犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

開門落葉多

2019-11-04 13:54:25 | 日記

11月に入ると、茶人のお正月と言われる「炉開き」で、稽古が始まります。

畳の上に置いていた「風炉」をしまって、畳に切られた「炉」に炭をくべ、そこでお点前をするようになるのです。正装した社中がそろって「炉開きおめでとうございます」と師匠に挨拶し、師匠はぜんざいを振る舞って華やかな雰囲気に包まれます。

床には「開門落葉多(門を開けば落葉多し)」の掛け軸が掛けられています。

唐代の詩僧・無可上人の詩の一節で、次のような対句の後半です。

聴雨寒更盡  雨を聴いて寒更尽き
開門落葉多  門を開けば落葉多し

軒端をたたく音が草庵で夜更を過ごす侘しさを増し、夜具を通しても冷えびえとした空気が身に染みます。雨はつい先日までの暑さの名残を洗い流して、これから長く続く深い静寂の世界に連れて行くようです。
ところが、夜が明けて庭の潜り戸を開けてみると、一面に落葉が敷き詰められている様子が目に飛び込んできます。雨音とばかり思い込んでいた夜更の音は、実は秋風に吹かれて舞い落ちる落ち葉の音だったのです。
目の前の一面の落葉は、まぎれもなく現実の姿なのですが、昨夜寒さのなかで侘しく聞いた雨音のほうが現実で、色鮮やかな落葉の景色はまるで幻のように眼前に広がっています。気紛れで大きな災をもたらす自然は、いっぽうでどこまでも慈悲深く、驚きとともに私たちに贈り物を届けてくれるのです。

紀貫之はこの詩をもとにして、次の歌を詠みました。

秋の夜に雨ときこえて降るものは風にしたがふ紅葉なりけり(拾遺集)

不遇の晩年を送った紀貫之には、秋雨はいっそう侘しさを誘ったことでしょう。みずからを励ますように「風にしたがふ紅葉」の華やかさを対比したのではないでしょうか。

草木が逞しく生茂る季節が終わりましたが、それは新しい季節の始まりでもあります。新しい季節に向かう私たちに、自然は相応しい装いで迎えてくれます。

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1 コメント

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Unknown (一年生)
2019-11-06 01:17:49
こんばんは

紅葉はとても綺麗ですが

どこかもの悲しさもありますね~

人間に例えると、最後に鮮やかな色に染まり

そして枯れ落ちていくそんな感じからもそう思うのかも。

葉はやがて土となり春にはまた新緑になりそれが繰り返される

燈々代々

土台となる木は永遠に生きていく(実際は木もいつかは枯れていきますが)

木は人間の魂のようなものかもしれません。
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