出張先の帰り道に、みごとな銀杏林があると聞いて、早速立ち寄ってみました。平日の昼下がりで、小さなお子さんを連れたお母さんたちで賑わっています。
傾きかけた陽射しを浴びた銀杏の林は、まさに黄金色に輝いていて、ときおり吹く風に葉が舞い散ると子供たちが歓声を上げます。金色の絨毯の上を子どもたちが駆け回る様子をながめていると、異世界に誘われるような心持がしてきます。
金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に(与謝野晶子『恋衣』)
晶子も同じように小さな子どもたちを連れて、銀杏の木の下で舞い散る葉を眺めていたのでしょうか。
銀杏の木は近・現代の歌や詩に多く現れますが、古代にはまったく登場しません。漢籍にも姿を現すのは希です。
銀杏の木は、約2億年前の中生代ジュラ紀に栄えましたが、170万年前の氷河期に恐竜とともに姿を消しました。100万年ほど前には化石の記録も途絶えているのだそうです。このため銀杏は、メタセコイアとともに「生きた化石」と呼ばれています。今残っている銀杏は、絶滅を免れた、たった1種類が10世紀ごろに中国南部で再発見されて、人間の手で移植させられたものなのだそうです。諸説ありますが、わが国に伝来したのは13世紀鎌倉時代あたりではないかと言われています。
なお「いちょう」の名は、葉の形が鴨の足に似ていることから「鴨脚(イーチャオ)」と名付けられた中国名が訛って伝えられたものだそうです。杏によく似た銀色の実をつけることから「銀杏」と表記されたり、孫の代にならないと実の収穫ができないことから「公孫樹」と表記されるようになりました。面白いのは、銀杏の英語名の“ginkgo”(ギンコーと読みます)は、「銀杏」の音読みの“ginkyo”を書き誤ったものらしいということです。
中国から渡り日本を経由して18世紀に世界に広がった銀杏も、その名前は「伝言ゲーム」のように変化しています。
うつしみの吾が目のまへに黄いろなる公孫樹の落葉かぎり知られず(斎藤茂吉)
「うつしみの吾」の目の前には、限りない異世界が広がっています。それは数億年前に栄えて絶滅したはずの生物の、時間を超えた再生の姿にほかなりません。