犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

恋は液体、愛は固体

2022-01-29 13:09:55 | 日記

まん延防止等重点措置の実施で、今週からしばらくお茶の稽古もお休みです。

観るともなくテレビを付けていると、地方局の女子アナ3人がそれぞれにとっての「格言」を披露しあうという短いコーナーをやっていました。
そのなかのひとつがこれ。

「恋は液体、愛は固体」

他の2人から「どうしたの、何かあったの?」と突っ込まれていましたが、言った本人はこう説明していました。

恋している間は、受け取る相手の器の大きさに応じて、与えられるものも「たったこれだけ」だったり「こんなに沢山」だったり、液体のように変化する。

なるほど、それでは愛の固体は、と想像を膨らませて、テレビ画面に思わず向き合ってしまいました。

するとフリップに書いた文字が、「個体」と誤記されていたので、皆で大笑いというオチでコーナーが終わってしまいました。
消化不良も甚だしい終わり方です。
残された格言が、とんでもなく深淵なもののようにも思えてきます。

彼女は何を言おうとしたのだろうと考えて、次のような想像をしました。
相手を愛してしまうと、相手のキャパを考えずに、宅急便を送りつける具合に思いの丈を送ろうとする。つまり送る側の都合によって大きさが決められてしまいます。それは際限のない贈与にもなり得るし、相手の都合を顧みない勝手な贈り物にもなり得る。
そんなところでしょうか。違うような気もします。

さて、固体と液体が出てくれば、「気体」も当然、用意してあげなければなりません。
相手のキャパに左右されず、こちらの都合で大きさを決めることができない、気体のようなものとは何でしょう。

千手観音の手がなぜあのように沢山あるのかという問いに対して、「闇の中、後ろ手で枕を探す」と答える禅問答があるのだそうです。南直哉さんの著書『刺さる言葉』(筑摩選書)に載っていました。
観音様の慈悲とは、救うべき人とその苦悩をあらかじめ熟知していて、超能力で片っ端から片付けていくようなものではなく、闇の中で枕を探すような当てのない行動だというのです。他者の苦悩に導かれて、失敗を繰り返しながら、それでもあきらめずに、その手がようやく苦しみを癒すところにたどり着くのです。

「慈悲は気体」

興ざめでしょうか。
それにしても「愛は固体」は何を意味していたのでしょう、気になります。


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越境する水仙

2022-01-22 22:14:49 | 日記

茶花の少ない季節には有難いことに、わが家の庭には水仙の花が賑わっています。きれいに伸びた一本を、お茶の稽古のために持っていきました。
唐銅の花入に活けていただくと、稽古場全体が引き締まった雰囲気になります。

黄いろなる水仙の花あまた咲きそよりと風は吹きすぎにけり(古泉千樫)

真中の小さき黄色のさかづきに甘き香もれる水仙の花(木下利玄)

水仙の花は近世以降の短歌には頻繁に姿を現しますが、古い歌に詠まれることは稀です。水仙がわが国に到来するのが平安末期と比較的新しく、大和言葉で呼ばれることがなかったため、歌に詠まれる機会が少なかったのだそうです。
ギリシア神話にも登場する水仙は、もともと地中海地方の原産で、それがはるばるとシルクロードをたどって唐に渡ると、水辺の仙人になぞらえて「水仙」と名付けられました。
時代がさらに下って、大陸から黒潮や対馬海流に乗って漂着したものがわが国の海辺に自生して、それが大陸で付けられた名前のまま愛でられるようになったのです。

地中海を出自とし、大陸の不思議な名前を持つ水仙は、エキセントリックな存在でもあったのでしょう。
水仙は唐銅など「真の花入」つまり最も格の高い花入に適した花とされるのも、この不思議な佇まいが原因ではないかと思います。
侘茶の祖と言われる村田珠光は、それまでの唐物中心の茶の湯の道具に、和物を調和させて新しい美をつくることを目指し、その姿勢を「和漢のさかいをまぎらかす」と言いました。境界を横断するように移動する水仙が、「さかいをまぎらかす」存在として認められているのかもしれません。

ナルキッソスはみずからに見惚れて、水鏡の向こう側の世界に行ってしまいました。考えようによっては、人を魅了しながら境界を移動する姿の原型が、ここにあるようにも思います。


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ヘソの翁のはなし

2022-01-16 19:18:34 | 日記

正月の3連休に予定されていた初釜茶会が中止になったので、この土曜日が今年最初のお茶の稽古になりました。
床の間には「平常心是道」(へいじょうしんこれどう)の堂々とした書が掛けられています。コロナ禍に振り回される日常で、平常心を心がけようという、師匠の年頭の呼びかけだと受け取りました。

11月の炉開き以来、久しぶりの着物を着ての稽古なので、袴さばきがうまくいきません。裾を踏んだまま立ち上がろうとして、そのままバランスを崩しそうになったり、まるで下半身が反乱を起こしているような具合でした。

山東京伝は『笑話於臍茶(おかしばなしおへそのちゃ)』という黄表紙で、優遇されやすい上半身に抗議して下半身が反乱を起こす物語を書きました。最後は「臍の翁」(へそのおきな)が下半身を諭し、まるく収めるという荒唐無稽な話なのですが、臍のあたりが体全体の調和を保つ重要な位置なのだという、我々が漠然と抱く感覚をうまく表しているように思います。
そう言えば、臍下丹田を意識しながら呼吸を整えると矢筋が安定するのだと、高校時代の弓道部でずいぶん練習したものです。

能登門前町に總持寺を開いた瑩山禅師は「平常心是道」の意義を問われて、「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す」と答えたそうです。つまり三昧の境地を指すのでしょうが、雑念を交えずに喫茶三昧の境地に達するのは、そうしようと思ってできることではありません。作為の意図をもって体や心を操作しようとするのではない、もっと別の感覚が必要だとわたしは思っています。

臍下丹田に意識を集中し呼吸を整えると、体全体がひとつの器になった感覚を覚えます。矢を射るにしても、茶を点てるにしても、「自分が」何かを成そうとしているのではなく、自分という器のなかで何かが起こる感覚です。三昧とは、この「器のなかで何かが起こる」感覚に近いものだと思います。

山東京伝の話の、「上半身の優遇」を「自分が何かを成すという感覚」と置き換えて、「臍の翁」による説得を臍下丹田に意識を集中して三昧の世界に入ることと置き換えてみると、荒唐無稽なだけの話ではないように思えてきます。臍の翁が下半身の反乱を抑えて調和を保つというオチは、意外に深淵な思想を示唆しているのかもしれません。



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娘達への手紙

2022-01-10 13:17:57 | 日記

ポルトガルのサンタ・クルスで2年間を暮らして帰国した檀一雄は、1974年福岡市の能古島に転居しました。そこで「人生の刈り入れに向かうつもりだ」と書き残しての移住です。ちょうど、わたしの今の年齢と同じ62歳だったと思うと、感慨深いことひとしおです。

檀一雄には『娘たちへの手紙』という小文があって、わたしは若い頃から何度もこれを読み返してきました。
檀ふみさん朗読のCD『娘と私 檀一雄エッセイ集』(新潮社)の「成人の日によせて」の項に収録されていますし、新潮社の『檀一雄全集第8巻』に収められています。ちなみに当ブログの引用元『日本の名随筆49 父』(作品社)は残念ながら絶版です。
エッセイの出だしはこうです。

これから、九州の島に帰るつもりなので、その前に、私は、お前達に、今までまだ書いたことのない手紙を、書き残していこうと、思う。
そのおろかな父から、人生の門出に向う、娘達への手紙である。
たとえてみれば、私のお前達に対する遺書である、と思ってみても、さしつかえはない。(『日本の名随筆 父』165頁)

「私のお前達に対する遺書である」とはっきり書いているのは、今回読み返してみて改めて気付きました。娘達への溢れるばかりの愛情が読み取れる文章ですので、少し長くなりますが引用させていただきます。成人の日にふさわしい文章だとも思います。

たとえば、お前達は、庭先に群れをなして、這っているおびただしい蟻の列を見る。指でひとひねりすれば、それでコトキレ、一瞬にして、蟻は死ぬ。あたりは、空漠であり、その空漠の中に、破壊されたものが、なんであったか‥‥‥。解答はまったくない。
我々、ひしめいている人間のひとつひとつの命のありようも、全くこれと同じである。
「お幸せに……。」も「おかわいそうに……。」もない。あらゆる生命は、神から放たれたか、生産する自然力とでもいったような根源の力から生み出されたのか、知らないが、その無限の造物の力によって、まるで、みじめな、それぞれの道化を演じさせられるあんばいに、この地上にほうり出されて、ある。
その有限の生命どもが、泣いたり、笑ったり、怒ったり、裏切ったりしているわけだが、どのような修飾の言葉で装ってみても、人は生まれ、這い這いし、立ち上がり、ツヤヤカになり、やがて、男は女を追い、女は男を迎えて、やれカケガエない……だの、やれ絶対……だの、と口走りながら、有頂天になるヒマもなく、いつのまにか、もう老いの影に脅え、ひとりひとり、よろけながら、死んでゆく……。
もっとも普通の「お幸せにね……。」が円満に実現されるとして、けっしてこれ以上のものではないはずだ。
悲しいけれども、人間は、たったこれだけのものである……、ということを、まず、知るべきだろう。いや、必ず、知ることになる。
だから、私はお前達に、早く人生に絶望せよ、といっているわけでは、けっしてない。
いや、その反対だ。
まことにみじめではあるが、私達一人一人に、イノチという、自分だけで育成可能のなんの汚れもない素材が与えられている。
お前達一人一人は、そのよごれのない一つずつの素材を与えられた、芸術家であり、教育者であり、いってみれば、自分自身の造物主であり、いや、ちっぽけな、哀れな、神ですらあるだろう。なぜなら、おまえたちのイノチのありようは、おまえたちが選ぶがままであり、おまえたちのイノチの育成も、おまえたちの育成するがままだからだ。(166頁)

ちっぽけな造物主としての人間には、しかし「青春」というものが「もっとも動物的な形で殺到してくる」のだし、「絶対の愛」などを求めても、みじめで有限な生き物であることを、ひたすらに思い知らされるだけです。壇はそう語ったあと、それでもいいではないか、一敗地にまみれることがあっても、それは大きな自己育成の転機だろうと、次のように語ります。

そのはかない、過ぎやすい、一瞬の逢縁(出合い)を、静かな、充実した、かけがえない時間の喜びに変えることは出来る。
それは、お互いの自己育成の果てに、ようやく知る一瞬の、かけがえなさの自覚からである。
寛容と敬愛は、おのずから、やすやすとした信頼の交互作用を生んで、人間なにものであったか……、のほこらしい安堵に近づくかもわからない。
しかし、これは、万に一つの愛のカタチであって、おそらく、泥にまみれ、地にまみれた、男女らの、長い、自己育成の果ての夢に近いかも知れぬ。
しかし、ためらうな。恐れるな。悲しみをも享楽出来るほどのイノチを鍛冶して、自分の人生に立ち向かっていくがよい。(168頁)

本文中に自らを「頑父」と呼ぶように、厳しい言葉のように見えますが、これほど慈愛に満ちた言葉を知りません。わたしがもっとも好きなのは最後に語られる次のフレーズです。娘達を愛しむ気持ちが、隠されることなく表現されています。

お前達の前途が、どうぞ、多難でありますように……。
多難であればあるほど、実りは大きい。(169頁)

人生の門出に立つ娘達をいつまでも見送る、父親の後ろ姿がありありと目に浮かびます。



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正月の遺言

2022-01-03 11:37:10 | 日記

玄侑宗久がまだ若い頃、禅宗の老師のなかにお正月に遺言を書く人がいるというので、ひどく引っかかりを覚えたのだそうです。
お釈迦様が入滅のとき「自分自身と法を拠り所とせよ。それ以外を拠り所としてはならない」という戒めを残していて、これを「遺誡(いかい)」と言います。死後にまで自分の意思を通そうとするのは、そういう潔さとは無縁だと思えたからです。

ところが、その老師が亡くなってみて、事の真相が明らかになりました。
遺言がしまってあるはずの抽斗を開けてみると紙切れひとつ残されていません。老師が遺言だと言っていたものは、老師が生きているうちに果たすべき事柄を書き記したもので、毎年正月に書き直していたのは、それらが達成されたか、別のかたちで課題が残されたからだったのです。

死んで遺言が残されれば、やるべき事柄が明らかになるので、誰かがそれをバトンを受けるように引き継げばよいのですが、それは遺された者が決めるべきことです。老師の死後に遺言は残されなかったということは、老師は生前になすべきことをすべて成し終えてしまった、ということを意味します。
玄侑宗久は、そういう死に方ができれば最高だろうと述べています。

これまでの人生で築き上げてきたものをどう遺すかの意思表示は、大事なことです。遺された者たちの争いを収める実際上の知恵と言ってよいでしょう。
しかしそれとは別に、残された人生の「To Do リスト」ともいうべき遺言があれば、遺言者みずからを導き励ますだけではなく、生きる姿勢を遺族に示すことができます。

遺言書には「付言事項」というものがあって、法的効力を持つことを目的としない、家族へのメッセージのようなものです。私は遺言について人から相談を受けたときには、この付言事項を充実させるようアドバイスしています。遺族の気持ちをほぐし、遺言の結論に至った理由も明らかになるからです。
そして、前述の老師の遺言は、それをもっと力強くしたもののように感じました。

家族に向けた優しいメッセージも大事ですが、遺言者自らに対する厳しいメッセージがあれば、遺された者たちは、粛然とそれに向き合わざるを得ないことでしょう。
財産よりももっと大きなものを、遺族はそこに見出すかもしれません。


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