犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

人を尊敬するということ

2013-06-09 02:29:08 | 日記

高速道路を飛ばす車窓から、広大な佐賀平野が見えていました。「私はこの辺りで生まれたんですよ」とMさんは私に語りかけました。

お仕事でお世話になった方の長崎で執り行なわれた葬儀の帰り道のことでした。しみじみとした口調に胸騒ぎがしたのをはっきりと覚えています。
そして、その葬儀参列がMさんとの最後の仕事でした。
その後、体の不調をうったえたMさんは、翌週大学病院に検査入院となり、半年間の闘病生活の末、帰らぬ人となってしまいました。
 
「あの人のようになりたい」、そう心から切望していた先輩でした。
 
お葬式が終わり部下を帰して、気が緩んでしまったのかもしれません。親族の集合写真に混ぜてもらった私は、どうしても涙が止まらず、親族の皆さんに迷惑をかけてしまいました。
涙が溢れて止まらないというのは、こういうことなのだと始めて実感しました。感情の発露はえてして自己陶酔であったり、周りの人々をコントロールしようとする無意識の試みであったりなのかもしれません。しかし、自分を支えてくれていた大きなものを喪失したその自分が、本当に崩れてしまうように感じて、必死に涙を止めようとしていたように思います。
 
人を尊敬するということは「感情」ではありません。私という存在を構造物にたとえるならば、その最も大事な基礎部分に位置していて、私を支えており、私が私でいられる条件であると言っても過言ではないと思うのです。
みずからのなりわいを「天命」や「天職」と考えることによって、急速に人生がまとまり始めるように、深くMさんを尊敬することで、私は人として生きてゆくことの切実さをようやく保ちえていたのだ、とそう思います。
 
私はMさんから生きてゆくうえでの覚悟をもらっていました。そのMさんの命日が今年もやってきます。

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