柳田國男の『先祖の話』、坂口安吾の『桜の花ざかり』と、いずれも東京大空襲を契機にした作品に触れてきました。短歌の世界にもまた、東京大空襲の桜を題材に詠まれた優れた作品があります。
すさまじくひと木の桜ふぶくゆゑ身はひえびえとなりて立ちをり
歌人 岡野弘彦は、東京大空襲で一本だけ残った桜の、咲き誇る様子を目の当たりにしています。
岡野は桜に向かって「ひえびえと」立ち尽くすことしかできませんでした。このとき、もう桜を美しいとは思うまいと感じたのだそうです。
『現代秀歌』(岩波新書)で永田和宏は、前掲の歌の紹介のあと次のように記しています。
岡野弘彦の歌は終戦直後のものである。軍人として、東京で累々たる死屍を処理するという作業のあと、茨城県の小さな町に配属になった。その町の小学校で桜のふぶくのを見たとき、己の内から異様な腐臭の立ちのぼるのを感じたと自ら記している。(177頁)
東京大空襲の桜は、死者とのつながりを実感させる何ものかであったかもしれず、さあ生きようという励ましであったかもしれません。しかし、歌人にとっては、ただひたすらに気味の悪い異物として立ち現れました。
永田和宏は前掲書の中で、出来事、事件や災害にあたって詠まれる「機会詠」を残すことの大切さを説きます。歴史書では残すことのできないものを残す手段だからです。
さまざまな出来事が社会では起こっている。重要なものは記録として後世に伝えられ、それが歴史を構成する。しかし、そこで唯一抜けていくものは、現場に居合わせた庶民の感情、その事件や災害をどのように受け止めたかという現場の感情である。これは記録としてほとんど残らないと言わざるを得ない。後になってルポルタージュやドキュメンタリーとして、一部の人々の感情が再現、再構成されることはあっても、その場に居てリアルタイムでどう感じたのかは、きわめて残りにくいものである。(149頁)
東京大空襲のもとで咲き誇る桜の花は、歴史書のなかで扱われることはないでしょう。また、多くの人々の「リアルタイムでどう感じたか」が一致していることも、あり得ないことです。
70年の時を隔てて「東京大空襲の下の桜」をキーワードに、坂口安吾のエッセイと岡野弘彦の短歌を並べて掘り起こすこと、その機会が残されていることこそが大切なのだと思います。