犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

主客在大円之中

2021-09-29 19:24:07 | 日記

緊急事態宣言のあいだ休みだったお茶の稽古も10月から再開されます。
今年の風炉の稽古は短いものでしたが、7月の研究会で業躰先生(裏千家家元の内弟子の先生)に厳しく指導していただいたことは、よい勉強になりました。あれから2か月以上が経過して、すっかり点前の感覚も緩んでしまったかもしれず、もう一度気を引き締めて練習にかからねばと思います。

さて、日暮れどきに家のまわりを早歩きするようにしていて、日毎に表情を変える星々を眺めるのが日課になっています。この時期の夜空の星の、なんとも言えない優しさを表した言葉がないものか探していたのですが、星にまつわる茶席の掛軸は、七夕の時期のものがほとんどで、今の時期の夜空については月に関するものが大半を占めています。
そんななか、秋の星空そのものを語ったものではないものの、次の言葉を見つけました。

主客在大円之中(主客、大円の中に在り)

「大円」は本来もっと抽象的なものを指すのでしょうが、私には秋の夜空の天蓋を連想させます。あの星々のなかのひとつが、こちらに向けて優しい光を放っていて、こちらもそれに応えるような、ちょうど主客が思いを相照らし合う印象です。

正岡子規の次の歌が、その感覚に近いように思います。

真砂なす数なき星のその中に吾に向ひて光る星あり

この歌は、寝たまま外の様子がわかるよう、高浜虚子が障子戸に設てくれたガラス越しに、夜空を仰いで詠んだもののようです。病床を見舞ってくれる友人や、看護で支えてくれる母の優しさも、子規にとって「吾に向ひて光る星」だったのでしょう。
連作「星」には、先の歌に続いて、次の歌が掲げられています。

たらちねの母がなりたる母星の子を思う光吾を照せり

この歌ではもっとはっきりと、慈愛に満ちた星の光が詠われています。
穏やかな他者受容が、やがて自己をも受容させる、そういう場こそが茶席の醍醐味です。「大円」とは、敢えて言えばこの穏やかな自他受容の場を指すのだと思います。

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中陰の雲

2021-09-25 13:49:18 | 日記

玄侑宗久の『中陰の花』は、主人公の住職の知り合いのお婆さんが亡くなってから中陰(四十九日)を迎えるまでの間の住職夫婦の関係を核にして、死生観を展開していく小説です。この夫婦の会話の中に、極楽浄土はどの辺りにあるかという話があって、私は前からこのくだりが気に入っています。
住職いわく、極楽浄土は十万億土の彼方にあると言われているけれど、その距離を実際に計算してみた人がいる。そこまで四十九日かけてたどり着くまで、どのくらいのスピードが必要かを計算すると秒速30万キロになって、ちょうど光の速さと同じなのだと住職が講釈します。
妻は「なんかきれいすぎるなあ」と返し、住職は「ええやん、綺麗なのは」と応えるのです。

さて、私はこの話をもとに、無粋を覚悟で極楽浄土までの距離を計算してみたことがあります。
1光年が9兆5千億キロなので、これを365日で割って49を掛けると、1兆2700億キロの彼方にあることになります。文字どおり天文学的な数字なので、太陽系の大きさと比較してみます。
太陽系の「ヘリ」というのには2種類の考え方があって、ひとつは太陽から吹く「太陽風」の及ぶ範囲とするものです。ここまでの距離がおおよそ150億キロ。極楽浄土はまだまだ先にあります。
太陽系の「ヘリ」のもうひとつの考え方は、太陽の重力圏の有効範囲を指し、これは約2光年離れていると考えられるそうです。そうすると、極楽浄土はこのふたつの「ヘリ」の中間にある、という理屈になります。
このふたつの「ヘリ」の間には「オールトの雲(Oort Cloud)」という小天体からなる構造があると仮想されており、極楽浄土はちょうどオールトの雲に浮かんでいることになります。冒頭のウィキペディアの図ではオールトの雲の中心は1兆5千億キロ(1万AU)離れていて、1兆2700億キロ離れているという極楽浄土の位置とおおむね一致します。

愚にもつかないことを長々と書いてしまいました。西行ではありませんが「憂き世の外はなかりけり」と日頃思っているので、極楽浄土をひたすら念じているわけでもないのです。そうではなく、極楽浄土が太陽系のかろうじて内側にあって、その外側にないという認識が、何ともしれぬ安心を与えてくれるのです。

ちょうど中秋の名月の右上に浮かんで、明るい光を放っていたのは木星でした。そのやや右上には小さく土星が瞬いています。ずっと右に目を転じると、木星と明るさを競うように金星が輝いています。これらは全て太陽系の惑星で、太陽の光を反射しているのです。星座を形づくる恒星とは違って、それぞれ日毎に違う表情を持っていて、こちらに語りかけて来るように思います。
しみじみそう思ったのは、3年前父の葬儀を終えてフッと一息ついて夜空を見上げた時が最初でした。
こちらに語りかける星に言葉を返そうとしたとき、そこに父がいるように感じたことを、今もはっきりと覚えています。極楽浄土がそのあたりにあるならば、ちょうど合点がいくように感じるのです。

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秋はただ今宵一夜の名なりけり

2021-09-21 17:55:21 | 日記

昨日、全共闘のことを書いたあと、道浦母都子にこんな歌があったのを思い出しました。

私だったかもしれない永田洋子 鬱血のこころは夜半に遂に溢れぬ
(『無援の抒情』)

「空爆の下でおびえる人」だったかもしれない、ではなく「永田洋子」だったかもしれない、というあたりが、この時代を振り返ったときの救いようのなさを言い表しています。
先の茂木健一郎の文章と比べてみると、時代の真っ只中に生きたひとの言葉は、迫力が違うとさえ感じます。

さて、今日は中秋の名月なので、殺伐とした話題からそちらに話題を移します。やはり時代と「抜き身」で渡り合ったひと西行は、次の歌を詠んでいます。

憂き世にはほかなかりけり 秋の月ながむるままに物ぞかなしき
(『聞書残集』)

「憂き世」の外側の世界などありはしない。そんなものが心をなぐさめるのではなく、秋の月は眺めるほどに我が身を悲しくする、そういうものなのだ、と西行は詠います。前にもご紹介したことがありますが、この歌は大江為基の次の歌を下敷きにしています。

ながむるに物思ふことのなぐさむは月は憂き世の外よりは行く

月が「憂き世の外」にあるからだろうか、月を眺めていると傷心も慰められる、と為基は詠いますが、西行はそれを全否定するような勢いで先の歌を詠みました。憂き世の外などは無いのだと。

月は眺めるほどに悲しいという事実があり、その事実から離れた思弁をあれこれと交えてしまうと、西行の月は消えてしまいます。
先日の話につなげるならば、「惻隠の情」が尊いのだとしても、その情が発動する瞬間を離れてしまえば、思いはどのような空理空論にも彷徨うことができてしまうのです。
徹底したリアリストである西行は、その不徹底さがやがて破滅を招くことを、嫌というほど知っていたのでしょう。

秋はただ今宵一夜の名なりけりおなじ雲井に月は澄めども

月は同じ空に澄んでいるのだけれど、秋といえばこの中秋の名月を言うのであった、こう詠う西行の心は、たった一夜のこの月にのみ注がれています。

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敬老の日に全共闘世代を思う

2021-09-20 12:13:48 | 日記

私は1959年生まれですので、全共闘世代と時代を共有したことはありません。「連帯を求めて孤立を恐れず」のスローガンも、高橋和巳の著作などを通して、かろうじて知っている程度です。
財政危機が懸念される2025年問題を引き起こす厄介者であったり、老人医療介護のビッグマーケットであったり、団塊世代をそのように扱う文脈の中で、私は普段の仕事をしています。しかし、この世代のことをしみじみと考えることがあり、たとえば茂木健一郎の次の文章などに出会うと、しばらく立ち止まってしまいます。

全世界に学生運動の嵐が吹き荒れた頃、ジョーン・バエズが歌った『フォーチュン』のようなフォークソングは、明らかに個別化の原理(確固たる私の立ち位置からものを見る見方ー引用者注)を超えた世界を志向していた。床に寝転がる酔っぱらいも、空爆の下でおびえて暮らす人たちも、「個別化の原理」を通して「この私」から絶対的に隔絶されてしまっているのではなく、私はひょっとしたら彼だったかもしれなくて、彼が、私になっていたかもしれないのである。そのような可能性を許容し、その示唆するところについて考えることこそを、世界がどうなっているのか追究する原理問題としても、いかに生きるべきかを考える倫理問題としても大切に育んだ点に、あの頃の時代精神の矜恃はあったのである。(『欲望する脳』集英社新書 51頁)

茂木健一郎は1962年の生まれなので、「あの頃の時代」には、私より幾分希釈されたかたちで接しているとは思います。それでも、「あの頃の時代精神」と言われると、確かにそのようなものが存在したように感じるのも不思議です。

当時の流行り言葉である「自己否定」は、他者に向けられると容易に暴力に結びつきます。リンチのことを称して「総括」などと言ったりしたのは、その成れの果てでしょう。それでも自分自身を搾取する側から引き離し、虐げられたものたちに寄り添おうという心根は「自己否定」の言葉の底に伏流していたはずです。それは「私はひょっとしたら彼だったかもしれない」という思いです。
しかし、自分はどうしたって他者にはなり得ないのですから、そこを苛立って自己も他者も否定してしまえば、破綻するのは当たり前だと思います。当時の学生運動をそのように簡単に「総括」してしまっては、身も蓋もないのでしょうが。

「床に転がる酔っ払い」や「空爆の下でおびえる人々」は、一方的に感情移入すべき対象としてそこに置かれているのではなく、彼らのほうから「私だったかもしれない」と私に働きかける、そういうものとして現れており、われわれも彼らに促されて自らの立場を決していた、そう茂木は語ります。
そのようなものであれば、それは孟子の言う「惻隠の心」とも呼ばれるものです。そして、当時の若者が仮にそのような心情を共有していたのなら、たしかに矜持を持つに足る時代精神は、存在したのだと思います。

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ひとり立つもの

2021-09-18 01:01:52 | 日記

秋草の直立つ(すぐたつ)中にひとり立ち悲しすぎれば笑いたくなる
(道浦母都子『ゆうすげ』)

道浦母都子は大学在学中、全共闘運動に参加し、その体験をもとに書かれた歌集『無援の抒情』はベストセラーにもなりました。歌集のタイトルは、全共闘の渦中にいて病に倒れた高橋和巳の『孤立無援の思想』から採ったものです。歌集には次の歌が収められています。

催涙ガス避けんと秘かに持ち来たるレモンが胸で不意に匂えり

ガス弾の匂い残れる黒髪を洗い梳かして君に逢いゆく

胸元で不意に匂うレモンの香や、黒髪を梳かす仕草のいかにも女性らしさが、催涙ガス弾との対比を際立たせます。

学生運動から離れた作者が、やがて家庭を持ち生活の苦労を嫌というほどに味わったすえに、大きなため息をつくように詠ったのが冒頭の一首です。催涙ガスの先にある「レモン」や「君」に見られたような出口がどこにもない、たったひとりで秋草のなかに立ち尽くす姿がそこにあります。
作者は二度の結婚と離婚を経験し、二度目の結婚生活では、うまくいかない家庭生活の中で不妊治療にも苦しみました。そのころのやり場のない気持ちを「悲しすぎれば笑いたくなる」と詠います。

冒頭の歌が収められた歌集『ゆうすげ』刊行の数年後、道浦母都子は都はるみの歌の作詞を手がけます。都はるみのパートナー中村一好の、たっての希望で高橋和巳の作品『邪宗門』を題材に、と依頼されたものでした。この申し出を受け、都はるみの歌『邪宗門』が誕生します。

物語りをつくるのはわたし
世界を生むのはわたし

男女の恋を歌った歌詞のなかに、こういうフレーズが何気なく挿入されています。
恋にせよ連帯にせよ、それじたいが目的なのではなく、「ひとり立つ」ものが物語を創りそして世界を生み出すための、拠り所に過ぎないのだ、そう歌っているように感じます。

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