犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

良寛さんの手紙

2024-08-30 23:45:06 | 日記

台風10号が九州を直撃上陸し、停滞したまま激しい雨を降らせて、各地に深い傷跡を残しています。職場は木曜、金曜ともに臨時休業としたものの、月末の営業停止です。ある程度の仕事の区切りをつけ、休日出勤した職員の帰路の確認や顧客への連絡もしなければなりません。いつもよりピリピリした緊張のなかで大型台風を迎えました。

自然の脅威というものは、身近な人との結束を固める一方で、「万一」のことについて冷徹な認識を共有することもあります。
だいぶ前に当ブログで紹介した話ですが、良寛さんが災害に遭った友人に宛てた見舞いの便りは、色々なことを考えさせられます。

良寛和尚には山田杜皐という与板に住む俳人の親友がおり、良寛は与板へ行けば、造り酒屋でもあった杜皐の家に泊まって、大好きな酒を飲み語り合っていたそうです。
良寛が最晩年のころ、三条市を中心に大地震が起こります。良寛の住んでいる地域は被害が少なかったのに対し、与板の被害が深刻であったことを聞いた良寛は、杜皐へ見舞の手紙を送っています。

災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 
死ぬる時節には死ぬがよく候

是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候 かしこ

このように、見舞の手紙の中に書かれていました。
一見、無情とも見えるこの言葉は、良寛と杜皐のお互いの生き方への共感を抜きにして正しく理解することができません。

良寛は「頑張ってください」と言うのではなく「災難にあったら慌てず騒がず災難を受け入れることです、死ぬ時が来たら静かに死を受け入れることです、これが災難にあわない秘訣です」と声をかけます。

被災を自分の身に置き換え、自分だったらどう考え、どう覚悟を決めるだろうか、そうやって考え抜いて紡ぎ出した言葉を、被災した友人に届けたのでした。おそらく酒を酌み交わし語りあった言葉に、響き合うものでもあったのでしょう。

手紙を受け取る杜皐とすれば、肝胆相照らす友人から、自分だったらこう考える、と声をかけてもらうのです。友の有り難さを改めて感じたことでしょう。そして、被災の失意にとどまることなく、次への一歩を踏み出す勇気を得たのではないでしょうか。
まさに台風の被害の発生しつつある今、自分なら友人にどういう言葉をかけられるだろうと考えます。


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タペストリーを織る

2024-08-23 23:23:17 | 日記

詩人の茨木のり子が、今まで読んできた詩のなかで、一番好きな詩を一編挙げるとすると何になりますか、と聞かれて次の詩を思いついたと書いています。(茨木のり子 長谷川宏著『思索の淵にて』参照)

年をとる それは青春を
歳月のなかで組織することだ

     ポール・エリュアール(大岡信訳)

青春の爆発や戸惑いや絶望などが、ないまぜになって、つかみようもないものを「縦糸」として結び直し、あれは一体何だったんだろうと思いつつ、「横糸」を一日一日と織りなして、一枚のタペストリーを織り上げることが人生なのかもしれない、と茨木のり子は述べています。「青春を組織する」とはそういうことなのではないかと。

この言葉には、身につまされる思いがします。若い頃のどうしようもないこだわりや、取り返しのつかない失敗と、常に折り合いをつけて生きてきたという実感があるからです。

私は詩の冒頭の「年をとる」という言葉を、歳月を重ねるということではなく「老境を生きる」という風にとらえ直してみました。

そうすると、青春のなかの本当に強い「縦糸」だけが、記憶のなかに仕舞われていることに気付きます。あたためていた夢を諦めたこと、人を傷つけてしまったこと、そんな縦糸を「組織」するのは、ひとつひとつのやり場のない思いを「鎮める」ことではないかと思います。鎮めることが「横糸」なのではないだろうか、と。

鎮めると言えば大げさかもしれませんが、若い頃とうてい受け入れ難いと思っていたことなどが、最近、懐かしい思い出としてよみがえることがあるのです。
青春の縦糸は、「鎮める横糸」によってひとつひとつ丁寧に括られて、タペストリーの端を飾る、フリンジになるのではないでしょうか。

茨木のり子は、こんな風にも書いています。

どんな仕事であれ、若い日の憶いが高齢になるまでひとすじ、つながっている人のほうが、どちらかと言えば好ましい。
(前掲書)

人生の終わりにタペストリーが織り上がり、ひとすじ、つながった縦糸が、ひらひらと風にそよぐフリンジのように自由であれば、その人は美しい人生を全うしたと言えるように思います。


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魂のつながるとき

2024-08-10 23:45:06 | 日記

立場を代わることのできないものどうしが、代わり得ないために、かえって奥深いところで、つながる。歌の世界では、そのあたりの機微に触れることができます。

噴水のむこうのきみに夕焼けをかえさんとしてわれはくさはら
(永田和宏『黄金分割』)

歌集の出版が1977年なので、この歌はもう半世紀近く昔、作者が歌人河野裕子と結婚し、2児を儲けて、大学の研究者としての道を歩み始めたころの歌だと思います。
夕焼けを眺めていて、後ろを振り返ると噴水を挟んだ向こうに、同じように夕焼けを眺めている君がいる。その邪魔にならないように、自分はあちらの草原へ身を移そうと気遣うのです。
夕焼けに注がれる妻の視線を妨げないように、自分の位置をずらしてあげることで、妻の視線は詠み手の視線と重なり合います。

自分が「ものを見る」のでもなく、認識や感情を共有するために「ともに見る」のでもなく、「君が見ることで、われが見る」という、もうひとつの「見る」あり方がここにはあります。
家族や気の置けない仲間に対して視線を預けるとき、たとえば懐かしい写真を差し出して見せるときなど、魂の深いところでつながりあうような悦ばしい感覚は、珍しいことではありません。心のこもった贈り物を、開けて見せるときの相手の視線などもそうでしょう。

夕焼けを眺めていた河野裕子は、それから三十年以上経って、次の歌を詠みました。病を得て余命いくばくもないと告げられた後の一首です。

陽に透きて今年も咲ける立葵わたしはわたしを憶えておかむ
(河野裕子『葦舟』)

みずからが生きた証として、ひたすら自分のために立葵を見て、その姿を憶えておこうと詠んでいます。しかし、「ひたすら自分のために」と歌に詠むことで、かえってその視線は、親しい誰かの視線へと移っていくのです。

河野裕子が亡くなった年の秋に、娘で歌人の永田紅さんが文芸春秋に「これから母はいない」というエッセイを寄せていて、亡くなる間際まで家族の食事の心配をする、主婦であろうとし、母であろうとした姿が描かれています。
エッセイは、前掲の歌で結ばれており、永田紅さんの目に立葵の花が咲いているようです。
代わり得ないものの魂が、つながる瞬間だと思います。


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どうして死ぬんだろう

2024-08-03 23:53:43 | 日記

夏の時期の歌のなかで、気になってノートに書きつけていた一首に、しばらく目が止まりました。

秋茄子を両手に乗せて光らせてどうして死ぬんだろう僕たちは
(堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』)

いっぱいに広げた両掌に秋茄子を乗せてかけてゆく少年、その茄子は陽に照らされて黒光りしており、走るにつれてずっしりと重みが伝わってきます。世界はこんなにも光と命に満ちているのに、どうしてすべてのものに死は訪れるのだろうと、少年はしばし走る足を止めます。夏の日の眩しい一瞬を切りとった一首という風に、勝手に想像を膨らませて読みました。

自分は間違いなく死んでいなくなり、その不思議さ恐ろしさを感じていることすらすっかり消え去って、まるで自分が生きていた事実が嘘だったように、自分の与り知らない世界は続いてゆく。この揺るぎない事実に初めて向き合って、ずっと塞ぎ込んでいたのは、私の場合、小学校三年生くらいのことだったでしょうか。
誰もが経験する自分自身の死との対面は、その後の人生の本当に重要な局面で、そのときの感覚のまま再現されるように思います。

そうしてみると、冒頭の歌は少年の歌ではなく、むしろ「送り火」の準備やなにかで秋茄子を手に取るとき、少年の日の「死との出会い」がフラッシュバックした様子を詠んだもの、と捉えた方が味わい深いものがあるように思います。少年の歌ならば、結句の「僕たちは」ではなく、たとえば「この僕は」となるのではないか、とも考えました。
「この僕は」を卒業して「僕たちは」と詠めるようになったとき、どうしようもない孤独が、むしろ孤独を埋めるような働きをすることを知るのだと思います。つまり大人になるのです。

少年はやがて「人生の一回性」などという便利な言葉で置き換えて、落ち着き払ったようでいて、実は少年の日の最初の恐れの感覚をごまかして澄まして生きているのだということに、人は魂の大切な局面で気がつきます。

誰にも代わってもらえない不安、代わってもらえないこと自体からくる不安は、共有できないが故に、深いところで人と繋がりうるということ。これを知ることで、人ははじめて本当に大人になるのではないかと思います。


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