犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

賢治と星を見る

2024-02-27 19:40:01 | 日記

宮沢賢治は、妹トシが亡くなったときに、「小岩井農場」という長い詩を書いています。
その末尾部分の一節を引用します。

もうけつしてさびしくはない
なんべんさびしくないと云つたところで
またさびしくなるのはきまつてゐる
けれどもここはこれでいいのだ
すべてさびしさと悲傷とを焚いて
ひとは透明な軌道をすすむ

天文学者 渡部潤一さんの著書『賢治と星を見る』(NHK出版)に、この小岩井農場のことが詳しく描かれています。この農場はもともと岩手山からの火山灰が堆積し、極度に痩せた酸性土壌でした。土壌改良のために石灰の効果があり、そのために設立されたのが東北砕石工場です。その上得意のひとつが、賢治の営む羅須地人協会だったのだそうです。

賢治の病気のために羅須地人協会が休止し、このため受注の減った工場が、あらためて賢治の存在を知ったことから、土壌改良の専門家として賢治を迎えるようになります。
この仕事に大きなやりがいを感じた賢治は、病身に鞭打って製品の営業に東奔西走することになりました。しかし、このときの無理がたたって、賢治は命を縮めることになったのだそうです。

さて渡部潤一さんの『賢治と星を見る』の後半は、「銀河鉄道の夜」に天文学の知識を織り交ぜながら展開し、最後に、川に落ちたカムパネルラの捜索場面と、カムパネルラの父親の佇まいについて触れて話を終えます。

俄(にわ)かにカムパネルラのお父さんがきっぱり云いました。「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから。」
ジョバンニは思わずかけよって博士の前に立って、ぼくはカムパネルラの行った方を知っていますぼくはカムパネルラといっしょに歩いていたのですと云おうとしましたがもうのどがつまって何とも云えませんでした。すると博士はジョバンニが挨拶に来たとでも思ったものですか、しばらくしげしげジョバンニを見ていましたが「あなたはジョバンニさんでしたね。どうも今晩はありがとう。」とていねいに云いました。(「銀河鉄道の夜」より)

「小岩井農場」で「すべてさびしさと悲傷とを焚いて/ひとは透明な軌道をすすむ」と書いた賢治は、ちょうどカムパネルラの死を受け止められないジョバンニのようだったのでしょう。そうやって「透明な軌道」を進んで、カムパネルラと旅して行き着いたのが、カムパネルラの父親の姿でした。大切な人の死を受け止めて、動じない人の姿です。

羅須地人協会の事業に失敗し、それでも土壌改良に情熱を傾けていた賢治の、いわば不屈の戦いを経たのちの、「こうありたい」という姿だったのだと思います。そして、カムパネルラの父も「さびしさと悲傷とを焚いて」ようやく前に進もうとしていることは、賢治が一番よく知っています。

最愛の娘さんを病で亡くした渡部潤一さんは、本書の最後のほうで、こう語ります。

私事になるが、私は数年前、娘を失った。まだその傷は癒えていない。家で何か物音がすると、ああもしかして娘ではないか、などとありえないことを思ったりするのである。

カムパネルラの父のようにはいかないかもしれないけれど、そのようにありたいという渡部さんの思いが伝わります。


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地球照のこと

2024-02-21 19:28:54 | 日記

このところ続く雨で夕方の散歩はしばらくお休みです。先週の散歩で眺めた夜空はとくに綺麗だったので残念な気分です。
先週15日には南西の空に舳先の鋭いゴンドラような三日月が浮いており、そのすぐ上には木星が輝いていました。ゴンドラの上の部分、つまり月の影の部分はうっすら青みがかった光を帯びていて、これを「地球照」と言うのだそうです。太陽光が地球に反射したものが、月の影の部分に当たって照らす現象で、レオナルド・ダ・ビンチが発見したことから、西洋では「ダ・ビンチの輝き」と呼ぶこともあるとのこと。地球照が青みがかっているのは、青く輝く地球を反射するからだというのも、わくわくするような話です。

宮沢賢治が農学校の教師だったときに書いた詩「東岩手火山」に、地球照に触れた一節があるのだそうです。

月の半分は赤銅 地球照(アースシャイン)

天文学者の渡部潤一さんが著書『賢治と星を見る』(NHK出版)で紹介していて、赤銅色に見えることのない地球照を赤銅と書いているのは、おそらく水銀のような三日月の明るさを引き立てるためではないか、という渡部さんの解説です。
妹の急病もあって故郷に戻ってきた賢治は、東京から天文学の書籍を持ち帰り、地球照を知っていたようです。

宮沢賢治は賛成してくれないかもしれませんが、私はこう思いました。
太陽からの直接の光に飽き足らず、地球を経由した光にも身をまかせて、その影を浮かび上がらせる。それは厳かなようでいて、そのじつお喋りで移り気な、月のもつ一面ではないか、と。
そして、地球が反射した太陽光が、たまたま月面を照らすタイミングで地球照は起こるので、普段の三日月の影の部分は普段は闇に溶け込んでいます。くっきりと夜空を切り裂く三日月は、太陽の光以外あなたの光など受け付けませんと、こちらを睨みつける様子にも見えてこないでしょうか。
もっと想像を逞しくしてこんなことも考えました。満月のときには、その光を地球が反射して月に送り返すので、月から見れば、地球は青白い影を宿しているのかもしれません。満月に見惚れる地球は、そのとき移り気な表情に見えるのだろうと。

光は直進し反射して相手に届くものなので、それはひとの会話にも、なぞらえることができるかもしれません。会話は反射し屈折しつつ、時には合わせ鏡のような複雑さでもって、ひとの心に届くのではないでしょうか。


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半杓の水について

2024-02-15 06:58:02 | 日記

春の茶会に向けて、点前の練習を重ねなければならないのですが、ちょうど仕事の最繁忙期でもあり、練習は自宅に帰ってからの遅い時間帯になっています。
そういう事情もあって、お茶を濾して棗に入れ、茶釜にお湯を準備しているとそれだけで時間がかかってしまうので、お茶とお湯なしで、帛紗と道具だけを扱う「空点前」(からでまえ)を繰り返すことになります。

点前の基本のひとつが、軽いものを重く、重いものを軽く扱うことなのですが、空点前では、その基本を忘れてすべての道具を軽く扱ってしまいがちです。稽古を見ていた妻からも、今のお点前はとても軽かったと酷評されました。
空点前のもうひとつの欠点は、柄杓で掬う水量の感覚を無視してしまうことです。柄杓に汲んだ湯半分を茶碗に注ぎ、残った半分を茶釜に戻すという行為は、水量を意識せずに空点前をやっていると、いかにも空疎な手順のように見えます。逆にそれだけの意味があって、敢えて取り入れた所作なのだということも実感します。
「それだけの意味」とは簡単に言ってしまうと、「これから使う水」ではなく「使わずに元に戻す水」に着目するということです。

当ブログに、このことに触れたものがありましたので、やや端折って再掲します。

道元禅師は毎朝仏前に供える水を、大仏川で汲んでいました。このとき最後に杓に汲んだ水の半杓の量を、大仏川に返すことを常としていたのだそうです。元の流れに返す半杓の水が、やがて万人の汲むべき水のひとしずくになると考えたからでしょうか。永平寺の正門の向かって右側の石碑には、「杓底一残水」、左側の石碑には「汲流千億人」の文字が刻まれています。柄杓の底に残ったわずかな水を、多くの人が汲むことになる、という意味です。
「陰徳を積めば、万人に恵みが及ぶ」とも解されますが、ここは「元に戻す」行為そのものに注目した方が、より道元の意図に沿うのではないかと考えます。「半杓の水を戻す世界」として、つまり貪る対象ではなく与える対象として、道元はこの世界を毎朝とらえ直していたと思うのです。(ここまでが再掲です)

元に戻した水は、二客、三客のために使われるものです。その水を分かち合う所作は、一碗の濃茶を分かち合う行為にも通じます。茶の点前がただの給仕のためのプロセスではなく、そこに居合わせた客との関係において、初めて成り立つものだということが分かります。
茶碗に注ぐ半杓の水は、目の前の客に寄り添うためのものであり、茶釜に返すもう半杓の水は、そこから一歩退いて全体を見回すためのものである。そんな風にも考えました。


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もてなしの心と「大心」について

2024-02-08 18:43:02 | 日記

わが社中が薄茶席を担当する、春のお茶会まであと2カ月余りとなりました。
茶席のメインゲストをお迎えする席での点前を仰せつかっているので、そろそろ気合を入れて準備しなければと思っています。

茶席で客を迎えるにあたっての「おもてなし」と、客に「おもねること」の違いについて当ブログで触れたことがあったのですが、そこでは、十分に考えをまとめ切れてはいませんでした。何かの見返りを求めることが「おもねること」ならば、見返りを求めない純粋なホスピタリティの精神が「おもてなし」なのか。しかし、そんな単純なことではないと思います。

道元禅師の『典座教訓』という書物の中に、修行僧が食事を作る際の心構えとして大切なものとして、「喜心、老心、大心」の三心を挙げています。玄侑宗久さんは、これを次のように語っています。

道元禅師は、人は三つの心を持たなければいけないというふうにおっしゃるんです。ひとつめが「喜心」、喜ぶ心。
二つめが「老心」、親が子どもを慈悲深く見つめるように見る心。
三つめが「大心」、大きな心というのは、おもしろいんですけど、「春声にひかれて春沢に遊ばず、秋色を見るといえども更に秋心なし」という表現があります。昼の、たとえば鳥の鳴き声とかを聞いて心躍る気持ちがあっても、だからといって春の沢まで出ていってはしゃぎ回ったりはしない。秋の景色に寂しさを感じても、心の中まで寂しくなったりはしない。(『中途半端もありがたい』東京書籍 42頁)

相手のことを思って「熱に浮かれたように」人に尽くすことも、われわれにはできてしまいます。それが「喜心」の極端な姿でしょう。ホスピタリティを心がけながら、疲弊しきっている人は山のようにいます。「老心」の過ぎた姿がこれだと思います。かりに、見返りを求めてはいなくとも、これらは「おもねること」と言えるのではないでしょうか。

まずは人を喜ばせ自らも喜ぶこと、人を慈しむことから始めるけれども、決してそこには耽溺しない。喜ばせたい自分、人を慈しむ自分をも、どこかで突き放してみることができなければ、自分も相手も参ってしまう。そういうことをしっかり心に留める智慧を「大心」というのではないか、と考えました。
もてなす相手に限りなく近づきながら、そうしている自分からは遠く離れていること。「おもてなし」の心をそんな風にも思います。


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星をみるひと

2024-02-01 18:15:25 | 日記

南の夜空を見上げると「冬の大三角」と呼ばれる、明るい恒星の三角形が浮かんでいます。正月26日の満月の際には、この満月の右となりに冬の大三角が並んでいて、まるで夜空に繰り広げられる祝祭のようでした。
三角形がきれいな形を保ったまま、天頂にのぼっていくのを見ていると、宇宙の大きな回転の真っただ中にいることを実感します。地球上に1日1万トンもの宇宙塵が降り注いでいるというのですから、銀河の大渦巻きが、いま目の前にある世界をも巻き込んで、昼も夜も音を立てて回転している様子さえ思い浮かびます。

宮沢賢治が十代半ばで詠んだ歌に、次の一首があります。

ひるもなほ 星みるひとの眼にも似る さびしきつかれ 早春のたび

この歌が詠まれた前年の1910年には「1月の大彗星」が観測されていて、この星は「真昼の彗星」とも呼ばれ、白昼でも見ることができたのだそうです。この歌に詠まれた星はこの大彗星だったのでしょうか。下の句の「さびしきつかれ早春のたび」から読み返すと、一年前に確かに現れた彗星を真昼の空に探すように、見果てぬ夢を追う姿を描いているようにも見えます。
この時期、賢治は盛岡中学に通うものの、家業を嫌い将来を悲観して、鉱物採集や星座に夢中になっていました。賢治の「さびしさ」は、どこにも身の置き場のない焦りと、ない交ぜになっていたのだと思います。

わたしは賢治のこの歌を、おおむねそのように読んでいたのですが、このような感傷的なものではない、のちの作品に結実する賢治の壮大な宇宙観の萌芽ではないか、そう思うようになりました。
「銀河鉄道の夜」のなかで、ジョバンニはいつのまにか銀河をめぐる鉄道の車内にいることに気付きます。銀河は手の届かない遠い彼方に浮遊しているのではなく、まさにわれわれがその只中にいることに気付くのです。いつものように生活していても、銀河の星々の大渦巻きの只中にいるのだと感じるひと、それを「ひるもなお星みるひと」と想像してみることもできます。

それは、より巨視的な見方で世の中をとらえるというより、まったく別の世界から、この世界をとらえ直すことに近いのではないでしょうか。今生きている世界のどの部分にも微細に入り込み、それ自体が大きな運動の中にありながら、今生きている世界の道具立てでは決して記述できないもの、それこそが「星みるひと」の世界です。
賢治が銀河鉄道のなかで「幻想第四次世界」と呼んだこの世界は、すでに死んでいるはずのカムパネルラの世界でもありました。


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