犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

やり切れなさの向こうにあるもの

2013-10-07 01:24:00 | 日記

横浜市緑区の踏切内で、お年寄りを助けようとして、尊い命を犠牲にされた村田奈津恵さん。

そのご両親の毅然とした姿に感銘を受けた人は数知れないと思います。
「お年寄りの命が救われたのがせめてもの救いです。あの娘の分もどうぞ長生きしてください。」ご両親は無念な思いをかみしめながら、そう語っておられました。
このお父様やお母様がいて、奈津恵さんという人格は形成されたのだ、せめてそう考えることで胸の締め付けられる思いを紛らわせることしかできません。そういうやり切れない事故でした。
 
そして、2006年にペンシルベニア州で起きた、こんな事件も思い出しました。
近代文明が席巻する以前の、質素な生活を頑なに続けるアーミッシュの集落の小学校に、青年が銃を持って立て篭もり、幼い少女たちだけを監禁して、次々に射殺して行った事件です。年長の少女たちは幼い子の盾になるようにして、進んで銃の前に立ったそうです。
青年は警察が突入する直前に拳銃で自らの命を断ちましたが、犠牲者の親たちは少女たちの葬儀の席で青年を赦したのみならず、青年の妻子や親を訪ねて、彼らとともに青年の死を悼んだのだそうです。
この少女の親たちがいて、少女たちはより弱い者の盾になる勇気を奮い起こすことができたのだ、と考えてはみます。それでも救いのない、やり切れない事件でした。
 
しかし、ひたすら耐えることしかできないご両親の姿は、やり切れなさと同時に、ある種の覚悟のありようを私たちに突きつけてくれます。犠牲になった者たちの無念の思いに固執するのではなく、彼らの志を引き受けようとする者の静かな覚悟です。
 
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」は、ボートから落ちた友達を助けようとして自らの命を犠牲にしたカムパネルラの捜索の場面で終わります。
カムパネルラのお父さん(博士)の佇まいが、ただの「気の毒な話」に終わらせない衝迫力をもって、我々の胸に余韻とそして覚悟とをもたらしてくれます。
 
俄かにカムパネルラのお父さんがきっぱり云いました。「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから。」
ジョバンニは思わずかけよって博士の前に立って、ぼくはカムパネルラの行った方を知っていますぼくはカムパネルラといっしょに歩いていたのですと云おうとしましたがもうのどがつまって何とも云えませんでした。すると博士はジョバンニが挨拶に来たとでも思ったものですか、しばらくしげしげジョバンニを見ていましたが「あなたはジョバンニさんでしたね。どうも今晩はありがとう。」とていねいに云いました。 
ジョバンニは何も云えずにただおじぎをしました。
(『銀河鉄道の夜』より)
 
ジョバンニは、すでに死んでいたカムパネルラと、長い長い旅を続けて、生きることと犠牲になることとを学んできました。その学びを温かく包んで見てくれていたのは、カムパネルラのお父さんだったのかもしれないと思うのです。息子の死に直面しても「どうも今晩はありがとう」と声をかけてくれる、その優しさだったのかもしれない、と。
コメント (1)
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