犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

たましいの声

2023-07-29 20:59:00 | 日記

河合隼雄の思想のキーワードのひとつに「たましい」があります。漢字で書く「魂」とは注意深く区別された、実体もない、時間、空間によっても定位できないけれども、その働きを確かに体験するものを、そう呼ぶのです。

若松英輔の新聞連載「言葉のちから」(日経朝刊7.29)に次のような河合隼雄の文章が載っていて、しばらくこの言葉について考えさせられました。

ユングのところによく治療を受けに来たと言われる、社会的に成功し、物質的には何の不足もないのに、生きてゆく気力がまったく無くなったような人たち これはたましいとの接触を失った人と考えてみてはどうであろうか。

とても難しい問題ですが、これは決して抽象的な空論ではありません。同じ悩みを抱えている人は私の周りにたくさんいて、私もまた無縁ではない切実な問題です。実はこのくだりを読んでいて、ぞっとする思いがしました。

河合隼雄は別のところ(『出会いの不思議』)でこんなことも言っています。背の高すぎる人は高すぎることを気に病み、低すぎる人も同様で、平均的な人は目立たないのを残念がっている。統計や平均値がすべての人を悩ませているのだが、仮に「たましい」というものを立ててみると、平均病とは縁が切れるのではないかと。

そしてこんなことも書いています。心理療法をやっていて「わかった」と思うときが最も危険で、「わからない」という窓を常に開けておく必要がある。多くの場合、その窓から解決が訪れるのだと(『物語とたましい』参照)。

我々は他人との比較で基準を設け、それより上だとか下だとか言って一喜一憂しているし、その基準でもって「わかった」つもりでいて、そのことが問題の解決から遠ざけています。河合隼雄は、人間が勝手に設けた基準で自分自身を測ろうとして、どうしてもこぼれ落ちてしまうものを「たましい」と呼んだのだと思います。
河合はこんなことも言っています。人間がたましいをもっている、というよりは、「たましい」のなかに人間が存在している という方が適切だ、と。
そうだとすると、「たましい」をとらえることなど、我々には不可能で、「わからない」という窓を開けておくことで、「たましい」の声を聴くことしかできないのでしょう。

もっと具体的に考えてみます。たとえば、自分の限界を超えるような挑戦をしたり、とんでもない無茶振りをされたりして、通常のものさしでは測れない事態に遭遇したとき、人は否応なく「たましい」に触れるのではないでしょうか。そのとき「わからない」という窓は大きく開かれていると思うのです。


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胸の温気

2023-07-22 17:00:53 | 日記

批評家の若松英輔さんが、料理研究家の辰巳芳子さんから、ぜひ話しておきたいことがあると言って料理に招かれたときのことを書いています。今日(7.22)の日経朝刊(言葉のちから 辰巳芳子さんとの対話と『二宮翁夜話』)に載っていました。

辰巳さんは心のこもった料理を供したあと「私はずっと、何を食べるべきかではなく、食べるとは何かを考えているの」と言ったのだそうです。若松さんは、その一言に衝撃を受け、そのときの余韻を今も感じることができると書いています。
「食べるとは何か」という問いは、食材や調理方法についての情報によってではなく、その人が生きて、経験をし、そのうえで語ることによってのみ解答しうる問いです。そして、何を知っているかではなく、その問いを前にしてどう生きたかが問われるような世界を、生きているのだろうかと若松さんは自問するのだそうです。
そのうえで、そのような問いの世界を誠実に生きた先人として二宮尊徳そして『二宮翁夜話』に見出します。

四書五経のような古典は、ある人にとっては「水」となるが、多くの場合「氷」のようになっている。つまり、そのままではふれることもできないだけでなく、生の潤いになることはない。 古典には注釈書、解説書があるが、そうしたものも「氷」に連なる氷柱のようなもので、世を潤すに十分な「水」をもたらさない。「氷となった経書を世の中の用に立てるには、胸の中の温気(うんき=暖かみ)をもってよく解かしてもとの水として用いなければ世の潤いにならない。それが尊徳の読法だった。さらに彼は「解かすべき温気が胸中になく」、解釈することに終始して 「氷のままで用いて水の用をなすと思うのは愚かの至り」(『二宮翁夜話』 児玉幸多訳)であるとも述べている。

若松英輔さんがここで述べることについては、実のところ私自身、骨身に染みて感じることがあります。
私の仕事は相続がらみの案件が多く、たとえばご主人の亡くなった後の、奥さんの取得分をどの程度にすれば、第一次相続、第二次相続の合計税負担を少なくできるか、などは瞬時に計算することができます。ここに平均余命で使うであろう財産の統計数値を加味すれば、より数値を正確なものにすることができます。もうこんなことを何十年もやっているので、誰よりも手慣れたものという自負もありました。

ところが昨年、妻が病気をして本当に心細い思いをしたときに、得意げに繰り返してきたこの作業が、全部嘘っぱちに思えてきたのです。やがて来る別れに向けて、一年一年をどうやって輝かせよう、そういう祈りを抜きにして何が分かろうか。そんな祈りを、震える思いで抱いたことのない者に、どうして得意げな顔つきが許されよう。心の底からそう思いました。
提示した数字そのものに誤りはなかったとしても、傲慢不遜な態度が滲み出ていて、「氷のようなもの」であったかも知れないと、恐ろしくもなりました。

知ったこと、経験したことでも、ひとたび「胸の温気」で暖めることで、他者と分かち合うことができるのだ、と若松さんは結んでいます。私としても経験を経て悟り切ったような境地ではないのですが、「胸の温気」で暖めるためには、辰巳芳子さんが「食べるとは何か」と問うたような問いを、自らに向け続けることが必要なのだと、改めて思うのです。


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志村ふくみ『野の果て』を読む

2023-07-15 19:02:10 | 日記

志村ふくみの自選随筆集『野の果て』(岩波書店)を読みました。
彼女の随筆はほとんど読んでいたつもりでしたが、未読のものも幾つか収録されていて、読み進むうち、息を呑んで何度も立ち止まり、読み戻りながら、いつくしむように文字を追いました。特に「日本の色-古今・新古今・源氏物語の色」(初出『白夜に紡ぐ』人文書院)で『源氏物語』について論じたくだりは圧巻でした。万葉の世界に見られるおおらかな色が、貴族文化の爛熟に伴って変容し、『源氏物語』に至って精神性へと結実する様が見事に描かれています。

志村は「なまめかし」という表現のなかに、自身の染織の体験を重ねています。藍を染めるとき、藍甕から引き上げた糸が、はじめ眩いばかりのエメラルドグリーンを発色し、それが瞬時に消えて、その後を追うように縹(はなだ)色が浮かんでくるのです。

藍染の中で最も盛んな色、それは初染の縹色である。幼くも、老いてもいない、まさに青春そのものの色、縹だ。力が漲っている。艶である。清々しい。その時思わずなまめいてみえた。色がなまめくとは!ふしぎなことだが目の前の青が生気を発してなまめきたつのである。私はこの体験をするまでなまめくとは艶なること、色っぽいことと単純に考えていた。しかし『源氏物語』にあらわれる「なまめかし」ということは到底一筋縄ではなく、実に複雑多様である。さまざまな色の対比とか融合、その時々の人物の心理や容姿すべてを彩なしてなまめくのである。(170-171頁)

こうやって色の対比・融合のひとつの相として現れた「なまめかし」は、同時に色を削り取った無彩色の世界、鈍色(にびいろ)の世界へと断絶することなく繋がって行きます。源氏物語の美の象徴がこの「なまめかし」の鈍色への転換にあると、志村は指摘します。

「鈍色」この微妙な衰退の表現、華やかな色から華やかさを抜きとってそこにひっそり匂っている色。あの華やかな宮廷生活があればこそ、悲愁の装いが、とくに光源氏をはじめ男性貴族の中にきわ立つのである。紫をして、滅紫(めっし)と誰が名づけたのか、紫を染めていて、温度が六十度以上になると紫はほろびて鈍色になる。 どこかに紫の余韻をのこした灰色、墨色である。文学上の造語ではない。歴とした染色上の色なのである。 紫式部の底知れない才能は色彩の上にも厳然と実証されている。王朝の華麗な色彩の物語である源氏は、終わりにあってあらゆる色を否定した白と黒、清浄と死の無彩色の世界にゆきつき、色として完成させたような気がする。(171頁)

この転換こそが「もののあわれ」であり、日本の文化の基底に流れる「うっすらとおおわれる霧のような心情」なのだと志村ふくみは語ります。そして中世の幽玄の世界の端緒も、ここに現れているのです。

おそらく志村ふくみの染織の仕事がなければ、そしてそこに繰り広げられる驚きと畏れの経験を、読書を通じて間接的にでも知ることがなければ、色の豊かな変容も、それが深い精神性へと至ることも、理解することはできなかっただろうと思います。
志村ふくみを未読の方はもちろん、長く愛読されている方も、新たな発見をもたらしてくれる一冊です。ぜひご一読をお勧めします。


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夜の露草

2023-07-11 19:08:19 | 日記

職場に近い今の自宅に引っ越して一年になります。旧宅は神社の森に接していたので、庭には野花が豊かに自生して、ちょうど今ごろツユクサの花が咲きはじめているはずだ、などと思いを馳せてしまいます。自然に恵まれた環境で子育てをしたことは、今から思い返して親子ともども大きな恩恵を受けたと思っています。

早寝して子はみづからの歳月を生き始めをり夜の露草
(高野公彦『天泣』)

朝に花を咲かせ、昼を待たずに萎んでしまうツユクサは、夜見かけると早寝をした子のように映るのでしょう。明日の朝元気に花を咲かせるための準備をしている健気な様子を見守る姿が、子を思う親心に重なります。

我が家の双子の娘たちは、この夏、就活セミナーや企業インターンで忙しいらしく、ようやく盆休みが数日とれる予定なのだそうです。早寝こそしていませんが、子らは「みづからの歳月」をたしかに生き始めています。今年の夏が最後の家族旅行になるかもしれないなどと考える、親の感傷とは無縁のようです。そうしてみると、朝咲いてその日のうちに萎んでしまう花のはかなさは、子育ての時期の短かささえ思い起こさせます。

さて、ツユクサは、つぼみを包むように葉が変化した「苞葉(ほうよう)」という器官の中にたくさんの花を仕込んでいて、今日萎んだ花とは別の新しい花を明日咲かせるのだそうです。はかなさと見えるもののうちには、思いもかけぬしたたかさが潜んでいるのです。親の感傷など乗り越えて独り立ちしようとする、子らのしたたかさにも通じるように思います。

子らもこれから、挫折や失敗を重ねながらみずからの道を模索して行きます。彼女らの「苞葉」に多くの花が潜んでいることを信じて、ひとつがダメなら、次の花を咲かせばいいじゃないかと、そんな言葉をかけられるようになれば、親もしたたかさを身につけることができるのでしょう。そのときにようやく子離れができるのではないかと思います。


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ジギタリスの花

2023-07-06 21:09:27 | 日記


大濠公園のほとりのレストラン前に、ひときわ立派な花壇があります。公園に花壇のないのを寂しいと思った市民ボランティア「大濠公園ガーデニングクラブ」が一念発起して植栽を始め、企業の支援なども得て、今日の堂々とした姿になったのだそうです。
この団体が手入れする6つの花壇には、名も知らない西洋の花々が咲き乱れていて、花の名をひとつひとつ調べていくのも楽しみです。

これらの花の中で垂直にスッと背を伸ばし、下から上に向かって花を付けていくのはジギタリスです。こうやって茎の下から上に向かって順番に咲き上がるのを「無限花序」というのだそうです。天に向かって無限に咲き進むというイメージでしょうか。

この花を詠んだものに、次の歌があります。

赤い旗のひるがへる野に根をおろし下から上へ咲くジギタリス
(塚本邦雄『水葬物語』)

永田和宏は『作歌のヒント』(NHK出版)のなかでこの歌を「体言止め」の成功例として紹介しています。
無限花序の花が咲き上がるように、体言止めの結句「ジギタリス」から、もう一度初句の「赤い旗のひるがへる野」へと回帰させる巧みさがあります。そうすることで、クローズアップされた「赤い旗」へと、読むものの想像を膨らませる効果を生むのです。

それでは「赤い旗」とは革命の旗を指すのでしょうか。『水葬物語』が1951年刊行なので、そのように捉えても不自然ではないのかも知れません。下から上へ咲き上がるように革命の風が吹き上がるのだと。
しかし、事態はそのように単純なものではなさそうで、この歌の初出時には、次の歌が続いていたのだそうです。

贋札の類かろらかに街を流れ野をながれ暗い夕日にひびき
(塚本邦雄「メトード」創刊号)

贋札とは社会の浮薄さを表しており、この歌はそうしたものへの嫌悪を表しています。そうであれば「赤い旗」にも、嫌悪すべき浮薄さが反映されていたのではないかというのです。この花には毒性があり、西洋では不吉な花というイメージがあるので、浮薄な毒が回ろうとしているという警世の歌であっても不思議ではありません。そうすると初読とは全く別の歌の印象になります。

実はこの解釈は、永田和宏の長男永田淳さんが「塔短歌会」のブログ(2019.7.5)のなかで紹介していたものを、たまたま見つけたものです。このようなかたちで親子が繋がる不思議に、しばし感じ入りました。

ともあれ「赤い旗」の意味にこだわらなければ、最初のジギタリスの歌はエキセントリックな花の姿から、旗のひるがえる象徴的な場面へと切り替わる、鮮やかなイメージを喚起する美しい歌だと思います。

そしてまた、この歌の下から上に咲き上がる花の姿が、花壇を「草の根」で支えようと奮闘してきた、市民ボランティアの姿に重なって見えてきます。彼らの志がつながって、無限の花のリレーを続けてもらいたいと願います。


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