満開の桜を楽しむ時間もそこそこに、早くも桜吹雪の舞い散る時期になりました。
散る桜は世の無常を象徴するものとして捉えられますが、その無常そのものを消し去る願いが託されることもあります。
さくら花散りかひくもれ老いらくの来むといふなる道まがふがに 『古今和歌集』
華麗な人生を歩んだ在原業平の、みずからの老いに対する態度です。老いがやってくる道が分からなくなるほどに、桜の花よ散らしておくれと詠みます。
その業平も病に倒れ、死の直前には次のように、静かに受け入れようとします。
つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを 『古今和歌集』
昨日今日と差し迫ったものとは思ってもみなかったけれども、ついにその時が来たのだと諦観とともに受容する様子です。
「わたし」の死は、それを拒絶するにせよ受容するにせよ、その人の心持ちの表出にとどまります。その表出にシンクロしうるかどうかは、そのとき置かれたそのひとの状況によるのでしょう。
人の死はいつも人の死 いつの日ぞ人の死としてわが悲しまる 永田和宏『後の日々』
わたしの死はわたしが死ぬことによって、ついには経験されないものだから、つまるところそれは「人の死」としてとらえることしかできないものなのだ。わたしが葬式の席で人の死を迎えるように、わたしの死も親しい人に対してすら「人の死」として出現するのだ。
それは悟りすました認識というよりも、死というものに対して人が等しく据え置かれることへの覚悟の表出かもしれません。
死顔に觸るるばかりに頰よすれば触っては駄目といひて子は泣く 森岡貞香『白蛾』
妻が夫の死顔に頬を寄せる。そうすると不意に幼い子が「触っては駄目」と泣いたというのです。子どもなりに父の死を厳粛に受け入れようという気持ちと死を拒否する思いとがないまぜになっていたのでしょう。大事な母までが死の側に近づくのが耐えられなかったのかもしれない。死者によって妻として子として生かされていた者がその生き場所を失って、身悶えするように生き場所を探り合う、そういう光景です。
「死の人称」について語ったのはジャンケレヴィッチでした。「わたしの死」は一人称の死。それは他者にとってどうすることもできない、みずからの中で整理をつけるしかないものです。上記の歌でいえば、在原業平のそれが当たります。
第三者の死は三人称の死です。先に見た永田和宏の歌がこれに当たるかもしれません。この死がもたらす認識はひとに新たな覚悟をもたらす力を持ちます。
しかし、わたしたちにとって最も切実に、人生の態度を変えうる力を持つのが、その人によってみずからの立ち位置を与えられていたひと、話しかけるべき相手の死、二人称の死です。
最近読んだ養老孟司さんの本『半分生きて、半分死んでいる』(PHP新書)に、次のようなことが書いてありました。
ナチの収容所をいくつか生き延びたヴィクトール・フランクルは『夜と霧』を書きましたが、この本の中にはユダヤ人という言葉はひとつも出てきません。ナチもないと思う。国連事務総長だったワルトハイムは、若いころヒットラー・ユーゲントだったと非難されたけれど、そのときフランクルはワルトハイムを擁護して、多くのユダヤ人に非難されました。フランクルにとって『夜と霧』に描かれた死は「二人称の死」であったし、ワルトハイムに対しても二人称で接したのだ、と。