児童文学者で子どもの読書活動推進に大きな功績を残した、石井桃子さんは次のような言葉を残しています。
子どもたちよ。子ども時代をしっかりとたのしんでください。おとなになってから、老人になってから、あなたを支えてくれるのは子ども時代の『あなた』です。
生物学者の福岡伸一さんが阿川佐和子さんとの対談『センス・オブ・ワンダーを探して』(大和書房 2011年)で、最近聞いた言葉の中で最も胸に残ったものとして紹介しています。
福岡さんは人間にとっての「子ども時代」の意味について、生物学的に考えを巡らせます。他の著作と同様に、とてつもなく魅惑的な比喩や仮説を織り交ぜながら。彼はロシアのノヴェシビルスクという町にある生物学研究室で続けられている、キツネを家畜化しようとする試みについて次のように述べています。
研究所が選抜して家畜化したキツネたちは全く違う。人間を見ると尻尾を振り、近寄ってくる。興味を示してじっとこちらを見る。指を近づけると甘噛みをし、檻を開けて撫でると腹を見せて横たわり、あげくにそのまま人間に抱かれても平気なのだ。まるで飼い犬同然である。
研究者たちは、野生のキツネを「訓練して」このように飼い馴らしたのではない。このキツネたちは、生まれつき人間を恐れないのである。
研究者たちは、たくさんのキツネの中から、いくつかの条件をつけて、人間を恐れない傾向を示すキツネを選びだした。それを掛け合わせ、さらに選抜を繰り返した。
世代を重ねるうちに不思議なことがわかってきた。「人間を恐れない」という性質に付随して、キツネの内外にある特徴が見てとれるようになったのだ。白い斑点が毛皮に出る。尾が巻く。耳が垂れる。顔が平たくなる。これらは一体何を意味しているのか。それは「子どもっぽい」ということだった。(前掲書 4頁)
福岡さんはネオテニー(幼形成熟)という生物学の言葉を用いてこれを説明します。外見的な形態や行動パターンに、幼生や幼体の特徴を残したまま動物が成熟することを指す言葉です。幼体から成体に体を変化させるときに働くホルモンのタイミングが滞るようなことが起こるためか、そのメカニズムは解明されていないのですが、子どもの期間が長く、子どもの特徴を残したまま大人になることをネオテニーと言います。ウーパールーパーなどが、よく知られた例です。
実は、ヒトはサルのネオテニーとして進化したという仮説があります。ヒトとチンパンジーの遺伝子は98%以上が相同であり、両者を隔てる違いは脳の形成にかかる遺伝子のスイッチがオンになるタイミングではないかというのです。この結果ヒトはチンパンジーの幼い時のように、体毛が少なく、顔も扁平で、幼さを残したまま成体になります。
このネオテニー仮説によれば、人間の知性の源もつぎのように説明することができます。
ネオテニーは外見以上に、意外な要素を含んでいる。子どもの期間が延びるということは、それだけ柔軟性に富み、好奇心に満ち、探索行動が長続きするということである。つまり学びと習熟の時間がたっぷり得られることになる。一方で、性成熟が遅く攻撃性が低いということも、知能の発達に手を貸すことになった。(前掲書6頁)
さきほどのロシアのキツネの研究でも、ヒトに馴れるようになったキツネは、ヒトの言葉を理解し、指示に従ったり、隠したものを探すような課題をやすやすと解決するなど、とても「知性的」なのだと言います。
もし、生物学的な「子どもっぽさ」が人間にとって重要なファクターならば、その子ども時代は、とりわけ重要な意味を持つはずです。
冒頭に引用した石井桃子さんの言葉は、生物学者レイチェル・カールソンの『センス・オブ・ワンダー』の次の言葉と響き合っています。
もしわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもたちに、生涯消えることのない『センス・オブ・ワンダー』を授けてほしいとたのむでしょう。
この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。(前掲書 28頁)