「宗旦木槿(そうたんむくげ)」の花が咲いています。
夜中の台風に吹き飛ばされないように、室内に避難させていたプランターを、台風が過ぎ屋外に出しておいたところ、翌朝になってみるとやわらかな花弁を広げていました。まるで暴風雨から守ってくれたお礼のようです。
葉陰に咲いている一輪の花は、白色に底紅の色が淡く浮き出ていて、別の世界への入口がふんわりと開いているようにも見えます。そして今朝咲いたこの花は、夕方にはしぼんでしまうのです。
一日限りにしぼんでしまうはかなさを、「槿花一朝の夢(きんかいっちょうのゆめ)」と言ったりしますが、利休の孫「宗旦」が、この言葉とともに、白地に底紅の木槿の花をことのほか愛でたことから、「宗旦木槿」と呼ばれるようになりました。宗旦が茶の湯に求めたのは、はかなさをともなう、圧倒的な存在感なのだと思います。
利休の孫とはいえ、もともと後妻の連れ子の子という立場の宗旦は、利休の勧めもあって大徳寺に預けられました。秀吉の勘気に触れて断絶していた千家が復興したのち還俗し、利休のわび茶の発展に力をそそぐことになります。
徳川家をはじめ諸大名からの仕官の誘いをすべて断り、清貧を貫いた生活は困窮を極めたそうです。また、その生活ぶりが乞食修行をしているように見えるので「乞食宗旦」とも呼ばれたともいいます。宗旦の茶に対する利休高弟からの批判も厳しかったようで、おのれの信じる茶の道をひとり歩む姿と、一日限りで散ってゆく花の姿の、たたずまいの潔さが重なるようにも思えます。
さて、「槿花一朝の夢」の出典をたどっていくと、白居易の詩の「槿花一日の栄」に行き着きます。
松樹千年終是朽 槿花一日自為栄
(松樹千年終に是れ朽ち、槿花一日自ら栄を為す)
以下が大意です。
松の寿命は千年というが、いつかは朽ち果てる時を迎える。
木槿の花はただ一日の命ながら、その命を立派に咲かせて全うしている。
「松樹千年翠」に詠まれた永遠の姿を圧倒するような、木槿の「一日」の輝きを白居易は詠います。そして次のように続けます。「どうして、いつも生きるのに恋々として、死を怖れるのか。あるいは、いたずらにわが身を無用なものと思って、生きていることを厭うのであろうか」と。
後段の、どうしていたずらに我が身を無用なものと思って、生きていることを厭うのであろうか、のくだりは、そのまま宗旦の境遇と、それを跳ね返す力強さを連想させます。
そう言えば、おもいがけず顔をのぞかせた、たおやかな花は、猛烈な台風をくぐり抜けた力を宿しているようにも見えます。堂々とおのれの姿を貫きとおして、恬淡としている力強さです。