おとといの月が中秋の名月であることに気づいて、その夕刻、近くの菓子店に散歩がてら月見団子を求めに行ったところ、どの棚もきれいに売り切れていました。私と同じように、今気付いたとばかりに、あわてて団子の棚に行き着いて、立ちすくんでいるご近所の方と目が合い、互いに笑ってしまいました。
風流もなにもない、中秋の名月の夜の散歩でしたが、手ぶらで帰宅する私を照らす月は、鏡のように透きとおっていて、思いもかけず夜の散歩をすることになったてん末も、何もかもを写しているようでした。
そして月に照らされて歩きながら、首尾よく月見団子を手に入れて眺める月と、こうやってとぼとぼと歩く帰り道をひたすらに写す月は、果たして同じ月なのだろうか、とも思いました。
西行は『聞書残集』に、次のような歌を詠んでいます。
憂き世にはほかなかりけり 秋の月ながむるままに物ぞかなしき
意味の取りづらい歌ですが、大意は次のようなものです。
月は「憂き世の外」にあって、それを「憂き世」の側から眺めると、ひとときのあいだ心が慰められる、といったものではない。「憂き世の外」などはそもそも無く、秋の月は眺めるほどに我が身を悲しくする、そういうものなのだ。
この歌は、大江為基の別の歌を下敷きにしています。(『古典つまみ読み』武田博幸著 平凡社新書 に教えられました。タイトルによらず好著です。)
大江為基は、妻に先立たれて悲しみの中にあったときに、次の歌を詠みました。
ながむるに物思ふことのなぐさむは月は憂き世の外よりは行く
月が「憂き世の外」に行くからだろうか、月を眺めていると傷心も慰められる、という歌です。この為基の歌がまずあって、西行はこれに異をとなえる形で先の歌を詠んだのです。「憂き世の外」などは無いのだと。
また、西行は『新古今集』に、次のような歌も詠んでいます。
月の色に心を清く染めましや 都を出でぬわが身なりせば
北面の武士という勤めを捨て、若くして出家して都を去る西行は、月を見て「ああ美しい」と詠うのではなく、あの月の色に自分の心を染めようと誓うのです。
憂き世を超越したどこかに身を置いて澄ましているのではなく、憂き世の諸々の出来事のただ中にいて、それらをただ鏡のように観じていたい、そういう決意が西行の歌には込められています。
西行と心を通わせあった親友「西住」上人が、重い病で倒れた際、駆けつけた西行は降り積もる雪を見て、「積もる雪を見ていると、諸々の煩悩が清められたように感じる」と歌を詠みます(頼もしな 雪を見るにぞ知られぬる 積もる思ひの降りにけるとは)。
これに応えて、病床の西住は、次のように返します。
さぞな君 心の月を磨くにはかつがつ四方に雪ぞ敷きける
その通りだ。君が心の月を磨いてきたために、なにはさておき雪が一面に降り敷いたのだ。
西行の人生が、みずからがそう願ったと同じように、親友の目から見ても「心の月を磨く」ようなものであったことが、この歌からもよくわかります。