犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

天下一の点前

2020-04-19 19:27:51 | 日記

利休が宇治の茶商 上林竹庵の茶会に招かれたときのことです。弟子をともなって利休が来訪したことを、竹庵は無常の喜びとして茶室に案内しました。懐石を運び出し中立に至るまでは大過なく茶事は進みましたが、濃茶の点前になると天下の茶匠を迎えた緊張から、竹庵の手もとはふるえ、茶杓を滑り落とす、茶筅を倒すという粗相をしでかし、散々な点前になってしまいました。
相客である利休の弟子たちは、目配せをして腹の中で笑っていましたが、利休の反応は違いました。利休は「本日の点前は天下一である」と言って褒めたのです。

茶会からの帰り道、弟子のひとりが利休の意図するところを尋ねると、利休はこう答えたのだそうです。「竹庵は点前を見せる為に我々を招いたのではない。ただ一服の茶を振舞おうと思って招いたのである。湯がたぎっている間に一服の茶を点てようと思って、失敗、あやまちを顧みないで一心に茶を点ててもてなしてくれたではないか。その心に感じ入ったからこそ賞賛したのだ。」(筒井紘一著『茶人の逸話』淡交社 参照)
「ただ一服のお茶を振舞おう」という竹庵の「贈り物」は、利休には届き、弟子たちには届きませんでした。これを茶道の真髄の何たるかを心得た師と、未熟な弟子の違いととらえたのでは、茶道の仲間内だけにしか通じない、それだけの話になってしまいます。

実は、この逸話を思い出したのは、年若い哲学者による優れた著書『世界は贈与でできている』(近内悠太著 ニューズピックス)に触発されたからです。同書には「16時の徘徊」という逸話が取り上げられています。

あるサラリーマンの認知症の母親が、毎日夕方16時になると自宅からいなくなってしまうという話です。母親は、数時間後に自分で帰ってくることもあるのですが、行方不明になって警察から連絡が入ることもありました。同居して介護をしていた息子は、毎日16時までに自宅に帰る必要に迫られました。外出をやめさせようとすると、母親は息子に暴力をふるい、わめくようになります。地獄の16時を毎日自宅で過ごしていた息子は、悩んだ末にベテランの介護職に相談しました。
その介護職は、息子の伯父(母親の兄)に連絡をとり、16時という時間についてのヒントをもらったのです。その時間は、まだ幼かったころの息子が、幼稚園のバスに乗せられて帰ってくる時間ではないかとのことでした。
そこで、この介護職は、16時になって自宅から出ていこうとする母親に対して「今日は、息子さんは幼稚園のお泊まり会で、帰ってきませんよ」と伝えました。お泊まり会の通知の偽物まで作っていたそうです。母親は、通知を見ながら「そうだったかね?」と言い、部屋に戻っていったのです。他人から見たら徘徊にすぎない外出は、母親にとっては、愛する息子に寂しい思いをさせないための行動だったのです。これ以降、16時には介護職が自宅に来て、同じ説明を繰り返すだけで、母親は勝手に自宅から出なくなったという話です。
息子は、母親の住んでいたコトバの世界に入ることで、母親からずっと「贈り物」を受け取り続けていたことに気付かされたのです。

われわれはなぜ、代謝し続けなければ維持できない厄介なシステムを進化の過程で獲得したのか、その答えを手に入れることはできません。社会システムが、ギリギリの均衡の上でかろうじて安定を保っていても、その事実を知ることしかできません。ただ生命や社会が「不安定なつりあい」のなかにあるという事実を知ることで、転落を食い止めようとする「外力」が働いていたという想像をすることはできます。
近内さんによれば、16時の徘徊における「贈り物」のようなものこそが「外力」であり、それが贈与であることには、必ず遅れて気がつくのだというのです。

近内さんの立論はもっと精緻で、なおかつ分かりやすいので、同書をお読み頂きたいと思います。あわてて冒頭の利休の話に戻ると、わたしは初めて茶会の亭主を務めさせていただいて、茶会というひとつの場が、いかにあやうい均衡の上に成り立っているかを痛感した故に、近内さんの話が身にしみるのです。

利休は「ただ一服のお茶を振舞う」という竹庵のこころを、「贈り物」として受け取ることで、茶会を成立させました。隙のない流れるような点前であれば、見逃してしまうような「贈り物」を改めて気づかせてくれたので、「天下一の点前」とまで褒めたのだと思います。逆の見方をすれば、そうやってようやく成立するものが「茶事」なのだと、厳しく弟子たちをたしなめたのだと思います。


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