お茶席で、初夏らしい掛軸を拝見しました。
遠山無限碧層々(えんざんむげんへきそうそう)
青々とした山並みがどこまでも続いている。目もくらむような碧さに、前途の遼遠であることを思わざるを得ない。そのように解釈しました。このとき遥かなる前途は、ひとつひとつ踏み越えてゆくべき困難の連続を思わせます。
種田山頭火の 「分け入っても分け入っても青い山」の倦怠感を連想もしました。
ところが、お茶席のご亭主が仰るには、この「遠山」とは、これから踏み入ろうとする山ではなく、これまで夢中で分け入って踏み越えてきた山々を、振り返ってみた姿なのだそうです。
老人福祉施設にお茶を教えに行かれるご亭主は、人生を振り返って、善も悪も、恨みも誇りもない、ただ碧々とした山並みに対するように静かに遠望する姿を、生徒さんたちに想像してもらうと言います。そうすると、お年寄りたちはとても良い表情をしてくれるのだと仰っていました。
冒頭の句の出典は碧巌録で、以下のように続きます。
盧公付了亦何憑 (盧公に付し了わるも亦た何ぞ憑らん)
坐倚休將繼祖燈 (坐倚して将に祖燈を継がんとするを休めよ)
對堪暮雲歸未合 (対するに堪えたり 暮雲の帰って未だ合せざるに)
遠山無限碧層層 (遠山限り無く碧層々)
これは「達磨さんはなぜ西からはるばるやってきたのか」という禅僧の問いに師が答えるかたちで詠まれたもので、大意は次のようなものです。
盧公(達磨など祖師を指す)に、坐禅につかう座布団や禅板を与えても無駄です。
祖師の意は、座布団や禅板で伝わるものではありません。
外に出て御覧なさい。夕暮れの雲が夜に帰ってしまっても、ほのかに霞むその中に、
遠くに見える山々が、どこまでも限り無く、その深い青が連なっているでしょう。
夕暮れの雲が山におさまるときに、赤から碧へ、ゆっくりとかすみながらも稜線を浮かばせて、次の瞬間には、夜の闇に消えていってしまう。山の青さが一層深みを増して、その存在感が際立つ一瞬の描写で話を結んでいます。
なぜ達磨さんが西から来たのか、という問いそのものを無効にしてしまうような、圧倒的な存在感がその場を制するのです。
今までなんとか踏み越えてきた山々が、現にこのようにあって、これからも越えてゆかねばならない、我々は達磨さんとともに道中にあるのだ、そのこと以外に小賢しい理屈がいるだろうか。というのが、禅僧に対する答えと言えば言えるでしょうか。
私たちには人生を終わりから振り返ってみて、その視点から現在を律する力が与えられています。物事を単純な因果関係でとらえたり、損得勘定で方針を決めたりといった視点とは、全く異なる視点から発せられる力です。
お年寄りたちが自らの人生を振り返って、青々とした山並みに人生を重ねてゆくと、とても良い表情をしてくれるのだというご亭主の話を、次のように言い換えることができるかもしれません。
人生を因果関係の描線として捉えるのではなく、何か圧倒的な存在として眺めることができるということは、そのお年寄りたちにとっての救いなのでしょう。そして、そのような視点が設けられていること自体が、これから長い年月を生きてゆく者にとっての救いなのかもしれない、と。