犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

15年目の笹井宏之

2023-10-25 20:25:32 | 日記

数日前、NHKで The Life『いまも夢のまま 15年目の笹井宏之』という番組を放送していました。短歌界に鮮烈なデビューを果たし、将来を嘱望されていた歌人が、突然の病に倒れて15年が経ちます。

笹井宏之の歌集『えーえんとくちから』は何度も読みましたが、笹井宏之の映像や語る様子を見るのは初めてでした。自宅の廊下の鴨居に思い切り頭をぶつける様子も映っており、こんなに背の高い青年だったのだと初めて知りました。
身体表現性障害という難病を発症し、寝たきりのままインターネットで短歌を投稿し続けたという情報だけから抱いていた歌人の、勝手なイメージが大きく変わりました。特に不登校児の教育支援をするNPOの活動に、わざわざ有田町から参加するなど、殻に閉じこもる歌人のイメージとはかけ離れた人だったようです。

話は変わりますが、去年のゴールデンウィークに有田の陶器市に家族で出かけたとき、少し足を伸ばして、町外れにある大公孫樹に会いに行きました。子どもたちが小さいころ(それこそ15年ほど前)、家族みんなで息をのむように見上げた大木を、成人した子どもたちともう一度見上げようと思ったのです。
大公孫樹に再会したとき、真っ先に思い浮かんだのが笹井宏之の歌でした。

ねむらないただ一本の樹となってあなたのワンピースに実を落とす
(笹井宏之『えーえんとくちから』)

この歌では、詠み手は樹木になっています。樹木は「あなた」に言葉をかける代わりに、身をゆすり実を落として思いを伝えようとします。
「ねむらないただ一本の樹」は「あなた」を一途に思う姿を表していますが、親の子に対する思いとしても違和感はありません。事実、私はそのようにこの歌を読みました。
同じ歌集に続けて登場する歌がこれです。

拾ったら手紙のようで開いたらあなたのようでもう見れません

この手紙は、一首目の樹木が落とした実なのでしょう。こんどは「あなた」が一本の樹になって実を落としており、それを拾ってみると手紙のようで、嬉しくておそろしくて、もう読めないのだと歌人は詠います。だらしない話ですが、子離れできない親の心境を、率直に言い表しているように思います。

人を思うことの切なさを、この二首はストレートに詠っています。まだまだ生きようと思っていたはずの、歌人の切実な気持ちが伝わってきます。
笹井宏之が有田の人だということと、全く無関係にこれらの歌が頭に浮かんだのですが、ひょっとすると「ねむらないただ一本の樹」と詠むとき、歌人はあの有田の大公孫樹を思い描いていたのかもしれないなどと思いました。


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幸せの運転士

2023-10-18 23:43:32 | 日記

久しぶりに西鉄バスに乗って帰路に着くと、車内に明るいアナウンスが響き渡りました。

「金木犀の香りが、鈴虫の音色をともなって秋を運んでまいりました。今度のお休みには小さい秋を探しにお出かけになってはいかがでしょうか」

伝説の運転士、鈴木崇弘さんのバスに、ついに乗り合わせることができた幸せをかみしめました。
鈴木さんのアナウンスの名調子は、地元福岡ではつとに知られていて、その語録がいくつも記録されています。
去年の11月、世紀の天体ショーと言われた日には、こんなアナウンスが流れたそうです。

「今夜は皆既月食と天王星食が、実に442年ぶりに起こるそうです。忙しい毎日の中、たまには夜空を眺めて、ゆっくりとした時間をお過ごしになってはいかがでしょうか」

理系の大学を卒業後、一年間ワーキングホリデーで過ごしたオーストラリアで、廃車のバスをリノベーションした部屋に寝泊まりしたことから、鈴木さんはバスとの因縁を感じていたと取材で語っていました。

西鉄バスに就職して、研修センターの講師から「お客さまを感動させる運転士を目指してください」と言われたことが心に残り、思い切って「元気で行ってらっしゃいませ」の一言をかけたことが、鈴木さんが伝説の運転士に踏み出す第一歩だったのだそうです。

今年は残念なことばかりのソフトバンクホークスでしたが、このチームが無敵を誇っていた頃の逸話も振るっています。
ホークスが優勝を決め、試合が終わったあとの臨時便に乗車していた鈴木さんは、こうアナウンスしたのだそうです。

「みなさん、今日は寒いので川には飛び込まず、帰宅されたらそのままお風呂に飛び込んでください」

車内はドッと沸き返り、降車するお客さんは鈴木さんを、口々に褒めたたえたのだそうです。

「おもてなし」について、ずっと考えていたところに、こんな一言が思い浮かびました。
「おもてなしは勇気から」


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もてなしについて

2023-10-11 20:29:11 | 日記

来年春の茶会で、支部長や幹事などメインゲストをお迎えする席でのお点前をするよう、師匠に言われました。大変名誉なことであり、気を引き締めて練習を積まなければならないと思います。
と同時に「もてなし」について考えることがあるので、ここに書き留めます。

内田樹の近著『街場の成熟論』(文藝春秋)のなかに、茶道について考えを求められたものの、その道に疎いので「もてなし」について知見を述べるという一節がありました。
少し長くなりますが引用します。

古代ギリシャの医聖ヒポクラテスは医療人たちが職業的に自立する時、彼らに「相手が自由人であっても、奴隷であっても、診療内容を変えない」ことを誓わせた。医療行為は商品でもサービスでもない。それはそれを求める人がいる限り、相手が富者であろうと貧者であろうと権力者であろうと庶民であろうと対応を変えることなく提供されなければならない。
ヒポクラテスがそのような誓言を求めたのは、もちろん彼の時代にも「相手が金持ちなら診るが、貧乏人なら診ない」という医師がいたからであろう。だが、その時に「世の中、そういうものだ」とそれを認めたら、以後の医学の進歩はなかっただろう。ヒポクラテスはそのことを洞察していたのだと思う。(279頁)

あらゆる人に等しくもてなしを施すべし、という一見実現困難な目標であっても、終わりなき努力の向かうべき「誓い」がなければ、人間の進歩はなくなるだろうし、「もてなし」は永遠に実現しないだろうというのです。卓見だと思います。

今日の茶会のチケットは高いので、気合を入れてお点前に取り組むとか、今日の茶会はチケット代に見合わなかったとか言う話は、聞いたことがないので、茶道における「もてなし」には毒は回っていないようにも見えます。

しかし、現在の茶道の世界が、家元を頂点とするヒエラルキーを前提としており、そのヒエラルキーの上位を目指して稽古を積むことを、活動の大きな原動力としていることも否めない事実だと思います。だとすると、冒頭に述べた「メインゲスト」をお迎えする立場として、頑張らなければという、その努力の向かう方向は「もてなし」から遠いところにあるはずです。

そのうえでこうも思います。これ見よがしの、きれいな点前を目指すと「もてなし」の心は消えてしまいます。練達の人は容易に「おもねる」ことと「もてなし」の違いを見抜いてしまうので、「もてなし」について厳しいテストを科されるのに等しいのです。
本番までの半年間、この厳しいテストに挑むつもりで練習に励んでいこうと思います。


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炉開きの準備に豆を買う

2023-10-04 22:51:53 | 日記

来月の炉開きに向けて、西新商店街まで小豆を買いに行きました。師匠のお宅でぜんざいをいただく、その小豆を調達する係なのです。旧暦十月の亥の日に炉開きをし、この時ぜんざいをいただくのは、陰陽五行の「陰」の日に、「陽」の小豆を食し、陰陽の調和を図るという意味があるのだそうです。

老舗の豆屋「上野商店」には、二十種類以上の豆が木箱に入れられて並べてあり、それを量り売りで販売するという昔ながらの方法をとっています。「パンダ豆」という大粒の豆の半分が白、半分が黒という珍しい豆が置いてあったので、店主に聞くと、お客さんの注文で取り寄せたのがきっかけで生産農家と付き合いが始まり、ようやく最近一定量を卸してもらえるようになったという話をしてくれました。煮豆にすると黒い部分が薄茶色に変わって、あっさりとした食感なのだそうです。豆そのものの珍しさもさることながら、豆のひとつひとつについて、説明をしながら対面販売する形態が残っているのも珍しく、嬉しい驚きでした。

風炉の最後の月の薄茶の稽古では、玄々斎好みの「徳風棗」使いました。実りの秋に使われる道具です。徳風棗には蓋の表に「一粒万倍」の文字が、蓋裏に籾が九粒描かれています。一粒の籾からいくつもの稲穂が育ち、籾は万倍に増えていくという、子孫繁栄の思いを込めたもので、描かれた籾の九は「陽=奇数」の最大数です。



枝を張って葉を繁らせ無限に分化する働きは「陽」であって、その分化・派生をひとつにまとめ、活力を蓄える働きが「陰」なのだとすると、「徳風棗」という呼び名は、陰陽調和の姿を表しているように思います。
徳風棗の名前の由来は、論語「君子の徳は風なり」で、君子の徳は風のように人々を統べるという意味です。活力あるものを統べる「徳風」を道具の名前とすることで、ひとつの道具のなかに陰と陽の調和を生み出そうとしたのだと考えました。

お茶の世界には陰陽の話がよく出てきます。あまり感心して聞くことはなかったのですが、小豆を買った豆屋のご主人と重ね合わせてみると、味わい深く感じます。たくさんのつやつやした豆を店一杯に並べ、それを愛情深くあつかう豆屋のご主人も、「統べる力」を醸し出していました。そして、豆店には確かに調和が息づいていました。


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