犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

時の生みだす美しさ

2025-01-31 23:08:08 | 日記

茶道の稽古で炭点前をしました。
お茶の点前に先立って、風炉や炉に炭をつぎ足す一連の所作を炭点前といい、正式な茶事では挨拶のあとに、この炭点前を行います。濃茶の前に行うのが「初炭」、濃茶が終わって次の薄茶をたてる前に炭をつぎ足すことを「後炭」と言います。

断面が真円で菊の形に見えるクヌギを原木にした炭を使うので、最近はとみに価格が高騰し調達も難しくなっているのですが、有難いことに師匠はたびたび炭点前の稽古をしてくださいます。

お茶が客に行き渡るまで、炭は均一な火力を維持しなければなりません。炭点前では、お茶を振る舞う時間を勘定に入れながら、炭を置く角度や炭同士の間隔などを見極めて、つぎ足してゆきます。この炭点前を客たちが炉の近くまでにじり寄って鑑賞するのです。

16世紀半ば頃まで、炭を直しつぎ足す作業は裏の仕事とされ、客がいったん席を外した後に行われていたものが、千利休の時代からこの作業そのものを、客が鑑賞するようになったのだそうです。燃えて灰になった炭の跡を鑑賞し、これを整えて新たな炭を組んでゆく過程を鑑賞し、そこに美を見出すのは、おそらくわが国独自の文化だと思います。

釜を持ち上げて、炉の中が露わになり、そこに菊の形のまま白く残った灰を指して「尉(じょう)」がなる、などと言われます。能で老翁を「尉」と呼ぶのに倣って、黒い炭が年月を経て、枯れて白髪となった様子に見立てるのです。

時間経過による「劣化」とされるもののなかに、ものがなしい不完全な美を見出すのが、茶の湯の「わび」の、ひとつのかたちなのだと思います。そこには「今」侘しいだけではない、かつて赤々と燃えて部屋を暖め、湯を沸かし、茶の熱となって客の身体を温めた、炭のたどった時間経過が折りたたまれている「わび」でもあります。

利休が茶の心を表すのに用いた藤原家隆の次の歌にも、時の流れが折りたたまれているように思います。

花をのみまつらん人に山里の雪間の草の春を見せばや

雪間の草には、もう芽吹こうとする春が潜んでいる、そこには思弁的なものではない、能動的な美の世界が詠み込まれています。


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うずくまる

2025-01-24 23:01:35 | 日記

先日の茶道の稽古場の床柱に、小ぶりな備前の花入れに椿の蕾が入れられていました。
ちょうど寒波が押し寄せてきた時だったので、寒さに縮こまりながら、懸命に花を割かせようとする姿のようにも見えます。花入れの形は、人が膝を抱えてうずくまった形に見えるので「うずくまる」と呼ばれています。

初釜の際の写真を師匠にお見せしたとき、ご自身の背筋が伸びていないことをしきりに気にされていて、師匠一流の諧謔の意味も込めて「うずくまる」を選ばれたのかとも思い、微笑ましく感じました。

茶道具の簡素な形、静かな膚、くすめる色に「貧の心」を見たのは柳宗悦でした。「貧」のなかには余韻や暗示が含まれていて、それは「無限なるもの」への暗示でもあるのだと述べています。「うずくまる」の花入れを見ていると、そういった余韻に満ちた美しさとともに、すべてを包み込むようなおおらかさを感じます。

おおらかな美しさ、といえば千利休の孫宗旦に、こんな逸話があります。

京都正安寺の住職が、一輪見事に咲いた白玉椿の枝を、宗旦に贈ろうと小僧に持たせます。小僧は大事に花を抱えていたのですが、途中で石につまずいて転び、花を散らせてしまいます。小僧は泣きながら花びらを一枚一枚拾い上げ、これを懐紙に包んで宗旦のもとにとどけました。
懐紙に包まれた花びらと、葉だけ残った枝を受け取った宗旦は、小僧を叱りもせず、その労をねぎらって、駄賃を持たせて帰しました。

宗旦は花のない枝を床の間に生け、懐紙に包まれた花びらを、一枚一枚床の間に置いていくと、いままさに散り終えた白玉椿の姿が立ち現れたのだそうです。

このように意図したものでなくとも、時の経過とともに思わず床の間に花を散らせている姿を見ることがあります。そんな時には、型どおりに収まりきれない、いのちの働きのようなものが感じられて、見る者に解き放たれるような思いを抱かせます。

おおらかさは、何ものにも縛られない「いのちの働き」であり、柳宗悦の言う「無限なるもの」も、この「いのちの働き」によって呼び起こされるのではないか、と考えました。寒さに思わず「うずくまる」のもまた、いのちの働きです。


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『汲む』を読む

2025-01-16 22:28:05 | 日記

成人の日の「天声人語」に、茨木のり子の詩『汲む』が引用されていて、新成人ならぬ新高齢者の私が励まされる思いがしました。この詩のタイトルに「―Y・Yに―」と添えられているのが、新劇俳優の山本安英へ宛てたものだということも紹介されています。

調べてみて、茨木の戯曲が、読売新聞戯曲賞の佳作に選ばれた頃、すでに「夕鶴」の名演で知られた山本安英との親交が始まったことを知りました。山本は年若い茨木に向けて、おそらく一抹の不安と大いなる期待を込めて、言葉をかけたのでしょう。

汲む―Y・Yに― (茨木のり子)

※※※※※※※※

そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

※※※※※※※※

年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
わたくしもかつてのあの人と同じぐらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです

この詩の収められている詩集『鎮魂歌』が1965年刊行で、茨木の戯曲が佳作当選したのが1946年なので、実に20年の時間が経過してやっと、この詩が生まれたことになります。20年を超す年齢の差も、この詩の中に詠み込まれていて、詩人としての成熟と、人間としての成長の両方の豊かさが、この詩には表現されています。

「すべてのいい仕事の核には/震える弱いアンテナが隠されている」のくだりに接すると、つい背筋を伸ばさざるを得ません。
若い人に対しては、初々しさがなくなってしまうことへの戒めと、震えるまま恐れなくてもよいという励ましが同時に込められています。その一方で、年老いた者に対しては、慢心を戒め、まだまだ伸びしろがあるという叱咤激励さえ、与えてくれます。そうだとすると、山本安英の言葉もまた、みずからに対する戒めと励ましを、含んでいたように思います。

言葉をかけられた若い人が、先輩の言葉を「汲ん」で力とするように、言葉をかけた先輩もまた、みずからの言葉を「汲み」直して初心に立ち帰ることができます。歳をとってこの詩を読み返すと、後者の方の「汲む」に、より身近で得難いものを感じます。


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好き日であれ

2025-01-08 23:11:38 | 日記

社中の初釜に出席しました。
床の間には「好日」の軸が掛けられています。

年末に師匠が体調を崩され、初釜の練習もそこそこに、水屋担当はぶっつけ本番で臨んだのですが、それでも師匠の健康が回復され、社中の皆が元気に顔を合わせることができたことは「好き日」に違いありません。
「好日」や「日々是好日」は、「何はともあれ、よき日にしよう」という励ましの声のように聞こえて、私の好きな言葉です。

「日々是好日」の出典は碧巌録で、そのなかの次のような問答に出てきます。
あるとき雲門禅師が修行僧に向かって「これまでのことは訊かないが、これから先のことを一句言ってみよ」と問いました。しかし、誰も答える者がいなかったので、禅師自ら「日々是好日」と答えたのだそうです。

禅師の教えをさらに噛み砕き、敷衍して言うとこうなります。「好日」か「不好日」かの区別には意味はなく、そのような区別は「自分」にとっての損得勘定にとらわれているに過ぎない。昨日まではそうだったかもしれないが、今日この日から「自分」というものから自由になって、日々を分け隔てなく迎えなければならない、というのが雲門禅師の教えでした。

さて、二年前大病をした妻は、去年から淡交会支部の研究会で点前を任せられるほどに元気になり、今年の初釜では薄茶の点前を担当させていただきました。去年の初釜を欠席したことを考えると驚くほどの快復です。
これまでの苦労を重ね合わせながら、こう感じることができたのも、しみじみと「好日」なのだと思います。

初釜に出席した社中のそれぞれの胸中にも、嬉しいこと辛いことが複雑に絡み合っているのでしょう。そのひとりひとりにとって「好き日であれ」と祈ります。茶会の席に「好日」の軸を掲げるのは、せっかく茶席に集った人々が共有すべきテーマであり、そうであれば「ああ、よい日だ」という述懐ではなく、「好き日であれ」という祈りへとつながるべき言葉なのではないでしょうか。

そうしているうちに「好き日にしよう」という決意が湧き出るように感じるならば、損得勘定の「自分」というものから、少しでも自由になった証なのだと思います。


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楽しい一年であるために

2025-01-01 22:33:40 | 日記

あけましておめでとうございます。
9連休のちょうど折り返し地点で新年を迎えることになりました。こんなに休んで大丈夫なのかという貧乏性が頭をもたげるのは、長い休暇によって、生活の質が上がるという実感を持ちにくいからではないでしょうか。玄侑宗久さんが語っていて、なるほどと思った話を思い出します。

わが国が西欧化の過程で余暇と休暇の概念を受け入れとき、同時に、労働は辛いものだから休暇が必要なのだ、という考え方も取り入れてしまいました。
日本古来の生活のリズムは、日常と祭によって刻まれていて、祭りのカタルシスのなかで日常の疲れも吹き飛んでしまう、というようにメリハリを付けていたのでした。とはいえ、常に祭りばかりをしているわけにはいかないので、仕事そのものをどれだけ遊びとして楽しめるか、という心構えで仕事に臨んでいたというのです。

祭りという横のつながりで生まれる楽しみを、日常に溶け込ませるものとしてあった仕事の楽しみが、近代化にともなって変質してしまいました。いまの我慢が先々報われるのだと、楽しみを将来に先送りしてしまうようになったのです。
そこで玄侑さんが提案するのは、今やっている仕事をいま楽しむことです。そのとき没入したことをよし、とすることができたなら、結果はどうでもいいとしてはどうかと。そうすることで、日々上機嫌に過ごすことができて、仕事の質も変わり、往々にして結果も伴いやすいというのです。「楽しいことをする」と考えるのではなく「することを楽しむ」と心掛けていれば、遊戯三昧の世界にも到達します。

日本人の労働観の変遷は、必ずしもこのようでなかったかもしれませんが、これは、玄侑宗久さんのよく生きるための「提言」のようなものだと捉えればよいと思います。
私自身振り返ってみて、茶道の稽古を今日まで続けられたのは、それが楽しいからというよりも、目の前の稽古を楽しもうと考えていたからだと思います。少なくとも、今我慢していれば、いずれ楽しいことがあると考えていたのならば、とうてい続かなかったでしょう。

いつまで続くか分からない心構えのようにも見えますが、中村天風はことあるごとに言っていました。
「人生は心ひとつの置きどころ」
正月から初めて、「今日することを楽しもう」と毎日思っていれば、楽しくない一年であるはずがないと思います。


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