昔の銀塩写真のデジタル化画像シリーズの続き(第6弾)です。
1978年の秋以降は高校進学のための受験勉強に集中するため、天体観測/撮影の活動を一時休止します。
で、受験した3校(私立2校+都立1校)全てにめでたく合格し、第一志望だった都立高校に入学しました。
実は第一志望校が自分の学力的には厳しい状況で、両親はすべり止めで受けた私立校に行くことになるだろうと
踏んでいたため高い学費を覚悟し、それなりに準備してたようです。ところが公立校に行くことになったんで、
有難いことにその余裕(?)資金の一部を使わせてもらって、1979年末に天体望遠鏡を新調することになります。
新たに入手したのはこういうシロモノなのでした。
『月刊 天文ガイド』の広告ページより抜粋
ハイアマチュア向けとして評判の高い機材を製造・販売してきたメーカーの最新機種を購入。
当時は直接販売のみでしたので、板橋区某所の営業所まで父親にクルマで連れて行ってもらって買いました。
しっかりした作りの赤道儀架台は極軸望遠鏡内蔵で、正確な極軸合わせができるスグレモノでした。
鏡筒はニュートン式反射望遠鏡で口径13cmですから、それまでに使っていた口径6.8cn屈折の2倍近くであり、
いわゆる集光力に関しては口径の2乗で効いてくるので、計算すると3.65倍ほどの性能差になります。
星雲や星団が眼視でかなり良く見えるようになり、ペルセウス座の二重星団やオリオン大星雲を見た時には
感動で目がうるみました。以降、この機材一式とは15年ほど付き合うことになります。
前置きがまた長くなりましたが、写真撮影用途で初めて使ったのは1980年に入ってから。
月が恒星を隠す「掩蔽(えんぺい)現象」(=恒星食)を撮ったのでした。
【アルデバラン食(出現直後) 1980/02/23】
キヤノンEF+タカハシ13cmパラボラニュートン反射,フジカラーF -Ⅱ400(ASA/ISO400),F7.7,露出1/4秒,
タカハシ90S赤道儀使用,都内某所にて,トリミング
この日の宵、上弦の月におうし座の1等星アルデバランが隠される現象が全国的に好条件で見られ、
その食の終了直後を狙ったのが上の写真になります。
ちなみに、カラーネガフィルムで天体写真を撮ったのはこの日が初めてでした。
残念ながら露出オーバーで、月は白飛び状態に近いですが、アルデバランは十分な存在感で写ってます。
ちなみに、狙ったシーンをシミュレーションすると、こんな感じ。
AstroArts社ステラナビゲータによるシミュレーション
実は食の開始直前とその5分前、終了直後とその5分後の全4コマを撮影していて、
それらのネガを今になってデジタル化した画像について、月を基準に比較明合成してみたのがコレです。
こういう合成画像だと月の後ろをアルデバランが通り過ぎていってるように見えますが、
実際にはアルデバランの前を月が右から左へ移動していく現象なのでした。
もちろん、その時代にはまだ画像処理ができるPCなどはありませんでしたので、こんな画像を作成するのは
当時のアマチュアには夢の話でした(暗室作業で印画紙焼付け技術を極めればできたかも?)。
今のデジタル機材だと動画撮影でも綺麗に捉えられたりするので、やはり隔世の感がありますねぇ。
私は同じ頃、友人から譲り受けたTS 1型反射赤道義(D100mmF1000mm)を使っていて今も持っています。
当時の天文ガイドに載っていた回路図でモータードライブを自作しました。
白黒フィルムで撮影、現像、焼き付けにチャレンジしていました。
現像するまでドキドキでした。
その場で結果がわかるデジカメやUSBカメラになって楽になりましたね。
当時、天文ファン憧れの望遠鏡メーカーと言えば、ニコン,五藤,高橋でしたでしょうか。
特に高性能屈折望遠鏡で凌ぎを削っていて、高橋は9cmのフローライトアポクロマートが最高峰屈折鏡筒でした。
本当はそっちが欲しかったんですけど、架台込みで一式30万円オーバーとなるとさすがに庶民には厳しく、
90S赤道儀ベースのセット品では一番コスパが良かった13cm反射を選ぶことになりました。
暗室作業は自分も中学時代に理科の先生の協力を得て学校内にあった機材でやったことがありますが、
室内に充満する酸っぱい系のニオイがどうも苦手で、2,3回ほど経験して止めました。
今のデジタル機材だと、そんな作業も一切不要ですから、イイことずくめですね。