犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

脚下照顧

2024-11-30 22:55:08 | 日記

稽古場の茶掛に「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」の言葉がありました。師走のあわただしさに、我を忘れないようにという戒めなのだと思います。

これは道元禅師の言葉で、自分の足元をよく見よ、という意味から転じて、人のことをあれこれ言う前に、自分自身を振り返ってみよ、という風に解されたりします。
道元は、しかしもっと即物的な意味で「脚下」を捉えていたようで、履き物をきちんとそろえることを、日々の修行のなかに取り入れていたのだそうです。自らの履き物もそろえることができないのは、心が乱れている証拠なのだと。

忘年会の季節ともなると、たくさんの靴が並べられた景色を見ることになります。
並んだ靴を見ていると不思議な感覚にとらわれます。ついさっきまで履いていた本人と行動を共にしており、本人の「今」を体現していたものが、玄関先で突然「今」から切り離されて、そのまま黙って他の靴たちと並んでいます。

他の靴もついさっきまで「今」を体現していたのだとすると、靴たちは、それぞれの「過去」を背負ったまま仲良く並んでいて、その様子は、まるで並んで立つ墓標のようだと思ったりします。
履き物を脱ぐという行為は、そうしてみると自分の過去を、ひと様の前にさらけ出すということにも等しいのではないか。脱いだ履き物をそろえることは、さらけ出す自分の過去に、きちんと向き合うことになるのではないか、などと考えます。

以前勤めていた会社に、元ホテルマンという人がいました。その人が、外回りに出かける上司や同僚に対して大きな声で「いってらっしゃいませ」と声掛けするのです。私はついに、この掛け声に唱和する勇気がなかったのですが、その人の「人に会ったら必ず靴を見る」という言葉は忘れられず、30年以上経った今でも出かける前に、靴に布を当てるようにしています。靴の手入れを小まめにする人は、身だしなみ全てに気を配る人だからだ、と捉えていたのですが、「脚下照顧」の言葉について考えるうちに、もっと別の意味合いも込められるような気もします。

靴をきれいに保つこと、きちんとそろえて置くことは、いずれひと様に見られる過去の姿からさかのぼって「今」を丁寧に生きることではないのか。「脚下照顧」とは、今の自分自身を省みなさいという意味にとどまらず、ここに至るまでの過去に責任を持ちなさいという意味も込められているのではないか。茶掛に触発されて、そんなことを考えました。


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山茶花しぐれ

2024-11-23 23:04:56 | 日記

夜明け前に降っていた雨が、近所の山茶花(さざんか)の生垣を濡らしていました。花の少ないこの時期の山茶花の赤は、路地にひときわ鮮やかな彩りを加え、雨に濡れることでいっそう艶やかに見えます。

この時期の時雨を「山茶花時雨(さざんかしぐれ)」と呼びはじめたのは、雨に濡れてなお美しいこの花の健気さに惹かれたからでしょう。花を散らしてくれるな、という思いが強く表れて「山茶花散らし」という呼び方にもなったのだと思います。

冬にいる庭かげにして山茶花のはな動かしてゐる小鳥あり
(中村憲吉)

童謡の一節のように懐かしく、山茶花の楚々として可愛らしい印象が引き立つ一首です。「椿」では、小鳥に押されてうっかり花ごとポトリと落ちてしまいそうなので、この歌の魅力は、やはり山茶花ではなくては出せないなどと考えます。

ところでこの花の名前は、中国語でツバキ類一般を指す「山茶花」から来ており、もともとの読みは「さんさか」であったのだそうです。これが「さんざか」と訛り、語順も入れ替わって現在の「さざんか」となったのだそうです。

花の名前に「茶」の字が付いているために、残念なことに、茶花としては避けられます。それでも花の少ないこの時期には貴重な存在ですので、茶席であえて使う場合には「山椿」などと呼ぶのだそうです。

そうやって時代により、場面によって、違った名前で呼ばれても気にしない鷹揚さもまた、この花の魅力のように思えてきます。

今日は高校生の社中が、研究会(家元直属の先生を講師に招いて実技指導を行う会)で、お点前を担当する日でした。私は出席できませんでしたが、一緒に出席した妻によると、堂々としたお点前だったそうです。
素直で努力家の彼女のお点前を想像して、今朝みた山茶花の花を思い出しました。


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『菊花の約』を読む

2024-11-16 22:55:55 | 日記

石川淳著『新釈雨月物語』のなかで、印象に残った話をもうひとつ紹介します。「菊花の約(ちぎり)」は、おおむね次のような話です。

馬鹿正直を絵に描いたような学者、丈部左門は世渡り下手な人物でした。そんな左門が行き倒れになった病人を、流行り病だからよせと人が止めるのも聞かず、親身に看病します。病から回復した赤穴宗右衛門は優れた軍学者で、身を捨てて我が身を救ってくれた左門に恩義を感じ、左門も宗右衛門の博識人柄に惚れ込んで、二人は義兄弟となります。

宗右衛門は重陽の佳節には必ず戻ると約束をして、出雲に旅立ちますが、政争に巻き込まれて捕らえられてしまいます。これでは義兄弟との約束を果たせぬと考えた宗右衛門は自刃のすえ、重陽の節句の日に、亡霊となって左門と再会の約束を果たしました。
この事情を亡霊から聞いた左門は、宗右衛門の無念を晴らすため単身出雲に向かい、宗右衛門の仇を一刀のもとに切りすえ、みずからは姿を消します。

という話なのですが、約束を守り抜いた宗右衛門の立場も、友の仇を打つ左門の境遇もひたすら気の毒なだけのように映ります。左門が仇を討っても世の中は何も変わらないのですから。さすがに、乱世に咲いた義兄弟の花は眩しくはありますが、身の震える感動話とまでは言えません。
それでは何が読むひとの心を打つのでしょう。

文章の力だと私は思います。

例えば、宗右衛門が病が癒えるまで左門の家に長逗留する、こんなくだり。

きのうきょう咲いたと見えた尾上の花もすっかり散って、すず風に寄る波の、色にもしろき夏のはじめとはなった。
(石川淳『新釈雨月物語』)

きのふけふ咲きぬると見し尾上の花も散りはてて 涼しき風による浪に とはでもしろき夏の初になりぬ
(上田秋成『雨月物語』)

石川淳は、上田秋成の格調高い調べをそのまま活かしています。それは初夏の季節の移ろいを一息に感じる宗右衛門の魂の旋律でもあります。まさに言葉は言霊となり、宗右衛門の魂とともに、われわれのもとに届くのです。


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『貧福論』を読む

2024-11-09 23:00:45 | 日記

上田秋成の『雨月物語』を口語新釈で読みました。絶版になった石川淳『新釈雨月物語』(角川文庫)をアマゾンで取り寄せたものです。そのなかの「貧福論」を読んで、しばし考えさせられました。大略、次のような話です。

蒲生氏郷に仕える武将、岡左内は、金銭にこだわる逸話で知られる奇人でした。自身は富に拘泥しつつも、蓄財に励む家来に褒美を与えるなどしたので、人気のある侍でもありました。
ある夜、左内の枕元に小さな金の精霊が現れ、次のように語ります。
金を卑しいものとして軽んずる世の傾向は嘆かわしいものだ。財を求めるこころをないがしろにして、名をのみ求めるひとは、ひととして賢ではあっても、ふるまいは賢ではない。名と財を求めるこころは、ふたつあるわけではないと。

我が意を得たと喜んだ左内が、精霊に貧富のことわりについて続けて尋ねます。
ご高説はその通りだと思うが、富める者の八割がたは慾深で慈悲のかけらもない人々である一方で、忠節孝行に励んでいても貧しいが故に不遇をかこつ人もいる。これは不条理だ。仏法では前世の報いがあると説くので、今世で報われなくとも来世で相応の報いがあると考えれば、いくらか納得もいくのだがと。

これに対して精霊は答えます。貧富は前世の因縁であるとか、天命であるとかの説は、たぶらかしの俗説である。金の精霊である私は非情の者であって、人の善悪に従ういわれはないので、はっきり言ってしまうが、金は金の道理で動くのだと。
精霊はまた、時代の勢力の動きを語り、豊臣の治世が長くないと予言しました。この訪問は左内に大きな影響を与えた、という話です。

一読して教訓を引き出すのが難しい話です。
精霊は、名と財を求めるこころは別のものではないと言いながら、財の道理は人の善悪の基準とは無関係に動くと語っているのが、話を分かりにくくしているのです。

そこで、こんな風に考えてみました。

左内という侍が、本当の金の亡者ならば、前世の因縁などという言葉をわざわざ持ち出して、みずからの悩みを吐露することはなかったはずです。だからこそ前世の因縁など迷信に惑わされていては「名と財」の両方を得るはずの、左内の心掛けは叶わないだろう、金の精霊としてはそう語ったのではないか。

かりに左内が、利己主義の限りを尽くしたセリフを吐いたなら、精霊は「自惚れることなく貴殿が人に慕われる理由について思いを致せ」と一喝したのではないか、とも思います。

そうだとすれば、金の精霊がわざわざ左内の枕元に現れたのは、こんな理由ではないか。すなわち、「名と財」で乱世を生き延びる極意は臨機応変に尽きる。金の精霊である私の、人を見て法を説く振る舞いから、学ぶべきは学べと伝えようとしたのではないかと。


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あわいに立つ

2024-11-01 23:10:05 | 日記

炉の点前がふすまを締め切ることから、11月の茶掛けの禅語には、小宇宙を描く言葉が選ばれるように思います。いずれも、閉じた小さな空間の内と外とで、全く違う世界が繰り広げられていて目の眩む思いがする、という意味の言葉です。

「壺中日月長(こちゅうじつげつながし)」の出典は『後漢書』に収められた奇譚です。
壺公という老人が、夕暮れ時になると身を隠してしまうのをいぶかしんだ役人が、壺公が壺の中に入っていくのを見つけて、中を案内させます。役人が驚いたことには、壺の中の世界は金殿玉楼がそびえ、広い庭園には花々が咲き誇っており、泉水も随所に設けられています。
役人は侍女たちから美酒佳肴のもてなしを受けたり、仙術の指導を受けたりして、時を忘れるほどに楽しく過ごしたのですが、やがて現実の世界に帰る日になりました。ところが本人は二、三日滞在したばかりと思っていたのに、十数年も時間は経っていたというのでした。浦島太郎のような仙境奇譚は、世界中にあるようなのです。

「開門落葉多 (門を開けば落葉多し)」は唐代の詩の一節で、次のような対句の後半です。

聴雨寒更盡 (雨を聴いて寒更尽き)
開門落葉多 (門を開けば落葉多し)

軒端をたたく音が草庵で夜更を過ごす侘しさを増し、夜具を通しても冷えびえとした空気が身に染みます。ところが、夜が明けて庭の潜り戸を開けてみると、一面に落葉が敷き詰められている様子が目に飛び込んできます。雨音とばかり思い込んでいた夜更けの音は、じつは秋風に吹かれて舞い落ちる落ち葉の音だったのです。
目の前の一面の落葉は、まぎれもなく現実なのですが、昨夜寒さのなかで侘しく聞いた雨音のほうが現実で、色鮮やかな落葉の景色はまるで幻のように眼前に広がっています。
氷雨が草庵に降りしきる寒々しい景色が、夜が明けて門を開くと一面の幻に変わるのは、「壺中日月長」とは逆の展開です。

壺(門)の内と外の、虚実がないまぜになった世界を描くという意味では、二つの話は共通しています。小宇宙のなかは幻であり現実でもあって、その二つの「あわい」に立つのが、炉によって演出される玄奥の世界なのかもしれません。


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