宮澤賢治の詩「アメニモマケズ」の六行目に「決シテ瞋ラズ」があります。一生のうちに何度も触れる詩ですから、ルビが振られていなくとも、前後の流れで「いからず」と読めます。
これが仏教において三毒と呼ばれる「貧・瞋・痴」すなわち「貪(むさぼ)る、怒る、愚痴る」のうちのひとつであると気がついてみると、改めて「慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル」のくだりが別の景色を帯びてきます。
作家で僧侶の玄侑宗久さんが、宮澤賢治について綴った文章のなかで、極めて印象的なエピソードを書いておられたので、改めて「瞋」について考えるきっかけになりました。
玄侑さんが、胎盤剥離で死産した赤ちゃんの火葬に立ち会ったときのことです。「見送り室」に駆けつけたときには、年若い父親と幼い兄弟をはじめとする近親者が立ちすくんでいました。大きすぎるステンレスの台の上に、長さ40センチほどの小さな棺が置かれており、棺のなかには産着を着せられ、カラフルなおもちゃに囲まれた赤ちゃんの姿があったそうです。
月満ちてすっかり生まれて出てくるばかりであった赤ちゃんの顔には、うっすらと眉間のしわまで刻み込まれており、それは怒りの表情にも見えたと、玄侑さんは書いています。
焼香をして読経をあげるうちに、玄侑さんは興福寺の阿修羅像を思い浮かべました。そして宮澤賢治の「春と修羅」の一説が、阿修羅の呟きのように、また、亡くなった赤ちゃんの思いのように、思い起こされたのだそうです。
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
玄侑さんは、興福寺の少年のような阿修羅像の怒りは外部に向けられたものではなく、自ら内部の受け入れ難い矛盾に対して向けられているように思うと言います。そうだとすると、それは春の陽光のような慈悲の力によって溶かしてもらうしかないものかもしれません。
玄侑さんは、亡くなった赤ちゃんの形相を自らの内の矛盾に向けられた「自噴」に、つい今しがたまで赤ちゃんを包んでいた胎盤を「慈悲」に見立て、次のように語ります。
「春と修羅」というタイトルは、おそらく「慈悲と自憤」としてもさほど誤差はないだろう。そして慈悲とは、本来は空君 (赤ちゃんの名前 : 引用者注) を母胎とつないでいた胎盤の機能だ。異物を自分の内部で育む能力と云ってもいい。血液型の違う胎児が母親の胎内で育つ。それは出逢うと凝固してしまう成分を通さず、共通の成分だけを通す胎盤の絶妙なはたらきのお陰だ。(『慈悲をめぐる心象スケッチ』講談社文庫)
帝王切開をして取り出される、わずか3時間前に胎盤は剥離し、たったこれだけのあいだ「慈悲」の力に触れなかったために、赤ちゃんはこの世に生を受けることができませんでした。
自らのうちの受け入れがたい矛盾にも人は怒りを覚えます。「瞋」が自分自信に向けられるとき、その瞋(いか)りから自分を救う手立ては、異物を自分の内部に育むような「慈悲」を措いてほかにありません。
玄侑さんは、やがて退院したという母親の、自分自身に向けた瞋りが、医者や夫やその他の人たちに向かうことなく、慈悲の種となって昇華するよう、ひたすら祈ったのだそうです。