犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

学ぶということ

2024-07-27 23:45:06 | 日記

仕事のうえで思うにまかせぬことが続くと、ついつい気持ちが塞ぎがちになります。毎日うち続く容赦ない暑さにさらされるとなおのことです。
こんなときには、私は次のように考えるようにしています。
苦しみが原因で、気持ちが塞いだり、意気阻喪したりするのではなく、塞いだり、意気阻喪してしまう身体の状態を指して「苦しみ」と勝手に名付けて
いるのだと。そして、自分はその身体の状態に身をまかせているのであって、けっして自分の心に正直なふるまいではないのだ、と。

そんなことを思いながら、若松英輔さんの著書『光であることば』(小学館)を読んでいて、『荀子』宥坐篇の言葉が引かれていたのに出会いました。まさに我が意を得た思いです。

君子の学は通ずるが為めに非ず。窮するとも困(くるし)まず、憂うるとも意の衰えず、禍福終始を知りて心の惑わざるが為めなり

若松さんの本にも意訳したものが記されていますが、私なりに次のように意訳してみました。

—学びは富貴栄達のためにあるのではない。困難にあって己を見失わず、試練のなかで意気阻喪することもなく、哀しみ苦しみがうち続く人生であっても、やはり生きるに値することを、心の底から知ることが、学ぶことの本義だ—と。

これを読むひとは、最初のフレーズの「君子の学は」の主語のところを忘れて、次のフレーズ「窮するとも~為めなり」のところに、しばし身につまされるものを感じるのではないでしょうか。我々は、容易に己を見失い、意気阻喪し、生きる意味を喪失しているのですから。

しかし、このようなだらしない姿が、「学ぶ」ことによって克服されるのだとすると、「学び」の力について改めて思いを致さざるを得ない。荀子の言葉はそのような仕掛けになっているのだと思います。

放っておくと、外から強いられた刺激によって、人は混沌の状態に引きずられ目まいを起こします。己を見失い、意気阻喪し、生きる意味を喪失するのは、この眠りこけた状態にほかなりません。そして「学ぶ」ということは、この状態から目覚めさせ、起き上がらせることなのだと思います。

ここで言う「学ぶ」とは、思想や学理を身につけることではなく、何かによって「考えさせられる」ことなく、みずから考えることをやめないよう修錬することだ、そのように理解すると腑に落ちるのではないでしょうか。

むろん、私にそれをやり遂げられていると語るつもりもなく、あまりにもたやすく塞ぎの虫にとりつかれ、意気阻喪してしまう情けなさから、このようにありたいと痛感しているのが正直なところなのです。


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弥勒菩薩の修行

2024-07-20 23:50:47 | 日記

もう一か月以上前のニュースですが、国際研究チームが、銀河の中心にある巨大ブラックホールの撮影に初めて成功したと、報じていました。それは地球から約2万7000光年の距離にあって、「見かけの大きさは月の上のドーナツ(直径8cm程度)ほどの大きさ」なのだそうです。
わかりにくい表現ですが、月面に8センチほどのドーナツを置くとして、それを地球から見たときと、同じくらいの小ささだという風に理解しました。撮影されたブラックホールが、ドーナツのポンデリングのようにも見えるので、このような表現になったのでしょう。

銀河の中心が、世界の中心というわけではないかもしれませんが、仏教の世界では世界の中心に、須弥山という山があるとされています。その山の上空には兜率天という天界があり、弥勒菩薩が修行をしています。
釈迦の後継者の如来となることを約束されてはいるものの、未だ悟りの境地にはない菩薩なので、まだまだ修行が必要なのです。

この弥勒菩薩が、いつ菩薩から如来になるかというと、56億7千万年後という気の遠くなる将来の話です。
ちなみに、この途方もない時間は、地球を含めた太陽系が消滅するまでに残された時間とほぼ等しいのだそうです。

これを文字通りに捉えると、どうなるのかと、愚にもつかないことを考えてみました。
偉大なる後継者が降臨したときには、もうすでに太陽系は消滅していると捉えるか、如来が大破局から救ってくれると捉えるか、あるいは、我々は弥勒菩薩とともに宇宙が果てるまで修行すると捉えるか。

私は最後のように考えると、何ともしれぬ伸びやかな気持ちになりました。

西洋人が仏教に初めて接したとき、人生は「苦」だという教えにひそむ、厭世的な恐怖主義を嫌悪し遠ざけました。明日にも裁きの日が訪れるという強迫観念を普通とするのならば、メシアならぬ弥勒菩薩の話は許されざる虚無の極みであったでしょう。

光の輪に囲まれた、歪な穴をじっと見ていると、そこで弥勒菩薩が修行をしている姿が見えるようです。


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七夕の祈り

2024-07-13 23:56:41 | 日記

薄茶の稽古は、久しぶりに「葉蓋」の点前でした。
水指の蓋の代わりに葉を用いる、ちょうど七夕のころの点前です。裏千家十一代玄々斎の考案なので、幕末の時代に生まれた点前ということになります。七夕の趣向の茶会で、玄々斎好みの花入の受け筒に、梶の葉を蓋にして水指に使用したのが始まりと言われています。

水指から葉蓋をはずして、縦に二つに折り、横にして三つに折りたたみ、さらに上下にたたんで指で穴を開けたところに、葉の茎を通して「トトロのドングリ土産」のようになったものを建水に落とします。今でこそ、涼を呼ぶ季節恒例の点前ですが、最初に茶会で披露されたときには、大きな驚きで迎えられたのではないでしょうか。

蓋に見立てた梶の葉を水に落とすという所作は、しかしながら、奇をてらって取り入れられたのではなく、古代中国の七夕の行事「乞巧奠(きこうでん)」に由来しています。
梶の葉に願い事をしたため、それを水を張ったタライに浮かべることで、願いを天に届けるというのが、乞巧奠での慣わしでした。これが奈良時代頃にわが国に伝わり、宮中などでも伝えられていたのだそうです。

下図は、巌如春の「儀式風俗図絵 七夕・乞巧奠」(金沢大学附属図書館所蔵)に描かれた「乞巧奠」の様子です。願いごとの行事というよりも、捧げものの行事という印象を受けます。

七夕を「たなばた」と読むのは、反物を織って棚に供え、豊作を祈った「棚機(たなばた)」という織り機に由来すると聞いたことがあります。織り上げられた布は棚に飾られたまま、これを仕立てたものに誰も袖を通すことはありません。
一回切り使われて建水のなかで揺れている葉蓋は、神事にのみ使われた布のようにも見えます。涼を呼ぶ葉蓋の点前は、古代のわが国の祈りに通じるものなのかもしれないと思いました。


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西行の蓮の花

2024-07-06 23:35:45 | 日記

福岡城の濠では、蓮の茎が隆々と伸び、葉が水面を覆い尽くしていて、朝ここを訪れると、白い花が濠に光を放っているのが見えます。
十数年前、3号濠と5号濠の蓮が壊滅状態だったのを、外来種の亀の食害が原因と特定して対策を講じた甲斐あって、今のこの姿があるのだそうです。ただし復活した蓮の葉が水面を隠すので、夜の水面は月を映すことはありません。

亀と蓮のせめぎ合いの話を聞いて、西行の次の歌を連想しました。せめぎ合う月と蓮を詠ったものです。

おのづから月宿るべきひまもなく池に蓮の花咲きにけり

蓮の葉が生い茂って、月が水面に映ることはないけれども、池に蓮の花が咲いている、という意味だと理解しました。

西行にとって、月は愛でる対象というよりも、みずからの心を映し出すものであり、それゆえおのれを磨くことによって、より輝きを増すものでした。
北面の武士という勤めを捨て、若くして出家して都を去る西行は、月を見て、次のように詠っています。

月の色に心を清く染めましや 都を出でぬわが身なりせば

出家をしても、保元平治の乱にはじまる大混乱の、節目節目に関わることになる西行にとって、「おのづから月宿るべきひまもなく」というのが実感だったのではないでしょうか。

しかし、そうしてみると蓮の花は、西行の目にどのように映っていたのでしょう。出家の身の西行にとって、悟りの境地を表すもののはずですが、私は次のように考えたいと思います。

みずからを鍛えて、その色に染まりたいと切望する対象が「月」だとするならば、たとえ目標から遠くとも、今精一杯生きていることの証しとして「蓮の花」は映ったのではなかっただろうかと。
「願はくは花の下にて春死なむ」と詠んだ「桜」には、天上へのあこがれがあったとすると、蓮の花には、今あることへの肯定が込められていたのではと思います。


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