ユダヤ人としてアウシュヴィッツに囚われ、奇跡的に生還した心理学者V.E.フランクルによる『夜と霧』に、ひときわ輝きを放つ次のような一節があります。
この若い女性は自分が近いうちに死ぬであろうことを知っていた。それにも拘らず、私と語ったとき、彼女は快活であった。「私をこんなにひどい目に遭わせてくれた運命に対して私は感謝していますわ。」と言葉通りに彼女は言った。(中略)
外では一本のカスタニエンの樹が丁度花盛りであった。病人の寝台の所に屈んで外をみるとバラックの病舎の小さな窓を通して丁度二つの蝋燭のような花をつけた一本の緑の枝を見ることができた。「この樹とよくお話しますの。」と彼女は言った。私は一寸まごついて彼女の言葉の意味が判らなかった。彼女は譫言状態で幻覚を起こしているのだろうか?不思議に思って私は彼女に訊いた「樹はあなたに何か返事をしましたか?―しましたって!―では何て樹は言ったのですか?」彼女は答えた。「あの樹はこう申しましたの。私はここにいる―私は―ここに―いる。私はいるのだ。永遠のいのちだ。」
フランクル博士は「感傷的な映画作品よりも遥かに偉大なことをその生涯において実現化した収容所のある人々」という表現を用いて、このエピソードを紹介しています。
やがて死ぬ若い女性が「永遠のいのち」と対話しつつ、死に臨んで快活であったこと。そして彼女と同じように死に臨んでいたアウシュヴィッツの囚人たちに、たとえ救われなくてもより良く生きようという力を与えてくれたこと。博士はこれらのことを指して「偉大なこと」と称えるのです。