前回触れた、松村由利子さんの『31文字のなかの科学』には、しばらく考えさせられる話題が取り上げられています。
彼女が新聞社の科学環境部に配属されたとき、初めて「ヒーラ細胞」という言葉を知ることになります。このときの衝撃を松村さんは次のように記しています。
理系出身の女性の先輩に訊ねると、いとも涼しげに「ああ、ヒーラ細胞ね。細胞株の名前だよ、実験に使う」と教えてくれた。「細胞株って何だろう」というのが私の次なる疑問だった。
調べてみて驚いた。正常な細胞は一定の回数、分裂を重ねると死滅するが、株化された細胞は死ぬことなく増殖を続けるのである。「ヒーラ細胞」はヒト由来の最初の細胞株で、1951年にヘンリエッタ・ラックス(Henrietta Lacks)というアフリカ系米国人女性の子宮頸がんの細胞からつくられたものだった。ヒーラ(HeLa)は、その頭文字をとった名称なのである。彼女は31歳で亡くなったが、細胞株は半世紀以上にわたって延々と生き続け、研究材料として世界中で使われているという。
何だかぞっとした。本来は死ぬはずの細胞が「不死化」し、研究のために生かされているのはよいことなのか。ヘンリエッタ本人は、自分の細胞がそんな形で長い年月、生き続けることを望まなかったのではないだろうか。そして、ヘンリエッタがもし黒人女性でなかったら、果たして細胞株にされただろうか。(前掲書)
ヘンリエッタは病院代を出せないほど貧しかったため、人種に関わらずすべての人を無料で診療する病院で、治療を受けることになりました。その病院では、患者を無料で診断する代わりに細胞の摂取や治験などが行われており、ヘンリエッタが治療の過程で細胞を採取されたのも、当時のこととしては通常の手続きでした。
その後、ヒーラ細胞は、ポリオワクチン、クローン技術、体外受精や多くの医薬品を生み出したノーベル賞級の発見に使われ、新型コロナウイルスの侵入経路解明にも一役買ったのだそうです。
後年、ヒーラ細胞をめぐる倫理上の問題が指摘されるようになり、新たにヒーラ細胞の遺伝子情報をめぐる遺族と米国立衛生研究所との話し合いもあって、ヒーラ細胞は注目を集めるようになります。『不死細胞ヒーラ ヘンリエッタ・ラックスの永遠なる人生』(レベッカ・スクルート著、講談社)にはヘンリエッタの名誉のために戦う娘デボラの様子も記されています。
さて、松村さんはヒーラ細胞との最初の出会いののち十年ほど経ってから、女性細胞学者の歌集のなかで思いがけずヘンリエッタに再会します。
自らの子宮頸癌細胞の生き続け使われ捨てらるるを知らず
「今日Hela(ヒーラ)余っていたら、6センチ培養皿(ディッシュ)一枚わけてもらえる?」
(永田紅『ぼんやりしているうちに』)
この歌集には「HeLa細胞」と題する連作十五首が収められており、その中には、ヘンリエッタの個人情報をインターネットで知ることができる驚きと後ろめたさが詠われたもの、彼女の経歴を読んでいると、子ども5人が残されている事実を知り、そこでスクロールする手を止めてしまった歌なども含まれています。
松村さんは、研究者のなかにも、ヘンリエッタのことを気にかける人がいることを知って「何だかほっとした」と前掲書のなかで述懐しています。
そして次のようにも述べています。「研究者にとってはふつうの言葉が、実はとても奇異だったり残酷に響いたりすることを、この若い作者はよく知っている」と。
この奇異さ残酷さに対する自覚があって、はじめて科学の「恩恵」と真っ直ぐに向き合うことができるのではないか、と考えます。