子どもの頃のようなキラキラした幸せを求めて、上手くいったとか、失敗したとかに一喜一憂しても、それはとても脆い土台の上でに楼閣を築くのに似ています。そういう「プラス・マイナスの世界」から離れて、ギリギリの手触りだけを頼りに、自分の時間に錨を下ろすように生きてゆくのが、したたかさへの道なのではないか。そんなことを、前回書きました。
歌を詠うことを「自分の時間に錘をつける」と表現したのは、歌人の永田和宏です。
錘をつけ続けることを、「自分の時間に責任を持つ」とも歌人は言い表しています。歌人として生きることでいちばん大切なものとは、歌を詠み続けていった果てに、自分の時間と真っ当に付き合ってきたと言い切れることではないか、と述べて次のように続けます。
歌を作って過ごしてきた人生は、作らないで過ごしてきた人生より良かったと、時間を振り返って思えること。そのためには、時々の時間に嘘をついたり、それを無視したりしては、もとよりそれは叶わないだろう。
「公共の利益にために仕事をするなどと気どっている人びとによって、あまり大きな利益が実現された例を私はまったく知らない」と言ったのはアダム・スミスだったが、歌壇や短歌史への責任という大それたことを言う前に、少なくとも自分が歌を作り続けてきたことのもっとも慎ましい、しかし誠実な言い訳として、私は自分の時間だけには責任を持って歌を作ってきたと、将来のどこかの時点で確信をもって言えるようにありたいと願う。(永田和宏著『あの午後の椅子』)
自分の時間に責任を持つことは、慎ましくあること、誠実であることと常に同居しています。そして歌人たるもののの覚悟として、自分の時間に責任を持ちながら、それを作品に反映させることの誠実さを永田は語っています。
歌人ではない我々には、作品こそ残すことはできないけれども、その時々のギリギリの手触りを頼りに、錘をつけるように仕事をすることはできるはずです。そのときこそ、自分の時間に責任を持っていると言えるのだと思うのです。
先日、事務所を辞めて独立する若い人への花向けの言葉として「名前のついた仕事をせよ」と言いました。
精一杯の仕事をしているならば、たとえば「相続一般」のルーティン作業ではなく、「誰それの相続」の仕事をしているはずだと。「誰それ」とは自分のことを指すのではなく、ここでは被相続人(死んだ人)のことを指します。被相続人より先に死んでしまった最愛の奥さんのこと、相続人である甥姪たちのことなど、死んだ人の目線で見てしまうことがありました。それら、いちいちのことに引きずられてはいけないとは思いながら、どうしようもなく故人の墓参りに行ったりもするのです。僕らは墓前にお線香を上げながら、自分たちの時間に錘をつけていたのではなかっただろうか。そういう思いを込めて「名前のついた仕事」という表現をしました。
バリバリと効率的にこなす仕事から、遠く離れてしまうかもしれないけれど、「名前のついた仕事」をしていると、自分の時間に責任を持てるようになることは、保証できるように思います。少なくとも、誰にでも取り替えのきくような、お手軽な仕事とは無縁なはずです。
そして、慎ましくあること、誠実であることは、したたかさへの確実な一歩なのだと思うのです。