犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

あの人だったらどうするだろう

2013-07-14 11:20:52 | 日記
あの人だったらこんな時どうするだろう、そう考えることがあります。尊敬するあの人だったらどう考え、行動するだろうかと。
ベルクソンは「道徳」とはこのようなものだと言いました。「人類にあっておよそ存在した最善のものを代表する個性」の放つ呼びかけに引かれ、それにみずからを開いていくような態度、アスピラシオン(憧れの感情)こそ、道徳の基本だというのがベルクソンの考え方です。
 
ここで大切なのは、内省によって自らのうちに尺度を求めるのではなく、「みずからを開いてゆく」態度をみずからの規矩を求める原点ととらえている点です。この理路を明らかにするには、逆のことを考えれば良いのかもしれません。「みずからのうちに閉じていること」「このわたしにとらわれること」が、いかに実りの少ないことかと。
 
他の人にはなくて自分にあるもの、自分にしかない素質、そういうものが「自分」であって、それを開花させるのが自己実現である、普通そのように解釈されます。そうやって「自己実現」した自分のみが下しうる判断、というものも自明なものとして考えられます。
哲学者の鷲田清一さんによると、わたしがわたしを意識しはじめた時とは、わたしが「わたし」として自分をとらえた時にほかなりません。そして「わたし」という語は、わたしだけのものとしては使えない、「あなた」があなた自身を「わたし」とよぶというルールを受け入れることではじめて「わたし」といえるのです。
 
わたしは「わたしだけ」ということの否定においてはじめて「わたし」であることになる。これは怖い事実である。わたしは、わたしの固有な存在の否定において、はじめてなりたつことになるのだから。わたしは「わたし」という語を手に入れることによってじぶんに固有な存在を意識したとたん、固有なものとしては死ぬことになる。わたしはあらかじめ死ぬことによってしか「わたし」にはなりえない。(『ことばの顔』鷲田清一著 中公文庫)
 
「このわたし」が生まれる以前から存在する関係をさしあたりそのまま受け入れること、そのような関係を受け入れざるをえなかった自分をも、ある種の諦観をもって受け入れること、そこにはじめて「わたし」が成立することとなる、こう鷲田さんは述べています。
 
「自己とは自己自身に関係するところの関係である」キェルケゴールの『死に至る病』のなかの、読み手を煙に巻くようなフレーズも、鷲田さんは、まさにこの文脈でとらえます(『てつがくこじんじゅぎょう』鷲田清一著 バシリコ株式会社 15頁参照)。
 
自己というものがすでに様々な先行するものに媒介されている「関係」です。その「関係」に仕方がないなあといった具合に関係することで「わたし」が生まれるというのです。しかし、そう考えると、わたしに先行する関係も、それを仕方がないと受け入れる関係の仕方も、わたしが意思の力で選びとることのできない、あくまでも受け身の姿勢です。最初から最後までお膳立てのできあがった猿芝居のようなもの。
それでは「ほかでもないこのわたし」はどこに行ってしまうのか、自分にしかできないものなどないのではないか、そのような思いにとらわれる時、ものを書くときに思い浮かべる「かけがえのない人」のことに思いを致すのだと鷲田さんは言います。そこにこそ救いがあるのではないのかと。そして、ふたたびキェルケゴールの言葉に立ち戻ります。
 
「何に対してじぶんがじぶんであるかという、その関係の相手方が、つねにじぶんを測る尺度となる」(『死に至る病』)
 
自分がいかに卑小な人間であっても、自分が気になる人が立派であればすこしは慰められる、ギリギリの選択を迫られた時に我々が辿り着く切ない思いと、キェルケゴールの言葉は重なります。そこで、冒頭の認識にたどり着くのです。「あのひとだったらこんな時どうするだろう」そう思うことが、結局は自分の尺度になるのではないか。
「ほかでもないこのわたし」から「ほかならぬあのひと」に想いの先を変えることで「すこしは慰められる」ということは疑いのない事実です。そしてこの実践にこそ「ほかならぬこのわたし」の呪縛から解放されるための智恵がひそんでいるのだと思います。

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やるせない思い

2013-07-05 23:57:23 | 日記
尊敬する職場の先輩であるMさんが亡くなった後も、仕事は、そして日常は続きます。
Mさんの仕事に対する情熱を消さないようにと念じて、大事に仕事の引き継ぎを行いながら、それでもMさんの影は日に日に薄れていくのです。こんな時に、やるせない思いにとらわれたものでした。
 
「やるせない」という言葉は英語には訳せないのだそうです。メランコリックと言っても、センチメンタルと言っても違う。堂々巡りのなかに閉じ込められて、出口の見えないどうしようもない思いは、敢えて言えばゴーリキーの『トスカ』を二葉亭四迷が「ふさぎの蟲」と訳したものに近いのでしょう。確かに、私はくる日もくる日もふさぎ込んでいたように思います。
 
こんなに救いのない状況のなかで、それでも自分は世界と剥き出しで触れ合っている。このヒリヒリするような感覚は、しかし「あのとき確かに生きていた」という実感をともなって、今でも鮮明に蘇ってきます。
 
グレゴリー・ベイトソンの小話にこういうものがあります。
コンピューターの精神というものにとり憑かれた男が、スーパーコンピューターに「おまえの計算では、いずれおまえは人間と同じに考えるようになれるか」と尋ねました。コンピューターは自らのコンピューター的習性の分析にとりかかり、しばらくして演算結果を出力します。男が駆け寄ってプリントアウトされた紙を抜き取ると、こう書いてあったそうです。
That reminds me of a story.(そういえばこんな話を思い出した)
 
人間というものはひとつの事象を別の「物語」に置き換えて考えるものだ、それが知性というものの根幹なのだと、ベイトソンは『精神と自然』のなかで、この小話に続けて語っていたように思います。しかし、今こうも考えるのです。
どんなに辛い悲しい思い出であっても、それを逃れる術もなく耐えていた感覚、やるせない感覚を想起させることによって、にわかに人生をかけがえのないものに変えてくれるのだと。
「物語」を想起させる(remind a story)、とは、永遠に続くかに思われたやるせない瞬間を、もう一度解凍してみせることではないか、と。

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