、これは桔梗の花を詠ったものです。

奈良時代に「ムクゲ」が渡来して、朝顔は「ムクゲ」を指すようになります。『源氏物語』の「朝顔」の巻の「あさがお」は注釈書で「槿(ムクゲ)」の字が当てられています。

平安初期に薬草として中国から渡来した今で言う「アサガオ」は、薬草名で「牽牛(けんご)」と当初呼ばれており、次第に「朝顔」と呼ばれるようになります。今の「アサガオ」がしんがりに登場となるわけです。

利休の「朝顔の茶会」の話に戻ると、時代背景に照らしても、たった一輪残された花の侘びた風情という観点からでも、ムクゲのほうがふさわしいようにも見えます。
しかし、利休の孫宗旦の弟子筋が著した『茶話指月集』には「朝顔の茶会」のことが記されていて、そのなかに次の記述があります。
  「宗易庭に牽牛の花みごとに咲きたるよし、
         太閤へ申しあぐる人あり」

朝顔を「牽牛」と呼んでいることから、この記述が正しいとすれば、朝顔の茶会には「ムクゲ」ではなく「アサガオ」が生けられていたことになります。

私はと言えば、今で言う「アサガオ」の花を当てはめる方が好きです。紫のアサガオの生垣の前に、大柄な利休が仁王立ちして、つる草のアサガオを一気呵成にむしり取っている姿。そこには花の生命に対する、そして美そのものに対する畏れがあり、それらを振り切るように、利休の茶の湯への情熱がほとばしるのを感じます。

計算され尽くした詫びの形式を、淡々と披露しただけなのならば、それはこれ見よがしの作為ではないか、とも思います。そんなものではない、畏れも、驚きも、湧き上がる情熱も、それら一切が伝わるような利休の姿を思い描くのならば、やはり、つる草のアサガオではなければと思うのです。


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ヤマボウシの花

2024-06-22 23:45:22 | 日記

夕方の散歩道にヤマボウシの白い花が咲いています。

木を覆いつくすように花が咲くので目を引くのですが、どこか寂しげな印象を与えるのは、飾らない端正な花がまっすぐ四方に伸びる様子からでしょうか。この「花」のように見えるものは、実は蕾をつつむ葉が変形したものなのだそうで、そう言われて花をながめると、なるほどとも思います。

見た目に劣らず、名前も地味なこの木は、私にとってなじみ深いものです。数年前のこの時期、妻と散歩の途中に、この木の名前を教えてもらい、さほど日を置かずに同じ質問をして、あきれられてしまいました。そのとき名前の由来とともに、改めて教えてもらったので、この花の名前は頭の中にしっかりととどまっているのです。

ヤマボウシは比叡山延暦寺の僧兵(山法師)のことを指し、白い頭巾姿の僧兵を想起させることから、この名前が付いたのだとのこと。可憐さ、清楚さといったものとは程遠い名がつけられるのは、気の毒なような気もします。

美智子上皇后の歌に、この花を詠んだものがあります。

四照花(やまぼうし)の一木(ひとき)覆ひて白き花咲き満ちしとき母逝き給ふ

昭和63年5月にお母様を亡くしたときの歌です。この翌年1月、昭和天皇が崩御され美智子妃は皇后になられます。白頭巾の山法師が立ち尽くすように故人を見送る佇まいが、ちょうどこの花の印象と響きあって、秀逸な挽歌となっています。今は「ねむの木の庭」という公園になった正田邸跡に、ゆかりの木とこの歌を刻んだプレートが残されているのだそうです。

桜やツツジのように咲き誇る花とは違う、ヤマボウシには慎ましやかな魅力があります。風雨に負けないように花弁の代わりに葉を変容させたのだとすると、強くあろうとする木なのだと言うこともできるでしょう。風雨に耐えるこの時期の花が、あたかも人に寄り添うように静かに立っているのは、慈雨にも似た自然の恵みのように感じます。


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父の日に

2024-06-16 13:05:01 | 日記

昨日の茶道の稽古場に、社中のひとりが小さなお孫さんを連れてきていました。これから「盆略点前」のお稽古をするのだそうです。

玄関には可愛らしい花柄のサンダルがきれいに揃えられていて、社中の皆の微笑みを誘っていました。私はうちの玄関にも、あんなサンダルが十数年前には、いつも2足並んでいたのだとも思い、懐かしく感じます。

わが家の双子の娘たちは遅くに授かったこともあって、人に娘の話をするときには「まだ何歳」と言い添えていました。しかし就活も終えた彼女らは、来年からの新社会人としての夢を昨夜語っていて、いつの間にか「もう22歳」になろうとしています。これは父親にとって改めて驚きでもあります。

きのふまで吾が衣でにとりすがり父よ父よといひてしものを

今どきの家族思いの父親が詠んでいても不思議ではない歌ですが、これは幕末の福井の国学者で歌人、橘曙覧(たちばなあけみ)の一首です。安政の大獄で謹慎中の松平春嶽の命を受け、『万葉集』の秀歌を選んだ人です。
この歌は成長した娘を見て感慨にふけったものではなく、長女、次女を生後間も無く失い、ようやく4歳まで育った三女を天然痘で亡くした悲しみを詠んだ歌なのだそうです。橘は明治維新の年に亡くなっているので、幕末の激動期に詠まれた歌だとすると、この人の心を支えた子への思いに打たれる思いがします。

ところで父の日の今日、わが家の娘たちから、プレゼントをもらいました。きっと時間をかけて選んでくれたものなのだと分かる品でした。「父よ父よ」と言ってまとわりついていた子が大人になったのだと、ここでも改めて感じるのです。

世の娘半分は父を嫌うとぞ猫を撫でつつ答へむとせず
(宮地伸一)

世の中の娘の半分は父親が嫌いなのだそうだ、と猫を撫でつつ呟いてみるが、答えは返ってこないという切ない歌です。
私自身もそうではないとは言い切れない一抹の恐ろしさはありますが、幕末の歌人を支えた「いとおしさ」が自分にとっても疑いのないものであれば、それでよいではないかとも思います。


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あやめの記憶

2024-06-08 23:47:58 | 日記

福岡城の天守閣を建築しようとする動きが、このところ活発で、その一環として天守閣の形を鉄パイプで櫓状に組み上げ、桜まつりの期間、ライトアップするという企画がありました。
ライトアップは先月までなので、パイプの櫓がどうなっているか見に行ったところ、まだ形を残していました。

天守台に続くだらだら坂を降りると、多聞櫓という史跡の石垣の下に、菖蒲の花が群生しています。

夜の暗渠みづおと涼しむらさきのあやめの記憶ある水の行く
(高野公彦)

夜の暗渠のなかを、あやめが咲き誇ったであろう水源の記憶を携えて水が流れてゆく、その水音は涼しいと歌人は詠います。
あやめの記憶を連れた水は紫色に染まってはおらず、その流れる水音は暗渠のなかなので、地上から聴こえるはずもありません。けれども、この歌を読むと、あやめの紫のエッセンスと群生の記憶を凝縮した水が、さらさらと流れる音が聴こえるようです。「みづおと」となって今に触れ合うからこそ、記憶がよみがえるのです。

記憶というものは、視覚よりも聴覚や嗅覚、味覚などで爆発的に蘇るものだと思います。
ちょうどこの時期であれば、雨傘のカビ臭い匂いがすると、子供時代、土曜日の半ドンの帰り道を、仲の良い友達4人で傘をさして帰ったときのことを、ありありと思い出します。通り過ぎた家からは「松竹新喜劇」のテーマソングが流れていました。

ちなみに、菖蒲の群生する水辺や、南側住宅地を水源とした水流が、暗渠となって道路の下を流れ、たった1キロのあいだ菰川という名前になって姿を現した後、博多湾に注いでいると聞いたことがあります。そういうわけで、暗渠を流れるあやめの記憶という、突飛な取り合わせも、当地ではリアルな姿となって思い浮かべることができるのです。あやめ記憶をたたえた水音さえ聴こえるような気がします。

福岡城の天守閣建築の話は、特に経済界で盛り上がっているらしく、見栄えのする史跡の乏しい福岡市にとっては、経済波及効果の期待できるプロジェクトのようです。幕府謀反の嫌疑を恐れて直ちに取り壊したとか、そもそも最初から建っていなかったなどと、本当のところが分からないので、これまで建築に踏み切ることができないでいました。
私としては、視覚にのみ訴える偽物の記憶をつくりあげることよりも、桜まつりの期間だけのライトアップの幻に終わらせてはと思うのですが。


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雨奇晴好

2024-06-01 23:46:14 | 日記

お茶の稽古場の床の間に額紫陽花が飾られていました。
この季節に飾られることの多い花菖蒲が超然としたイメージなのに対し、紫陽花には親しみやすさとたくましさがあります。

紫陽花を英語にすると“hydrangea”となって、これは「水の器」を意味するのだそうです。
点前のときに水を汲む「水指」を連想させる言葉です。5月から半年間続く「風炉」の点前では、水指が正客の近くに寄せられるので、英語に訳してもこの時期の茶花にふさわしい花の名だと思いました。

これから梅雨の時期に入ると茶掛けには「雨奇晴好(うきせいこう)」などが使われます。出典は蘇軾の詩で、湖の風景を、「晴れてまさに好く」「雨もまた奇なり」と称えたものです。奇なりとは、珍しいという意味よりも、すぐれているというニュアンスで詠まれたのだと聞きました。
敢えて意訳すれば、晴れても素晴らしいが、雨が降るとより趣がある、となるのでしょうか。

話が飛んで申しわけないのですが、先日のインタビューで大谷翔平が「技術さえあれば、どんなメンタルでも打てる」と答えたのには、驚きました。技術が秀でているのは自他ともに認めるところでしょうが、技術がすべてをカバーするというだけの意味ではないとも思います。並外れたメンタルコントロールへの自信がなければ、このような言葉は出てこないと思うからです。

大谷が愛読する中村天風の言葉に「意気阻喪しそうになったら、そうなった原因を解消することよりも、まず意気阻喪しそうになる己の弱さを叩き直せ」といった趣旨のものがあります。しかし、そうやって理解しようとしても、言葉の強さの源泉が理解できないでいました。

そう思っていたところに、ふと「雨奇晴好」の言葉が浮かんできました。
どんなことが起こったとしても自分の生は輝かしい、いや、輝かしいものにするのだという、揺るぎない力がそこに貫かれているのではないか。そう理解すると、少しだけコメントの意味に近づけたような気がします。スポーツ力学や心理学に分化する以前の「リベラル・アーツ」の知恵の言葉だと受け取ることで、腑に落ちるような感じがするのです。

紫陽花が「水の器」と呼ばれるのは、一般的な花よりも気孔の数が多く、多くの水を必要としているからなのだそうです。紫陽花が、多雨の時期に合わせて、みずからの姿を変えてきたのかと思うと、ここにも命の限りない強さを感じます。


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