犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

平凡な夏至の日

2023-06-21 20:00:50 | 日記

夏至がやってくると、それがちょうど梅雨の季節の真ん中にあたることに、改めて気づきます。太陽が黄道上もっとも高い夏至点を通過する厳かな日でありながら、夏至の日の太陽の多くは雲に隠れているのです。

夏至の日はうすく曇りて連山をつつめる雲のゆれのぼりゆく
(津田治子『津田治子歌集』)

明治45年に佐賀県呼子町に生まれた津田治子は、18歳でハンセン病の宣告を受け、23歳で熊本の病院に入院し、この地でキリスト教と短歌に出会いました。
治子は29歳のとき生涯の住みかとなる「九州療養所」へ転所します。ここは東に阿蘇連山を望み、西に金剛山を望む場所ではありますが、住まいとしては寒暖の差の激しい、厳しい環境だったそうです。ハンセン病患者に対する差別が公然と行われていた時代のことです。

冒頭の歌に詠まれた「連山」は、療養所から東に見える阿蘇連山で、立ち昇る雲は山々を包む朝霧と一体になって、揺らいでいたのでしょう。それは雄大な景色だっただろうと思います。大広間に十人の患者が同居し、わずかな賃金で作業を課せられる、決して恵まれているとは言えない日常の、夏至の日の一瞬を切り取った一首です。

しかし、この歌には悲壮感はなく、むしろ与えられた運命をそのままに受け入れようとする、潔ささえ感じます。
治子の自らの運命を引き受け、気高く生きようとする姿は、次の代表歌にも表れています。

現身(うつしみ)にヨブの終りの倖(しあわせ)はあらずともよししぬびてゆかな

苦しみのきはまるときにしあはせのきはまるらしもかたじけなけれ

夏至の日は、苦しみの極まる日でも、幸せの極まる日でもなく、療養所での生活をたくましく生きる平凡な一日です。それでも、揺れ昇ってゆく雲が、作者のかすかな心の昂ぶりを表しているように感じます。


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どこかに美しい村はないか

2023-06-17 09:00:22 | 日記

前回に続いて、茨木のり子の詩集からの引用です。

六月 (茨木のり子『見えない配達夫』)

どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終りには一杯の黒麦酒
鍬を立てかけ 籠を置き
男も女も大きなジョッキをかたむける

どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮は
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる

どこかに美しい人と人との力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる

この詩が発表されたのが昭和31年で、朝鮮戦争が3年前に休戦し、経済白書に「もはや戦後ではない」と記された年に当たります。日本がこれから高度経済成長に突入しようという時期です。
この時期の日本の社会を、詩人が明るいものと見ていないことは、ひたすらユートピアを夢想する姿から明らかです。
黒麦酒を満たした大きなジョッキを男女が傾ける村、街路樹がどこまでも続き、若者のさざめきで満ちる街。これらはヨーロッパのどこかの農村風景を連想させて、旅情を掻き立てるような趣さえありますが、三連にいたって調子が変わります。

「場所」ではなく「人と人との力」が詠われるのです。「したしさ」と「おかしさ」と「怒り」は、それぞれバラバラにあるのではなく、「同じ時代を生きる」ことによって、ひとつにまとめられ、そして「鋭い力」へと変換されます。

茨木のり子にとって、ここで書かれる「同じ時代」とは、彼女自身の再生の夢であった民主主義の、本来持っていたはずの可能性のひとつひとつが失われてゆく時代だったのだと思います。唐突に登場する「怒り」という言葉は、まさにここに向けられているのではないでしょうか。うまく立ち振る舞ったものが、既得権益を抱え込んで澄ましているような社会、「したしさ」も「おかしさ」も分かち合うことのない社会、そんなもののために十数年前に尊い犠牲を払ったはずではない、と。

ところで、この詩の題が「六月」とされている理由は、明らかではありません。詩人の誕生日が6月なので、みずからの再生と社会の再生とを重ね合わせて、彼女自身の希望を、せめて詩のかたちで表そうとしたようにも思います。

(写真は「茨木のり子 六月の会」の‘20年6月会報よりお借りしました)


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「花の名」

2023-06-12 21:11:31 | 日記

お茶の稽古で濃茶を点てると、正客からお茶名やお菓子の銘に続いて、床の間の花の名を訊かれます。
「あやめ」と答えたものは、ハナショウブでした。花の付け根に網目状の模様があれば「あやめ」、黄色い模様があれば「ショウブ」、白い筋が入っていれば「カキツバタ」なのだと、改めて師匠に指導を受けるのですが、おそらく来年の今頃には、すっかり忘れているのだと思います。

花の名を間違えるというエピソードを、茨木のり子が「花の名」という微笑ましい詩に詠んでいます。

父親の告別式から帰る汽車のなかで、これから甥っ子の結婚式に向かうという賑やかな男性と乗り合わせてしまいます。しきりに話しかけられるので、いなすようにあしらっていると、不意に花の名を尋ねられました。「泰山木じゃないかしら」と答えて、詩人はふと父の言葉を思い出します。

女のひとが花の名前を沢山知っているのなんか
とてもいいものだよ
父の古い言葉がゆっくりよぎる
物心ついてからどれほど怖れてきただろう
死別の日を
歳月はあなたとの別れの準備のために
おおかた費やされてきたように思われる
いい男だったわ お父さん
娘が捧げる一輪の花
生きている時言いたくて
言えなかった言葉です

亡き父に思いを馳せているうち、汽車は東京駅に着き、賑やかな相席の男性とも別れを告げます。
そのとき、詩人は間違って花の名前を教えてしまったことに気づきました。この時期ならば泰山木であるはずがなく、辛夷の花ではないかと。そして詩は次のように続きます。

ああ なんといううわのそら
娘の頃に父はしきりに言ったものだ
「お前は馬鹿だ」
「お前は抜けている」
「お前は途方もない馬鹿だ」

くすぐったい言葉を掛けられた父親が、思わず「馬鹿」と言い返している姿を思い浮かべました。


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カシワバアジサイの花房

2023-06-07 22:05:33 | 日記

お茶の稽古のために向かう駐車場への道を少し遠回りしてみると、生垣にカシワバアジサイが見事に群生しているのを見つけました。昨年引越しして以来、自然の植物に触れ合う機会が少なかっただけに、新鮮な驚きでした。
円錐形の白い花房が幾すじも空に向かって伸びてゆく姿は、生命のひたむきな息吹を感じさせます。ひたすらに生きてやまない命のたくましさを持つこの花には、梅雨どきの鬱陶しい日だからこそ、見るたびに力づけられます。

アジサイの花すべてに言えることですが、その花びらのように見えるものは、「がく片」と呼ばれるもので、この部分は「装飾花」なのだそうです。つまり、花粉を運ぶ昆虫を誘引するために、見た目だけが華やかに発達した器官です。「がく片」は小さな花弁を持ちますが、めしべが退化していて種子を作ることはありません。カシワバアジサイの場合、この装飾花が円錐状の房をかたちづくるため、その華やかさが際立つのです。
花の本体は、花房の中心部にある緑のつぼみのような部分で、小さいながら、花弁、めしべ、おしべを持っており、ここで種子を作ります。なぜ装飾花で着飾るのに、花の本体はその奥で慎ましやかにしているのかは謎ですが、生命のたくましさに見えたものは、実のところ知恵の限りを尽くした、精一杯の背伸びなのだとすると、かえってその努力が愛おしくもあります。

お茶の稽古場の掛軸で拝見した禅語「一滴潤乾坤」(一滴けんこんを潤す)は、一滴の水が全宇宙を潤すという意味を表しています。一滴の水が大地にしみわたり、やがて大地の歓喜が、たくましい花房になって地上に湧き出でる。茶掛の禅語とカシワバアジサイが互いに響き合って、そんな様子を連想しました。

大地の力はたくましさだけではない、精緻な知恵の働きもはらんでいて、我々の理解を遥かに超えた大胆さ、繊細さを湛えています。一滴の水が大地を潤すということは、かくも豊かな結果をもたらすことなのだと、改めて知らされます。


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「お疲れ様」の文化

2023-06-03 09:06:39 | 日記

5月末から6月にかけては3月期末の総会シーズンで、いろいろな組織の集まりに顔を出します。先日の集まりは、料亭の一室で会議をした後に、そのまま別室で懇親会を開催するというパターンでした。
仲居さんが手際よく靴を片づけるのですが、大勢で押しかけるので玄関に靴があふれることがあって、そんなとき不思議な感慨にとらわれます。ほとんどが年に一回だけ顔を合わせる間柄で、その疎遠な者たちの脱いだ靴が、仲良く並んでいるのは、何とも可笑しいのです。

詩人、小池昌子さんのエッセイ集『屋上への誘惑』(光文社文庫)に、ちょうどそんなことが書いてありました。
ジャズの集いのために、仲間たちがマンションの一室に集まったとき、玄関一杯に並べられた靴を見て、詩人はしみじみとこう述懐しています。

持ち主はそこにいないのに、靴の姿を見ているだけで、足の裏から順番に、履き手の顔までが想像される。
玄関で留守番している靴のおおかたは、くたびれて弱ったものたちである。
持ち主たちは、元気に飲みながら、笑いあっているけれど、魂のほうは、脱いだ靴のようにくたびれているのではないかしら。
私は玄関につったって、犬のように、なつかしい人間のにおいをかいだ。
私たちは、時間というものに触れない。けれど、ものたちが、時間の肌触りを、もの自身の表面に写しとって見せてくれることがある。たとえば、この、玄関の靴のように。

私たちは、過去の記憶を背負いながら、過去を引き伸ばしたり、縮ませたりして現在との縮尺の折り合いをつけて、時間を織り上げているのではないでしょうか。そうすると、くたびれた靴は、現在との折り合いを一時棚上げにしたように、そこに置かれている過去のようなものではないか、と考えたりします。
過去たちは、それぞれが棚上げした折り合いの付け方の、個々人の違いなどまるでなかったかのように仲良く並んでいます。そして来年、一層くたびれた過去が玄関先で並んでいるのを想像するのです。

「お疲れ様」という挨拶を外国人に向かってすると、タフを美徳とする外国人にとっては、失礼なのだと聞いたりします。けれども日本人にとって「お疲れ様」が温かなねぎらいの言葉であるのは、こうやって靴を脱ぐ文化、時間の肌触りを感じる文化があればこそ、なのだと思います。


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