世の中でいちばんおいしいものってなんだろう?と月並みなことを考えてみる。
死ぬ直前に食べたいもの、ときたら「寿司」とか「うな丼」とかになるんだろうけど、毎日食べ続けるにはしんどい。
毎日食べるなら「味噌汁」てなことになるんだろうけど、死ぬ前にそれだけ、となると味気ない。
だとしたら、いちばんおいしいものって・・・?
で、ぼくは思うわけですよ、「単品と言わず、その食卓にはふた品だけ許してくれ」と。
にがいお抹茶は、甘過ぎるお菓子があっておいしいわけ。
脂のしずくをしたたらせるソーセージは、キリッとしたビールがあって味が完結するわけ。
ふたりは補完関係なわけ。
そういう深みがいちばんおいしいわけ。
たとえば春や秋の気候はからっと清々しくてほの暖かくて気持ちいいけど、それよりも気持ちいいのは、クソ暑い盛夏に見つけた涼やかな木陰だったり、芯まで凍りそうな真冬の夜の焚き火だったりする。
だから世の中でいちばんおいしいのは、「塩の効いたアジの干物(A)を頬張ったあとの銀シャリ(B)なのだ」(AとBには個人個人好きなものを入れよ)と言いたいの。
相対性理論は偉大な考え方なのだった。
死ぬ直前に食べたいもの、ときたら「寿司」とか「うな丼」とかになるんだろうけど、毎日食べ続けるにはしんどい。
毎日食べるなら「味噌汁」てなことになるんだろうけど、死ぬ前にそれだけ、となると味気ない。
だとしたら、いちばんおいしいものって・・・?
で、ぼくは思うわけですよ、「単品と言わず、その食卓にはふた品だけ許してくれ」と。
にがいお抹茶は、甘過ぎるお菓子があっておいしいわけ。
脂のしずくをしたたらせるソーセージは、キリッとしたビールがあって味が完結するわけ。
ふたりは補完関係なわけ。
そういう深みがいちばんおいしいわけ。
たとえば春や秋の気候はからっと清々しくてほの暖かくて気持ちいいけど、それよりも気持ちいいのは、クソ暑い盛夏に見つけた涼やかな木陰だったり、芯まで凍りそうな真冬の夜の焚き火だったりする。
だから世の中でいちばんおいしいのは、「塩の効いたアジの干物(A)を頬張ったあとの銀シャリ(B)なのだ」(AとBには個人個人好きなものを入れよ)と言いたいの。
相対性理論は偉大な考え方なのだった。